喜入町 (鹿児島市)
喜入町(きいれちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市の町[4]。旧揖宿郡喜入町大字喜入。郵便番号は891-0203[5]。人口は4,368人、世帯数は1,952世帯(2020年4月1日現在)[6]。面積は11.93平方キロメートル[7]。 1988年(昭和63年)1月1日に大字中名(現在の喜入中名町)及び大字前之浜(喜入前之浜町)の各一部から分割されて大字喜入として設置された[8]。2004年(平成16年)に喜入町が鹿児島市に編入されるまでは喜入町役場が置かれており喜入町の中心地となっていた。 地理鹿児島市の南部、八幡川下流域に位置している。町域の北方から西方にかけて喜入中名町、西方に南九州市知覧町永里、西方から南方にかけて喜入一倉町、南方に喜入前之浜町、東方に鹿児島湾が接している。 町域の東端を錦江湾に沿って国道226号が南北に通っており、沿線には道の駅喜入が所在している。国道226号にほぼ沿って指宿枕崎線が南北に通っており、町域内には喜入駅が所在している。中央部を東西に鹿児島県道232号喜入知覧線が通っている。中央部には鹿児島市役所喜入支所、鹿児島市立喜入中学校、鹿児島市立喜入小学校が所在しており、旧喜入町の中心地であった。 河川歴史現在の喜入町は、1988年(昭和63年)に大字喜入として設置されるまで、大字中名(中名村)及び大字前之浜(前之浜村)の一部であった。但し行政区や小学校区としての喜入はかつてより存在しており、1988年(昭和63年)の字域再編によってこれを一致させた[7]。 喜入の中心部として現在の喜入町の区域は江戸時代から明治時代にかけての喜入郷、明治時代から昭和にかけての喜入村、昭和から平成までの喜入町、平成の大合併以降の鹿児島市喜入地域の中心地となっている。 明治時代初期には喜入郷の地頭仮屋及び常備隊の軍務所が現在の鹿児島市立喜入小学校の場所に設置されていた[10]。1872年(明治5年)には常備隊は廃止され、それに代わって戸長役場が軍務所跡と現在の善行寺の場所に設置され[10]、1879年(明治12年)の郡制施行により喜入郷4村の連合戸長役場が軍務所跡に設置された[11]。 1889年(明治22年)の町村制施行後は喜入村の役場を喜入小学校敷地内に設置していたが、1896年(明治29年)に現在の鹿児島市役所喜入支所の敷地に移転した[11]。1934年(昭和9年)5月20日には指宿線(現在の指宿枕崎線)が開通し、喜入駅が設置された[12][13]。 大字喜入の設置以降1988年(昭和63年)1月1日に大字中名及び大字前之浜の各一部から分割され、喜入町の大字「喜入」として設置された[8]。分割された理由として「喜入町郷土誌」には『地区名(小学校区)と大字名の違いから生活に不便や不都合が生じた為』とある[7]。 2004年(平成16年)11月1日に喜入町が日置郡松元町、郡山町、鹿児島郡吉田町、桜島町と共に鹿児島市に編入された[14]。合併に際して設置された法定合併協議会である鹿児島地区合併協議会における協議によって、喜入町の区域の大字については「字の区域を廃止し、当該廃止された字の区域に相当する区域により新たに町の区域を設定し、その名称については表示案に基づき、各町の意向を尊重し合併までに調整するものとする」と協定された[15]。 前述の協定に基づいて、合併前の10月26日に鹿児島県の告示である「 町の区域の設定及び字の廃止」が鹿児島県公報に掲載された[4]。この告示の規定に基づき、それまでの大字喜入は廃止され、大字喜入の全域を以て新たに鹿児島市の町「喜入町」が設置された[16]。 また、喜入に設置されていた喜入町役場は鹿児島市役所の支所となった[17]。2011年(平成23年)10月には老朽化していた旧喜入町役場を使用していた喜入支所の建て替えが行われ、鹿児島市役所喜入支所と喜入公民館の複合施設として完成した[18]。 字域の変遷
人口以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
文化財県指定市指定施設公共
教育
郵便局
寺社小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[43]。
交通道路鉄道出身人物脚注
参考文献
関連項目
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