この項目では、かつて存在した法人について説明しています。一般名詞としての民生産業については「民生用 」をご覧ください。
民生産業 (みんせいさんぎょう)は、かつて存在した日本の企業、日本の法人である。
1935年 に日本デイゼル工業 として発足。その後1940年 に鐘淵紡績 (のちに鐘淵実業 と合併し鐘淵工業となる)の傘下となり1942年 に鐘淵デイゼル工業 へ社名変更、そして1946年 に鐘淵工業 (のちにカネボウ を経て海岸ベルマネジメント となる)からグループ離脱した際に当社名へ変更した。
1950年 に大型商用(トラック・バスなど)自動車製造会社の民生デイゼル工業 を分社。同社は2ストロークディーゼルエンジン とこれを搭載した車両を主力製品とする特徴ある企業だったが、母体企業の転変を経て日産自動車 系列下に入った後の1960年に日産ディーゼル工業 へ、さらにはボルボグループ入りしたのち2010年に(初代)UDトラックス へと改称。2014年にボルボ・グループ・ジャパン (現:(2代)UDトラックス )と合併 し法人格が消滅した[ 注釈 1] 。
本項では民生デイゼル工業への分社以降の、同社による2ストロークディーゼルエンジン 搭載車についてもあわせて記述する。
沿革
民生産業まで
富士産業 製「ふじ号」(富士TR014X-2) 日本初のフレームレスリアエンジン バス。民生KD2型エンジンを縦置き 搭載する。
1935年 (昭和 10年)- ディーゼルエンジン製造を目的として埼玉県川口市に日本デイゼル工業 を創立
1936年 (昭和11年)- 上下対向ピストン式2サイクルディーゼルエンジン の生産を開始。社名を採ってND型 と名づけられた。
1937年 (昭和12年)- サンプル としてドイツのクルップ からディーゼルバス [ 注釈 2] を取り寄せる。
1938年 (昭和13年)- ND1型直列2気筒 60ps 発売。日本初の無気[ 注釈 3] 直噴 エンジンとなる。
1939年 (昭和14年)- ND1型60ps搭載のトラック1号車LD3型 (3.5 t積・後にTT6型 に型式名称変更)完成。しかし完成までの道程は予想以上に厳しく、経営は難航した。LD3型トラック完成の翌月に初代社長であった足立は辞任。陸軍 から砲弾 の加工、中島飛行機 から星型エンジン のコンロッド の生産等を請け負い窮状をしのぐ。
1940年 (昭和15年)- 戦時色 が強まる中、新興財閥 として伸長しつつ重工業 へのシフトを模索していた鐘淵紡績(のちのカネボウ) は、日本ディゼルに着目して出資、経営権を獲得。直列3気筒 4,100 cc 90 ps のND2型 を搭載したTT9型 8 t積トラック、直列4気筒 5,400 cc 125 psのND3型 とバリエーションを増やし、生産を拡大していく。
1942年 (昭和17年)- 親会社 の鐘淵工業への社名変更に合わせて鐘淵デイゼル工業 と社名変更。エンジン名もKD型 となる。大出力の直4・KD5型165 psエンジンも造られるに至ったが、この頃生産自体が国の統制 に置かれたトラック用ディーゼルエンジンは、4ストローク 予燃焼室式 のいすゞ(ヂーゼル自動車工業) 系エンジンに集約されたため、鐘淵ディゼルではそれ以外で大出力を活かせるニッチ市場 への供給を図らざるを得なくなった。自社でブルドーザー を製造してそれに搭載したほか、船舶 用としても供給された。
1945年 (昭和20年)- 終戦 後、残材で鍋 釜 造りを行って工場稼働を続ける。戦前 のTT9型トラックも細々と再生産の準備を始める。
1946年 (昭和21年)- 社名変更。鐘淵工業は戦後 大幅に整理縮小され、元の鐘淵紡績に戻り、鐘淵デイゼル工業も分離して民生産業 へと社名を変更する。エンジン単体を産業機械 用に生産開始、得意のブルドーザーも生産を再開したがGHQ から制止を受け、トラック・バスの生産に注力せざるを得なかった。
