Share to:

 

木村太郎 (ジャーナリスト)

木村 太郎
生誕 (1938-02-12) 1938年2月12日(86歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州バークレー
教育 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
職業 ジャーナリスト
代表経歴 ニュースセンター9時キャスター、FNNスーパーニュースコメンテーター
親戚 伯父:木村重吉西日本鉄道社長)
伯父:菅原卓(実業家、劇作家)
叔父:内村直也(劇作家)
テンプレートを表示

木村 太郎(きむら たろう、1938年昭和13年〉2月12日 - )は、日本フリージャーナリストニュースキャスター逗子・葉山コミュニティ放送(通称名・湘南ビーチFM)代表取締役、(有)木村太郎事務所代表取締役。

NHK記者、キャスターを経て、退局後はフジテレビと専属契約を結び、キャスター、コメンテーターを務めた。現在はフリー。

人物・来歴

木村喜八郎(木村順太郎の八男、横浜正金銀行元監査役)・敏子(菅原電気創業者・菅原稠の長女)夫妻の長男として生まれる[1][2][3][4]。父・喜八郎の兄弟に西日本鉄道社長の木村重吉が、母・敏子の兄弟に菅原電気社長の菅原浩(妻はにんべん創業家・10代目高津伊兵衛の三女)、劇作家の菅原卓内村直也(妻は安川財閥創始者・安川敬一郎の孫)がいる[1][5][6]。父方の高祖父・木村重俊は造り酒屋を営み、先祖には武将木村重成がいる[6][7]

父親が横浜正金銀行の駐在員だったため、アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレーで生まれ、日米関係が悪化した1941年(昭和16年)に帰国する[8]

慶應義塾幼稚舎慶應義塾普通部慶應義塾高等学校を放校後、東海高校を経て慶應義塾大学法学部政治学科を卒業(新聞研究所=現:メディアコミュニケーション研究所修了)[8]。高校時代はアメリカンフットボール部に所属。また3年間、国外に遊学していたため大学には7年間在籍した。

NHK時代

就職活動もままならず、ゼミナールの指導教員だった生田正輝の紹介でNHKを受験する。ジャーナリスト志望ではなく、当時年齢制限なく入社試験を受けることのできた唯一の組織がNHKだった。

1964年(昭和39年)に入局[8]徳島放送局記者を振り出しに、神戸放送局社会部記者(~1969)、東京本部社会部遊軍記者(1969~1974)を歴任後、パリ支局中東アフリカ担当(ベイルート駐在、1974 - 1976)、ジュネーヴ支局特派員(1976 - 1978)、東京本部外信部記者(1978 - 1980)、アメリカ総局(ワシントン支局)特派員(1980 - 1982)と持ち前の行動力と語学力を買われ、国際派の記者として活躍。ベイルート駐在時代には内戦取材も経験した[8]

ニュースセンター9時キャスター

1980年(昭和55年)にアメリカに赴任するとき、上司から「まあ、お前は死ぬまでワシントンにいるぐらい覚悟しておけよ」と言われたが、たった1年半で東京に戻り、『ニュースセンター9時』(NC9)キャスターを務めることになる[8]。帰国直前の82年2月、相方となる女性と初めて会った。宮崎緑千葉商科大学教授)である。当時、宮崎はTBSのリポーターの仕事をしており、その関係でアメリカへきて、ワシントンに立ち寄っていた[9]。頭の回転の速そうな印象を受け、「うん、この子とならパートナーとしてやっていけるな」と感じたことを覚えている[10]

キャスターとして、一躍、名を馳せたのは、1985年(昭和60年)8月12日の日本航空123便墜落事故だった[11]。次々と飛び込んでくる情報を瞬時の判断で処理し、電波に乗せていったが、もっとも知りたい搭乗者名については、事故から3時間後に乗客名簿が発表された[11]大阪空港に急行していた現場アナウンサーは1枚目から読み始めたものの、500人を超す乗客名簿であった[11]。「木村さん、まだ続けますか。今、対策本部長の記者会見が始まりますので、中断したいんですが…」即座に拒否した[12]。「いや、続けてください。今、皆さんが知りたいのは名簿だと思うんですが、そこで声を出して読むと会見の邪魔になりますか。できたら続けて伝えてください」と放送された。さまざまな現場から殺到する情報のうち、何を最優先すべきか瞬間的に判断し、視聴者が今一番知りたい情報は、乗客の名前だろうと判断した。これは生中継の最中なので、編集責任者やデスクの指示を待つ時間がない中、キャスターがキーパー役をつとめていることを、テレビ画面の同時進行の中継のなかで、視聴者に示して見せた[13]

NHK退局~現在

1988年(昭和63年)、NC9終了時に上司から管理職への打診があり、生涯現場を希望していたこともあり、退職して木村太郎事務所を設立した。同時にフジテレビと専属契約を結び、専属キャスターとしての活動を始め、その年のアメリカ大統領選挙を現地取材した。翌年4月からは『FNN DATE LINE』、1990年4月からは後番組『FNN NEWSCOM』の総合司会を務め、エンディングのダジャレが話題となった。

1994年(平成6年)4月からは『ニュースJAPAN』、2000年4月からは『FNNスーパーニュース』のコメンテーターを担う。スーパーニュースでメインキャスターの安藤優子にコメントを求められるとき、安藤の見方とは違う視点からコメントするよう努めた[14]。2010年4月を以って、それまで月~金曜日の全日レギュラーであったスーパーニュースへの出演を、月~木曜日に変更し、7月からは『Mr.サンデー』への不定期出演を開始した

