多和健雄
多和 健雄(たわ たけお、1918年10月29日 - 2007年6月)は愛媛県出身の教育者、体育学者、サッカー選手、サッカー指導者。 人物選手として旧制兵庫県立第三神戸中学校、東京高等師範学校でプレーして、中央大学法学部を卒業した。 大学卒業後は、都立高校体育科教諭として東京都立大泉高等学校などに勤めた。その後、東京教育大学講師となり、1954年には蹴球部監督として関東大学サッカーリーグ戦1部で優勝した。後に教授に昇格し、大学の改編に伴い、筑波大学教授となる。筑波大学退職後は、青山学院大学で教鞭を執った。 主にサッカーの普及・研究において顕著な業績を残した。日本サッカー協会理事・普及指導部長、日本ミニサッカー連盟会長、FIFAコーチングスクール校長、日本幼少児健康教育学会名誉会員などを歴任した。 2007年6月に死去。2011年8月9日、第8回日本サッカー殿堂顕彰者に選出された[1][2]。 著書単著
共編著
監修
脚注出典
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