1949年 (昭和24年)- 旧中島飛行機 の富士産業 が機体 製造技術を駆使してモノコック ボディのふじ号バス を開発、技術的成功を収める。搭載されたエンジンは直列2気筒 の民生KD2型 エンジンであった。
この頃日産自動車 が民生に対し、トラック用ディーゼルエンジンの供給を打診。当時の日産(車名はニッサン)の標準ガソリントラックであった180型系のシャシ にKD2型 を搭載し、ディーゼルトラックM180型として発売された。当時の日産大型トラックは、ガソリンエンジンは自社製のNT型、ディーゼルエンジンは三菱重工 (東日本重工→三菱自動車 →現・三菱ふそうトラック・バス )製を搭載していた。やがてそれは日産から大型トラックシャシ を半製状態で供給、民生で組み立て、完成車とする方向へ発展する。
民生デイゼルの製品史
国産初の冷凍車 T80G 矢野特殊自動車工業 製 FB-7福岡運輸
1950年 (昭和25年)- 民生産業の自動車部門の資産 を継承し、資本金 1億円をもって民生デイゼル工業 として発足。戦前 にダットサン を設計した事で知られる技術者の後藤敬義が社長となる。
この頃ふじ号ボディ を改良したBR30型民生コンドル号バスを発売、主力商品になる。(後身の日産ディーゼル工業 が開発した同名の中型トラック とは無関係)以降バスについては#バス史 を参照。
日産180型ベースの4t積トラックを生産。それを5 t積に改良してKD2型 を搭載したトラックがミンセイTS21 / TN50型 である。更にミンセイ独自のKD3型 90 PS 搭載のTN93型 軸距 4.6 m・7.5 t積も市場へ投入、背高エンジンでボンネット は高いが、他社の直列6気筒 に比べコンパクトな直列4気筒 のため、荷台を長くできた。ついで10 t積・軸距4 mダンプ TZ10型 、7 t積・軸距4.35 mのTN96型 、軸距4.35 m・6 t積のTN95型 (いずれもKD3 搭載)もラインナップ。
1953年 (昭和28年)- 日産自動車 が資本参加。
4.5 t積TS23型 追加。エンジンもKD2型 が70 PSへ、KD3型 が105 PSにパワーアップ。後にKD2 はKD2B型 80 PSとなる。
クルップ系のKDエンジンはその強力さをセールスポイントに、20年近くに渡って日本ディゼル・鐘淵ディゼル・民生の主力エンジンとして用いられてきたが、各シリンダー毎に上側ピストンとクランクシャフト とを連結するサイドロッドを2本ずつ備えた、複雑なエンジンブロック構造を強いられる対向ピストン型エンジンは、製造コスト・ランニングコスト が割高で、エンジンの背が高すぎるうえ騒音 と振動 も大きく、性能向上は限界に達していた。このため民生では競合他社の4ストロークエンジンに対する抜本的対抗策が求められ、2ストローク方式は踏襲しながらも新たな方式のエンジンが導入されるに至る。
1955年 (昭和30年)
クルップ系エンジンに代わり、GM (傘下のデトロイト・ディーゼル 社)の特許による ユニフロースカベンジング 2ストロークディーゼルエンジン 、シリーズ71 のライセンス生産 契約を締結、直列3気筒 3,706 cc・120 PSの UD3型 と、直列4気筒 4,941 cc・150 PS の UD4型 を発表、後に直列5気筒 6,177 cc・215 PS の UD5型 、直列6気筒 7,413 cc・230 PS の UD6型 も追加する。UD3型 は日産・680トラックに搭載され、TS23はUD3 搭載の軸距4 m・5 t積TS50型 へ、TN93はUD4 型搭載と共に軸距4.8 m、スタイルも一新してT75型 となる。更にUD6 型搭載の6TW型 (当時国内最大の10.5 t積)重トラックが発売される。国産初の民間向け3軸10輪大型トラックで、大きすぎて売れないと懸念する声もあったが、運送業界 からは歓迎された。
