油井賢太郎油井 賢太郎(ゆい けんたろう、1906年(明治39年)3月12日[1] - 1984年(昭和59年)7月23日[1][2])は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 経歴福島県福島市で[1][2]、実業家油井徳蔵の息子として生まれる[3]。1925年(大正14年)横浜商業学校(現横浜市立横浜商業高等学校)を卒業した[1][2]。 卒業後、横浜正金銀行に入行[1][2]。以後、福島栄町郵便局長、九笹機業場監査役、福島絹織物元卸商業組合理事、福島絹人絹織物元配給常務取締役、福島県繊維品価格査定委員会第1部長、油井商店社長、不二社長、福島県織物元配給社長、信夫精器取締役、福島絹業取締役、中央防火塗装社長などを務めた[1][2]。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に福島県地方区から出馬して当選し、その後、自由党に所属して参議院議員を1期務めた[1][2]。この間、参議院地方行政委員長などを務めた[1][2]。 1976年(昭和51年)春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[4][5]。 1984年(昭和59年)7月23日死去、78歳。死没日をもって正五位に叙される[6]。 脚注参考文献
|