チャド・メンデス
チャド・メンデス(Chad Mendes、1985年5月1日 - )は、アメリカ合衆国の男性元総合格闘家。カリフォルニア州ハンフォード出身。 来歴5歳の頃から父親の指導でレスリングを始め、カリフォルニア・ポリテクニック州立大学サンルイスオビスポ校時代はNCAAディビジョン1でオールアメリカンに2度選出された。2008年にはNCAAディビジョン1選手権で2位になっている。 ハンフォード高校時代にユライア・フェイバーと出会い、総合格闘技に興味を持つ[2]。大学卒業後に総合格闘家となるためにサクラメントに引っ越し、フェイバーの家に居候しながら総合格闘技の練習を始めた。 WEC2010年3月6日、WEC初出場となったWEC 47でエリック・コクと対戦し、判定勝ち。 2010年8月18日、WEC 50でカブ・スワンソンと対戦し、判定勝ち。 UFC2011年2月5日、UFC初出場となったUFC 126で小見川道大と対戦し、3-0の判定勝ち。 2012年1月14日、ブラジルで開催されたUFC 142でUFC世界フェザー級王者ジョゼ・アルドに挑戦し、1R終了1秒前に膝蹴りを受けてKO負けを喫し王座獲得に失敗した。キャリア12戦目で初黒星となった。 2012年7月29日、地元ハンフォードのバーで男を殴った容疑で起訴された[3]。 2013年8月31日、UFC 164でフェザー級ランキング9位のクレイ・グイダと対戦し、3RにパウンドでTKO勝ち。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2013年12月14日、UFC on FOX 9でフェザー級ランキング8位のニック・レンツと対戦し、3-0の判定勝ち。5連勝となった。 2014年8月2日、地元カリフォルニア州で開催予定だったUFC 176でUFC世界フェザー級王者ジョゼ・アルドと再戦予定であったが、アルドの首の怪我のため延期となった。前回アルドに挑戦したときも、怪我で一度延期となりアルドの地元ブラジルで戦う事になったため「いい加減ウンザリだよ。アルドはずっとこんな調子じゃないか」と不満を示した[4]。 2014年10月25日、ブラジルで開催されたUFC 179でUFC世界フェザー級王者ジョゼ・アルドと再戦。一進一退の打撃戦を繰り広げたが、0-3の5R判定負けを喫し王座獲得に失敗した。敗れはしたものの、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2015年4月4日、UFC Fight Night: Mendes vs. Lamasでフェザー級ランキング4位のリカルド・ラマスと対戦し、パウンドで1RTKO勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2015年7月11日、負傷欠場した王者ジョゼ・アルドの代役として試合2週間前に試合を受け、UFC 189のUFC世界フェザー級暫定王座決定戦でフェザー級ランキング3位のコナー・マクレガーと対戦。テイクダウンを立て続けに奪いパウンドと肘打ちを浴びせるなど優勢に試合を進めるも、準備期間の短さからかスタミナ切れをおこし、2Rに左ストレートからのパウンドでTKO負け。王座獲得に失敗した。 2015年12月11日、The Ultimate Fighter 22 Finaleでフェザー級ランキング2位のフランク・エドガーと対戦し、左フックで1RKO負け。 2016年7月20日、米国アンチドーピング機関(USADA)は5月17日に実施した競技外抜き打ち検査でメンデスから禁止薬物GHRP-6の陽性反応が検出されたため、2年間の出場停止処分を科したことを発表した。メンデスは自身が使用した乾癬予防の塗り薬が原因だと主張したが、処分が覆ることはなかった[5][6]。 2018年7月14日、約2年7ヶ月ぶりの復帰戦となったUFC Fight Night: dos Santos vs. Ivanovでフェザー級ランキング12位のマイルズ・ジュリーと対戦し、左フックでダウンを奪いパウンドで1RTKO勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2018年12月29日、UFC 232でフェザー級ランキング10位のアレクサンダー・ヴォルカノフスキーと対戦。左フックでダウンを奪うも、立て直されて右フックで2RTKO負け。敗れはしたものの、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。試合後に現役引退を表明した[7]。 BKFC2021年8月4日、UFCとの試合契約が3試合残っていたがUFCにリリースを要求して認められ、ベアナックル・ボクシング団体BKFCと複数試合契約を結んだ[8][9]。 2022年2月19日、ベアナックル・ボクシングのデビュー戦となったBKFC: KnuckleMania 2でジョシュア・アルバレスと対戦し、4回TKO勝ち[10]。 2023年4月29日、BKFC 41で元UFC世界ライト級王者エディ・アルバレスと対戦。ダウンを奪い合う死闘を繰り広げるも、僅差で5回1-2の判定負け。試合後に格闘技からの引退を発表した[11]。 ファイトスタイル元々はバックボーンのレスリングとグラウンドを主軸としたスタイルであり、2012年にジョゼ・アルドに敗戦を喫する以前は11勝のうち7勝が判定での勝利であったが、アルド戦以降は4試合連続でKO勝ちを収め、アルド戦後の計7勝のうち6勝がKO勝ちという戦績を残し、ハードパンチャーとしてのスタイルを確立した。また、筋骨隆々の体型にそぐう強靭なフィジカルを併せ持つ。 人物・エピソード
戦績プロ総合格闘技
ベアナックル・ボクシング
表彰
脚注
関連項目外部リンク |