また、回転慣性 が少なくレスポンスの良いUDエンジンは、トランスミッションのシンクロメッシュ がまだ無い時代にもかかわらず(故に変速機構の回転速度を同調させるダブルクラッチ操作のテクニックを要した)、シフトチェンジが軽快に決まり、ドライバー には好評だった。もっとも、軽量高速エンジンとしての単体性能では他社製品をも凌駕したが、騒音と燃費 、そして始業点検におけるインテークマニホールド のオイル 抜きを要する面で、競合メーカーの4ストロークエンジンに比べ不利であった。
販売機構 を充実するため、日産自動車 と折半出資による総販売会社日産民生ジーゼル販売 を設立し、販売部門を分離
1959年 (昭和34年)
T80型 T75系軸距4.8 mのままシャシ を強化した8 t積ボンネット 型トラック。一方「卵 を運んでも割れない車両を」という運送業界のニーズから、RFA型バスより転用したエアサス 仕様のTA型 もラインナップされた(型式の「A」は共にエアサスの意)。しかし高速でも振動の少ないサスペンション性能がドライバーのスピードオーバーを招きがちでかえって危険であり、コストも高かったことから、比較的短期間で生産中止。舗装 路がまだ少ない時代の振動対策としては進んだ試みであったが、道路インフラ自体が不十分な当時としては時期尚早であった。
1960年 - T80ベースの3人乗りキャブオーバー 型、TC80型 を発売。軸距を5 mとし、荷台長が800 mm拡大される。
日産ディーゼルのUD型搭載車史
日産ディーゼルTC80G形トラック「サングレイト 」消防車 (郡山 消防署)、1965年式
1960年(昭和35年)- 民生デイゼル工業が日産ディーゼル工業 へと社名変更し、合わせて総販売会社、日産民生ジーゼル販売 を日産ディーゼル販売 と社名変更。
1961年 (昭和36年)- 6TWDC12 6TWベースのキャブオーバー型11.5 t積。全長10.16 m 軸距5.1 mで荷台長7.6 m GVW 19.555 t は当時国内最大。同年、埼玉県 上尾市 に11万坪の土地を購入、上尾工場建設に着手。製品名をそれまでの「ミンセイ 」から、「ニッサンディーゼル 」に改称。
1963年 (昭和38年)- UE680型 日産ブランド680型トラックの5.5 t積キャブオーバー車UD3型123 ps搭載。後1966年(昭和41年)に6 t積UEG681型サングレイト 6へ進化
1964年 (昭和39年)- キャブオーバー車のキャブを、8 t積と11.5 t積で共通の物へとモデルチェンジし、サングレイト の愛称が付く。
1966年 (昭和41年)- UD33 / 43 / 63 / 50 UD型エンジンが改良され、直列3気筒が130 ps、直列4気筒が175 ps、直列6気筒が240 psとなり、新たに直列5気筒 215 psとV型8気筒 330 psが追加。
1968年 (昭和43年)
5TVC10型 パワーステアリング 採用の前2軸10 t積トラック。UD5型を搭載
6TWC13T 第5輪 荷重12 t(トレーラー積載20 t)のセミトレーラー 用トラクター 。UD6型搭載
8TVW70C型 当時国内最大の80 t吊クレーン 4軸シャーシー。UDV8型を搭載
1969年 (昭和44年) 将来の排出ガス規制 や騒音規制のため2ストロークディーゼルの廃止を決定、コンベンショナルな4ストロークディーゼルエンジンを新開発 、4ストローク直6のPD6型(10.3 L・185 ps)をPT系トラックに、同ND6型(6.8 L・135 ps)をU、UE、UG、DUのニッサントラック系に搭載する。翌1970年(昭和45年)PE6(11.7 L・220 ps)をC*系トラックに搭載。ニッサントラック系は廃止
