吉永治市吉永 治市(よしなが じいち、1913年(大正2年)10月12日[1] - 2000年(平成12年)4月4日[1])は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。号・望蘇(ぼうそ)[1]。 経歴熊本県[2]上益城郡、後の益城町で生まれた[1]。陸軍に入隊し第106師団に配属され日中戦争に出征し、1939年(昭和14年)11月、独立混成第18旅団独立歩兵第92大隊に情報作戦担当として転属し、中支宋河鎮の警備中に陸軍士官学校将校学生として入学した[3]。1943年(昭和18年)陸軍士官学校を卒業[1][注 1]。その後、熊本歩兵第13連隊補充の教育主任となる[3]。陸軍少佐で復員[2]。 戦後、1951年(昭和26年)[注 2] 日本大学経済学部を卒業した[2]。全国農業会秘書課長、西日本肥料工業社長、吉永興業社長、旭観光開発代表取締役などを務めた[1][2]。 1955年(昭和30年)2月、第27回衆議院議員総選挙で熊本県第2区から無所属で出馬して落選[4]。 以後、第28回、第30回総選挙に出馬したが落選[5]。1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙に無所属で出馬して当選し[6]、衆議院議員に1期在任した[1][2]。この間、自由民主党宣伝局次長、同国防副部会長などを務めた[1][2]。その後、第34回、第35回総選挙に立候補したがいずれも落選した[7]。 その後、東興企業代表取締役、田木建設常務、「民族機構」直営グリンスター・センター代表取締役、日本郷友連盟顧問、日本世界戦略研究所顧問、自民党前議員会常任理事、吉永政経研究所会長などを務めた[1][2]。 著作
栄典脚註注釈出典参考文献
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