常見千香夫常見 千香夫(つねみ ちかお、1908年(明治41年)10月31日 - 1988年(昭和63年)1月4日)は、埼玉県浦和町(現・さいたま市)出身の歌人。 経歴旧制浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)、東京薬学専門学校(現東京薬科大学)卒業。 浦和中学校在学中、加藤克巳らとともに、「菁藻」にて同校教諭であった高橋俊人に学ぶ。1927年(昭和2年)、村野次郎主宰の「香蘭」入社。1933年、「短歌至上主義」創刊に参加。 1940年、伝説的な合同歌集『新風十人』(八雲書林)[1]に参加。参加者は、常見のほかに五島美代子、筏井嘉一、加藤将之、佐藤佐太郎、斎藤史、館山一子、坪野哲久、福田栄一、前川佐美雄であった。 戦後1946年、加藤克巳、大野誠夫と「鶏苑」を創刊するが、1953年廃刊、以後作歌生活を断った[2]。歌集に『智と余韻』、遺作の『はな鳥』。 著書脚注 |