1971年 (昭和46年)- C*系トラックをフルモデルチェンジすると共に、日本初の直噴ターボ PD6T型265 ps搭載。それまでの予燃焼室 ターボの未解決問題がこのPD6Tで一挙に解決した。
1972年 (昭和47年)
4ストロークV型8気筒 のRD8型(14.3 L・280 ps)と、V型10気筒 のRD10型(17.9 L・350 ps)をラインナップ。
TW50系 4ストロークディーゼルの大型ボンネットトラック。6TW型系の人気は絶大であった。
1973年 (昭和48年)- UD系エンジンを搭載した*T系トラック、*R系バスが生産終了するが、V型12気筒 のUDV12搭載の重ダンプWD38型 が登場。全幅3.8 m、最積量38 t、車両総重量 70 t の巨体で、同社の2ストロークディーゼルトラックの最後を飾る。
UD型ディーゼルエンジン一覧
UD-6型ディーゼルエンジンの広告 1955年(昭和30年)
UD型は、2ストロークの利点を生かし、リッター あたりの出力が30 ps超級の軽量エンジンであった。全機種共通で内径110mm × 行程130mmである。
型式
排気量
馬力
トルク
おもな搭載車
UD3
3,706 cc
130 ps/2,400 rpm
45.5 kg・m/1400 rpm
U、UG、UEG、DU系、TU、UR、3T10SC
UD4
4,941 cc
175 ps/2,400 rpm
63.0 kg・m/1,400 rpm
4R(A)系、4T系、T(F)8系
UD5
6,177 cc
215 ps/2,400 rpm
75.0 kg・m/1,400 rpm
5R(A)系、5T系
UD6
7,413 cc
240 ps/2,200 rpm
92.0 kg・m/1,400 rpm
6R(A)系、6T系、MF6系、WD15(重オフロードダンプ)
UDV8
9,882 cc
350 ps/2,300 rpm
126.0 kg・m/1,400 rpm
V8RA系、MF8系
UDV12
14,825 cc
500 ps/2,200 rpm
188.0 kg・m/1,400 rpm
WD38(重オフロードダンプ)
バス史
1947年
KB3T KD3型90ps軸距5mのTT9型トラックに架装したボンネットバス
KB3A KB3Tをバス用低床フレームに改めたボンネットバス
1948年
KB3B KB3Aまでの経験を元に抜本的に改良したボンネットバス。全長9.25m軸距5.3m全幅2.2m全高2.29m
KB3L KB3Bの全長8.25m軸距4.35mにした中型ボンネットバス
KB2LC KD2型60ps搭載のキャブオーバー 車。全長8.1m軸距4.35m全幅2.3m全高2.7m、
1950年
BR30 コンドル号 全長10.4m軸距 5.3m全幅2.45m全高2.785m KD3型90ps横置き 搭載、アングルドライブのフレームレス リヤエンジン バス。ボディはふじ号の富士産業 (旧中島飛行機 )製R5型。[ 注釈 4] 。
BR31 BR30の全長9.53m路線用中扉モデル。(BR30型は観光用 でトップドアなのでフロントオーバーハング が長い)
BS22 KD2搭載の中型ボンネットバス 。全長7.52m軸距4.3m全幅2.4m全高2.735m
BR20 コンドルジュニア BR30のKD2搭載中型版。全長8.68m軸距4.2m全幅2.3m全高2.9m
BR21 コンドルジュニア路線用 。全長7.725m軸距3.8m全幅2.25m全高2.95m
1951年
