内藤隆 (衆議院議員)内藤 隆(ないとう たかし、1893年(明治26年)11月10日[1] - 1979年(昭和54年)7月22日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 経歴富山県出身[2][3]。早稲田大学政治経済科、日本大学法学部で学ぶ[2][3]。北陸タイムス編集局長兼主筆、日本電力嘱託、大同電力嘱託、庄川電力嘱託などを務めた[3]。 日本自由党富山県支部幹事長を経て、1949年1月、第24回衆議院議員総選挙に富山県第1区から民主自由党所属で出馬し当選[3]。その後、第25回、第28回から第31回総選挙で5回当選し、衆議院議員を通算六期務めた[3]。この間、自由党人事部長、自由民主党富山県連政調会長、同党議員総会副会長、富山県緑化推進委員会委員長、衆議院行政監察特別委員長、同逓信委員長、同運輸委員長、吉田内閣国務大臣・緒方竹虎秘書官、第2次岸内閣・厚生政務次官などを歴任した[2][3]。 その後、富山テレビ放送社長、同会長、同相談役を務めた[3]。 親族脚注参考文献
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