大友龍三郎
大友 龍三郎(おおとも りゅうざぶろう、1952年5月18日[7][8] - )は、日本の声優、俳優、ナレーター[5]。東京都田無市(現:西東京市)出身[2][3]。フリー[4]。 経歴生い立ち父が前進座の会員だったこともあり、小学校時代から芝居を観る機会はあった。小学校の教科書に載っていた脚本を読むのも好きで、テレビの石坂浩二のナレーションの真似をしたりしていた[3]。 小学6年生の時、偶々劇団四季が日生劇場で上演した『はだかの王様』を招待されて観たが、その頃は硬派だったことから、「役者になりたい」と言えなかった。小学校3年生くらいまでは物も言えないような子供だったが、小学校時代にプールで泳ぐようになると水泳が学校でも一番速くなった。最初は勉強もできなかったが、何かひとつスポーツができるようになると勉強もできるようになった。中学時代は、最初はサッカー、その後はバレーボールなど色々スポーツをしており、いわゆる体育会系だったという。東京工業高等専門学校に進学後、早稲田大学の演劇部の出身で、同高等専門学校で講師していた若林俊輔に「演劇部を作るからやらないか」と誘われ、演劇を始める[3]。 3〜4年目くらいから、授業中にボーリングに行ったりしていた。4年目で同高等専門学校を中退して、1年程ドストエフスキーやカフカなどの本ばかり読んでおり、兄が買っていた本を読んでいったという。2016年時点でも図書館に行くと、棚の右から本を全部を読んでいくのが好きであるという。気が弱かったことから、「大きな劇団を受けるよりは、まず近くに劇団はないか」と探していたところ、東伏見に小さな劇団があった。そこに行って受けたところ、「じゃ、今日から実践をしよう」と言われて、立川市のストリップ劇場に連れて行かれた。「今日からやるか?」と言われて、「いやいや、とんでもない」という感じで、1日見学しただけで断念したという[3]。 家はそれ程裕福な方ではなく、「新聞配達でもして家を出て行こう」と思っていたところ、隣の部屋から兄が来て、「お前、家を出るのは辞めろ。バイトしながらやれ」と言われた。父は養成所の入学金を出してくれたが、その後は自分でアルバイトをしながら養成所に行っていた。アルバイトとしては、立ち食いそば屋から、養成所の先輩からの紹介で東京プリンスホテルでのバンケットの皿洗いまでしており、時給が良く効率の良いアルバイトを先輩たちから紹介してもらえるようになり、最後が皿洗いだった。養成所に入所時、所長から気に入られて、「じゃあ僕が今度演出する二期会の旅公演に出なさいよ」と、外郎公演のようなものに同行しており、アルバイトに比べるとかなり良いギャラを貰えたという[3]。 キャリア俳優として青山杉作記念俳優養成所を経て、劇団青年座に所属。初舞台は同俳優養成所時代のソーントン・ワイルダー作『わが町』だった。舞台『朝に死す』で俳優としての活動を始める。俳優として28歳くらいの時から蜷川幸雄が演出を務める舞台に出演。その翌年から毎年1回、1ヵ月間くらい海外公演に行き、30歳くらいからは坂東玉三郎のところで、1年に1ヵ月間程度の芝居をするなどキャリアを積む。清水邦夫が大友が出演していた『朝に死す』を観て、木冬社の創立の時に大友を客演で呼んだことがきっかけで、1977年にテレビドラマ『秋日記』の青ノッポ役で初めて名前のある役を演じている[3]。 声優として声優の仕事をするようになったのは、ある日大塚国夫から「お前もやれよ」と引っ張ってもらったのが最初である。声優の初仕事は、インタビューでは「『ザ☆ウルトラマン』ということになっているようですね」と回答している[3]。 洋画の吹き替えで最初の仕事はよく覚えておらず、『コンバット!』をやった時に、「あっ、『コンバット!』のサンダース軍曹の声[注 2]だ!」と驚いて思わず隣を見てしまい、自分の台詞を忘れたというのを覚えているくらいだという[3]。 前述のとおり、坂東玉三郎のところで、芝居をしていたことから、吹き替えではレギュラーの役ができなかった。劇団を退団後は吹き替えをするようになった[3]。 所属歴劇団青年座[3][9]、81プロデュース[1][7][9]、東京俳優生活協同組合[9]、青二プロダクション[6]を経てフリー[4]。 人物座右の銘は、「明日は明日の風が吹く。今日一日をたっぷりと、適当に生きること」であると語っている[10]。 特色声種はバス[9]。オペラのように、響くような声が魅力的[11]。 役柄としては、シリアスな役や威厳ある悪役を担当することが多く[3][12]、子供向けアニメの悪役を数多く担当している。先輩に「お前は悪い役の声だ」と言われた際は少しむっとしていたが、段々悪い人の役が多くなっていったという[13]。時には良い人役も演じることもある[13]。 印象に残る役については『ONE PIECE』のクロコダイル役を挙げている[13]。 洋画吹き替えではクランシー・ブラウンやロン・パールマンなどの吹き替えを担当している。 中学1年生の時におたふく風邪になり、1週間くらい経って現在の1オクターブ以上低い声になったという[3]。 主役は『ターミネーター』のアーノルド・シュワルツェネッガーの吹き替え(1987年10月18日『日曜洋画劇場』で初放映)で演じたのが初めてとされ、その後はサイボーグのような役が増えたという。『ターミネーター』のオーディションに合格した時には「良かったな、お前食えるようになって」と言われたという。前述のとおり、わりと渋めの低い声だったことから『ターミネーター』のオーディションに合格したと語る。また、シュワルツェネッガーの専属(フィックス)は玄田哲章となった現在も、「この作品(『ターミネーター』)の極悪非道・冷徹無比の悪役サイボーグ(T-800)を演じたシュワルツェネッガーには大友の人並外れた重低音はまさにピッタリ」との声が多くある[3][14]。 家族父は中島飛行機の機械士であり、終戦後、アメリカ空軍立川基地の整備士や食料品店を営んでいた。大友が東京工業高等専門学校に進学したのも「自動車の方面に」と当初は思ったからだが、勉強が追い付かなくなったという。父方の祖母は大正時代の人物で、電車賃を削ってでも1ヵ月に1回は歌舞伎や新派などの芝居を観に行くというのが好きであったことから、自分がこういう分野に興味があるのもそれが原点かもしれないという[3]。 出演太字はメインキャラクター。 テレビアニメ
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