BR32 コンドル路線バス の軸距4.4m版。後にKD3型が105psとなりBR341となる。更に細かいボデー仕様違いによりBR342/344も追加(ボディーは新日国工業 ・342?)となる。同時に105ps化でBR30はBR311、BR31はBR324と発展する。
BN32 KD3型120ps搭載のKB3L中型ボンネットバスの発展型。全幅2.3mへモデルチェンジ。
1953年
BN33 BN32の軸距4.8m版ボンネットバス
BE31 BN33の軸距5.3m版 KB3Bの発展型。
1955年
エンジンをユニフロー掃気 のUD型に変更。 [ 注釈 5]
BS60 ボンネットバスBSのUD3型搭載版。軸距は4.3m。日産ブランドではU490。
B70S ボンネットバスBNのUD4型搭載版。軸距は4.3m。
B70 ボンネットバスBNのUD4型搭載版。軸距は4.5m。
B80 ボンネットバスBEのUD4型搭載版。軸距は5mとなる。
6RF101 コンドル UD6型230psを搭載したフレーム レスモノコック ボデーリヤエンジン バス。
RF90 コンドル BR系リヤエンジンモノコックのUD4搭載版。
RS イーグル 新日国工業 製フレーム レスモノコック ボデーリヤエンジン バス。
RX80 UD4搭載軸距4.2mラダーフレーム 付きリヤエンジンバス
1957年
1960年 4R** RF系までの横置きエンジン アングルギヤドライブを、コンベンショナルな縦置きエンジン にしたリヤエンジンバス
以降のバスは日産ディーゼル・R/RA を参照。
かつて活躍したミンセイバスの画像
出典:ポピュラサイエンス日本語版、1954年7月号
BR331 コンドル号 エンジン KD-3 120馬力 軸距 5000ミリメートル 全長 9600ミリメートル 定員 64
BR352 ミンセイ号 エンジン KD-3 120馬力 軸距 4300ミリメートル 全長 8995ミリメートル 定員 60
BR346 エンジン 120馬力 全長 8メートル60 国鉄 下諏訪-岡谷間 ロマンスシート35人
BE31 エンジン KD-3 120馬力 軸距 5300ミリメートル 全長 9525ミリメートル 定員 61
BS24 エンジン KD-2 80馬力 軸距 4300ミリメートル 全長 8058ミリメートル 定員 49
脚注
注釈
^ ボルボグループは保有しているUDトラックすの株式を2020年にいすゞ自動車へ売却した
^ Krupp-Omnibus Fur 26 Sitze mit 50-PS Luftdiesel.に近いモデル
^ 無気とは、燃料を高圧の筒内に噴射する際、圧縮空気 を使わずに、噴射ポンプ の圧縮力と、噴射ノズルの噴口と針弁の形状のみで燃料を霧状にする方式。
^ ふじ号とは、東京都交通局 の要請によるヂーゼル自動車工業製いすゞBX91G 用リヤアクスル を流用した富士産業 独自の型式。ボディーメーカー富士産業自ら運輸省 に届け出た。同じR5型ボディでもBR30コンドル号は民生独自のシャシで、バスとしては全くの別ものである
^ 自社ブランド トラック・バスの完成車、及び他社向けや産業用などのエンジンASSY を含む全製品。
出典
参考文献
関連項目
トラック
バス
その他車種
外部リンク
グループ企業 主な製品 歴代キャンペーンガール
カネボウ水着キャンペーンガール
1960年代 1970年代
70 マリー・ヘルビン
71 - 74 西野ミチ
75 リサ・クーパー
76 シグリド・ハーフ
77 ステファニー・レイコ・ボージェス
78 樹れい子
79 マリー・グラビン
1980年代 1990年代 2000年代 関連項目
※2003年度をもって終了 カテゴリ
関連項目 主な一社提供番組 関連人物
便宜上、事実上の前身であるカネボウ関係の項目および人物も含める。また、カネボウに吸収合併されたハリスなどの一社提供番組は含めない。