吉野彰
吉野 彰(よしの あきら、1948年(昭和23年)1月30日[1] - )は、電気化学を専門とする日本のエンジニア。学位は博士(工学)(大阪大学・論文博士・2005年)。旭化成株式会社名誉フェロー。名城大学大学院理工学研究科教授。携帯電話やパソコンなどに用いられるリチウムイオン二次電池の発明者の一人。2019年10月、ノーベル化学賞受賞が決定し[5][6][7]、2019年12月10日に受賞[8]。福井謙一の孫弟子に当たる[9]。 エイ・ティーバッテリー技術開発担当部長、旭化成 イオン二次電池事業推進室長、同 吉野研究室・室長、リチウムイオン電池材料評価研究センター・理事長などを歴任し、2020年現在名城大学大学院理工学研究科・教授、九州大学エネルギー基盤技術国際教育研究センター客員教授[10]。京都大学名誉博士、岡山大学名誉博士。紫綬褒章、文化勲章受章者。 来歴・人物生い立ち1948年に大阪府吹田市に生まれ[9]、家は千里山にあった[11]。担任教師の影響で小学校三・四年生頃に化学に関心を持ったという[9]。少年時代の愛読書に、担任教師が勧めてくれたマイケル・ファラデーの『ロウソクの科学』の訳本がある[12][13][14]。吹田市立千里第二小学校、吹田市立第一中学校を経て大阪府立北野高校を卒業[15]。 合成繊維の発展という世相を背景に、新たなものを生み出す研究をしたいという思いから、京都大学工学部石油化学科に入学した[9]。すでに量子化学分野の権威として知られていた福井謙一への憧憬も京大工学部入学の理由の一つであり、大学では福井の講義を受講している[16]。 大学の教養課程では考古学研究会に入り、多くの時間を遺跡現場で発掘に充てた[9]。樫原廃寺跡の調査と保存運動にも携わり、また、考古学研究会での活動を通して後の妻と出会った[9]。大学三回生以降は米澤貞次郎のもとで学ぶ[9]。大学院修士課程修了後、大学での研究ではなく企業での研究開発に関わることを望み、旭化成工業(現:旭化成株式会社)に入社した[9]。 リチウムイオン電池の開発1980年代、携帯電話やノートパソコンなどの携帯機器の開発により、高容量で小型軽量な二次電池(充電可能な電池)のニーズが高まったが、従来のニッケル水素電池などでは限界があり新型二次電池が切望されていた。一方、陰極に金属リチウムを用いたリチウム電池による一次電池は商品化されていたが、金属リチウムを用いた二次電池は、充電時に反応性の高い金属リチウムが針状・樹枝状の結晶形態(デンドライト)で析出して発火・爆発する危険があり、また、デンドライトの生成により表面積が増大したリチウムの副反応により、充電と放電を繰り返すと性能が著しく劣化してしまうという大きな難点があるために、現在でもまだ実用化はされてはいない。 吉野は、白川英樹(2000年ノーベル化学賞受賞者)が発見した電気を通すプラスチックであるポリアセチレンに注目して、それが有機溶媒を使った二次電池の負極に適していることを1981年に見いだした。さらに、正極にはジョン・グッドイナフらが1980年に発見したリチウムと酸化コバルトの化合物であるコバルト酸リチウム (LiCoO2) などのリチウム遷移金属酸化物を用いて、リチウムイオン二次電池の原型を1983年に創出した[17][18]。 しかし、ポリアセチレンは真比重が低く電池容量が高くならないことや電極材料として不安定であるという問題があった。そこで、炭素材料を負極として、リチウムを含有するLiCoO2を正極とする新しい二次電池であるリチウムイオン二次電池 (LIB) の基本概念を1985年に確立した[19]。吉野が次の点に着目したことによりLIB(リチウムイオン・バッテリー)が誕生した。
また、特定の結晶構造を持つ炭素材料を見いだし[19]、実用的な炭素負極を実現した。加えて、アルミ箔を正極集電体に用いる技術[20][21]や、安全性を確保するための機能性セパレータ[22]などの本質的な電池の構成要素に関する技術を確立し、さらに安全素子技術[23]、保護回路・充放電技術、電極構造・電池構造等の技術を開発し、さらに安全でかつ、出力電圧が金属リチウム二次電池に近い電池の実用化に成功して、ほぼ現在のLIBの構成を完成させた。1986年、LIBのプロトタイプが試験生産され、米国DOT(運輸省、Department of Transportation)の「金属リチウム電池とは異なる」との認定を受け、プリマーケッティングが開始された[24]。 しかし、商品化に1993年まで掛かった吉野とエイ・ティーバッテリ-(当時、旭化成と東芝の合弁会社、2004年解散[25])は出遅れ、世界初のリチウムイオン二次電池(LIB)は西美緒率いるソニー・エナジー・テックにより1990年に実用化[26]、1991年に商品化された[27]。 現在、リチウムイオン二次電池 (LIB) は携帯電話、ノートパソコン、デジタルカメラ・ビデオ、携帯用音楽プレイヤーをはじめ幅広い電子・電気機器に搭載され、2010年にはLIB市場は1兆円規模に成長した[28]。小型で軽量なLIBが搭載されることで携帯用IT機器の利便性は大いに増大し、迅速で正確な情報伝達とそれに伴う安全性の向上・生産性の向上・生活の質的改善などに多大な貢献をしている。また、LIBは、エコカーと呼ばれる自動車 (EV, HEV, P-HEV) や鉄道[29]などの交通機関の動力源として実用化が進んでおり、電力の平準化やスマートグリッドのための蓄電装置としても精力的に研究がなされている。他には、ロケット[30][31]、人工衛星[30][31]、小惑星探査機はやぶさ・はやぶさ2[32]、こうのとり (HTV)[31]、国際宇宙ステーション (ISS)[31]などの宇宙開発分野、そうりゅう型潜水艦11番艦のおうりゅうなどの潜水艦にも搭載されている[33]。愛車はリチウムイオン電池ではなくニッケル水素電池を採用されているトヨタ・アクア[34]。 家族吉野家は滋賀県大津市の出である。明治時代の中ごろ、祖父の吉野宗七の代に大阪府豊中市に移り建設業を営み始め、終戦直後に吹田市に引っ越した[11]。 両親とも前の伴侶を亡くした後の再婚で、兄・宗男、姉・暁子のほか、再婚後に生まれた妹の陽子とあわせ4人きょうだいだった[11]。 履歴略歴
学術賞
栄誉・栄典主な著作学位論文
論文・解説
著書単著
共著
監修
(以下は佐藤登との共同監修)
注釈
出典
参考文献
外部リンク(インタビュー)
(講演動画)
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