2013年(平成25年)3月28日の放送を最後にスーパーニュースから降板し、フジテレビとの専属契約も終了となった[14]

このほか、1993年(平成5年)に開局した神奈川県コミュニティFM湘南ビーチFM)の代表を務め、2007年10月にはドリーム・トレイン・インターネット社外取締役にも就いた。

エピソード

趣味は昼寝(暑い所でも良く寝られるという)、モットーは原稿より健康。石原慎太郎とはヨット仲間。ジョン・レノン夫人オノ・ヨーコは幼馴染である。親米派で、ジョン・F・ケネディを尊敬している一方で、パリに住んでいたことからフランスに対する愛着も強い。

1980年からパソコン通信インターネットを利用。出会いはアメリカでの記者生活の時、新聞の早刷りをインターネットを通じて知り得た事と言う。ニュースJAPANの頃は自分で回線を繋ぎ、パソコンに内蔵の百科事典と共に愛用していた。湘南ビーチFMとしてポッドキャスティングに参加、国際放送機器展に出席している。

1988年6月の『週刊SPA!』創刊号では、久米宏と対談し、当時久米がメーンキャスターとしてレギュラー出演していた『ニュースステーション』にもゲスト出演した。

2015年(平成27年)12月時点で、ドナルド・トランプ2016年アメリカ合衆国大統領共和党予備選挙で指名候補となること、かつ、ヒラリー・クリントン大統領選挙共和党候補に勝つ可能性も低いと、直感によって推測していた[15][16][17]

過去の出演番組

テレビ

NHK(日本放送協会)記者部在任時の出演経歴

報道番組

特別番組

フジテレビ専属契約時代の出演経歴

報道番組

期間 番組名 役職 担当日 備考
1989年4月3日 1990年3月30日 FNN DATE LINE キャスター 平日
1990年4月2日 1994年3月31日 FNN NEWSCOM
1994年4月1日 2000年3月31日 ニュースJAPAN コメンテーター 安藤優子不在時にはメインキャスターを担当
2000年4月3日 2010年3月26日 FNNスーパーニュース 番組登板から1年は、天気コーナーを兼務
2010年3月29日 2013年3月28日 月~木曜日
2010年7月4日 現在 Mr.サンデー
関西テレビと共同制作)
不定期でのコメンテーター 隔週日曜日 専属契約終了後も、引き続きフリーとして隔週出演

その他

ラジオ

著書

  • 『素顔のスイス』日本放送出版協会、1980年2月。 
  • 『驚こう学ぼう楽しもう タローのNC9』講談社、1983年12月。ISBN 978-4062008228 
  • 『テレビはニュースだ NHK「ニュースセンター9時」の24時間』太郎次郎社〈シリーズしごとの発見1〉、1985年6月。ISBN 978-4811800479 
  • 『ニュースへの挑戦』日本放送出版協会、1988年7月。ISBN 978-4140086063 
  • 『ニッポンの挑戦 日本はアメリカズカップを奪えるか』世界文化社、1989年10月。ISBN 978-4418895120 
  • 『考える眼 時代はこんなに面白い』イースト・プレス、1991年3月。ISBN 978-4900568310 
  • 『日本の選択』キネマ旬報社、1995年12月。ISBN 978-4873761510 
  • 『太郎が飛んだ 国際ニュースの現場』東京新聞出版局、1997年5月。ISBN 978-4808305970 
  • 『木村太郎のニュースコラム〈99〉99年の日本と世界がわかる用語解説つき』フジテレビ出版、1999年12月。ISBN 978-4594028237 
  • 『社長のためのIT革命』文芸社、2000年12月。ISBN 978-4835513980 
  • 『ディア・グロリア 戦争で投函されなかった250通の手紙』新潮社、2011年11月。ISBN 978-4103315919 
  • 『トランプ後の世界 第2幕 最新情勢 日本、アメリカ、そして世界2017』ゴマブックス、2017年2月。ISBN 978-4777118953 
  • 『78枚の国際取材証 ジャーナリスト木村太郎が目撃した世界』ゴマブックス、2022年9月。ISBN 978-4814922536 

脚注

  1. ^ a b 『ディア・グロリア: 戦争で投函されなかった250通の手紙』新潮社、2011年、18-21頁。 
  2. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年5月25日閲覧。
  3. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年5月25日閲覧。
  4. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年5月25日閲覧。
  5. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年5月25日閲覧。
  6. ^ a b 健士郎, 川西 (2023年12月10日). “子孫が語る大坂の陣(10)ジャーナリスト・木村太郎さんが末裔、家康も感服した比類なき若武者・木村重成の最期”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年5月25日閲覧。
  7. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年5月25日閲覧。
  8. ^ a b c d e 嶌 1995, p. 128.
  9. ^ 嶌 1995, p. 132.
  10. ^ 嶌 1995, p. 132 - 133.
  11. ^ a b c 嶌 1995, p. 136.
  12. ^ 嶌 1995, p. 136 - 137.
  13. ^ 嶌 1995, p. 137.
  14. ^ a b  “「スーパーニュース」最後の一週間を前にフジテレビの〝ニュースの顔〟が今思うこと”『週刊文春』2013年3月28日号 p.132
  15. ^ 東京新聞 2015年12月20日付「太郎の国際通信」
  16. ^ gooテレビ番組(関西版) 『Mr.サンデー』 2015年12月27日 【SP(仮)】の番組概要ページ
  17. ^ 1年前に直感 木村太郎氏「トランプ大統領誕生」なぜ予言できたのか - スポニチ、2016年11月10日
  18. ^ a b c 木村太郎 - オリコンTV出演情報

参考文献

外部リンク

Kembali kehalaman sebelumnya