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太田敦也

太田敦也
Atsuya Ohta
三遠ネオフェニックス  No.8
ポジション センター
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-06-04) 1984年6月4日(40歳)
出身地 愛知県の旗 愛知県豊川市
身長 206cm (6 ft 9 in)
体重 112kg (247 lb)
キャリア情報
出身 日本大学
選手経歴
2007-2008
2008-2016
2016-
オーエスジーフェニックス東三河(JBL)
浜松・東三河フェニックス(bjリーグ)
三遠ネオフェニックス(B.LEAGUE)
選手情報 ウィキデータを編集 B.LEAGUE.jp
代表歴
キャップ 2003年 キリンカップ

太田 敦也おおた あつや1984年6月4日 - )は、愛知県豊川市出身のプロバスケットボール選手である。B.LEAGUE三遠ネオフェニックスに所属している。ポジションはセンター

来歴

9歳でバスケットボールを始める[要出典]豊川市立東部中学校時代に中村和雄の目に止まり、その素質を高く評価される[要出典]

2000年4月、千葉県柏市立柏高等学校に進学。入学してすぐレギュラーの座を獲得し、同年の全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会(インターハイ)に出場。1回戦で育英高校に敗退。5ファウルで退場したが、7得点する[要出典]。2年生時の2001年インターハイでは3回戦まで勝ち上がり、3試合全てで2桁得点を記録[要出典]。同年の第32回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会(ウインターカップ)にも出場し、3回戦まで進出した。3年生時の2002年インターハイ、第33回ウィンターカップ両大会に出場し、ともに3回戦まで進出した。

日本大学を経て、2007年に中村和雄がヘッドコーチを務めるJBLのオーエスジーフェニックス東三河に加入。チームが2008-09シーズンよりbjリーグに転籍し、浜松・東三河フェニックスにチーム名を変更した後も残留。2009-10シーズンおよび2010-11シーズンのbjリーグ連覇に貢献した。

2011年、日本代表候補に選出。bjリーグからは石崎巧に次いで2人目、自身としては日大在籍時の2003年以来8年ぶりとなる。9月、アジア選手権に出場。 2011-12シーズン、bjリーグベスト5に初選出される。

2012年も日本代表候補に選出され、ウィリアム・ジョーンズカップのメンバーに選ばれた[1]

経歴

  • 豊川市立東部中 - 柏市立柏高 - 日本大学 - オーエスジーフェニックス東三河/浜松・東三河フェニックス/三遠ネオフェニックス
日本代表歴

主な成績

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
JBL 07-08 オーエスジー 27 1 2.6 35.7 --- 66.7 0.4 0.1 0.0 0.0 0.1 0.5
bj 08-09 浜松 52 3 16.8 58.9 --- 58.8 3.6 0.6 0.6 0.4 0.5 2.6
bj 09-10 浜松 50 19 18.6 48.5 --- 52.0 4.1 0.9 0.5 0.4 0.8 2.1
bj 10-11 浜松 46 1 20.1 47.5 --- 48.6 4.1 1.0 0.4 0.3 0.9 2.9
bj 11-12 浜松 52 16 25.8 60.0 --- 64.0 5.1 0.7 0.8 0.5 1.1 5.7
bj 12-13 浜松 52 26 23.5 44.5 12.5 68.2 5.3 0.9 0.8 0.3 1.1 6.9
bj 13-14 浜松 52 45 21.6 45.9 12.5 66.0 4.1 1.2 0.7 0.4 1.3 6.5
bj 14-15 浜松 52 42 19.4 44.4 --- 67.2 2.7 1.1 0.3 0.2 1.1 3.9
bj 15-16 浜松 50 31 26.2 48.8 --- 68.5 4.9 1.1 0.6 0.4 1.5 6.3
B1 16-17 三遠 60 4 23.3 52.7 0.0 67.9 4.3 1.0 0.2 0.6 1.0 7.4
略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ  *  リーグリーダー  †  優勝シーズン

騒動

2015年7月17日に東京都内で行われた韓国の軍隊チーム「尚武」との練習試合中に相手チームの選手に両手で胸元を小突かれ、応戦すると韓国チーム全員がベンチから飛び出してきて太田を攻め、乱闘寸前の騒ぎとなった。日本人選手やスタッフらが間に入って騒動は収束した[2]

脚注

関連項目

外部リンク

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