濹東綺譚表題の意味は「隅田川東岸の物語」で、便宜的に「墨東綺譚」と表記されることもある。「濹」は林述斎の造字したものを永井荷風が見出して使ったもので、隅田川(さんずいに墨で隅田川の別称:墨田川)を指す。 旧東京市向島区寺島町(現:東京都墨田区東向島)に存在した私娼窟・玉の井を舞台に、小説家・大江匡と娼婦・お雪との出会いと別れを、季節の移り変わりとともに美しくも哀れ深く描いている。荷風の日記『断腸亭日乗』には荷風の玉の井通いの様子が書かれており、主人公の大江は作者の分身と考えられる。荷風の小説中、最高傑作とされている。 作品中に、前年廃止された京成電気軌道白鬚線の京成玉ノ井駅に関する記述がある。挿絵や私家版の写真にも廃線跡が見られ[2]、鉄道史上の研究資料にもなっている。 1960年[3]・1992年・2010年に映画化された。 成立『断腸亭日乗』によれば、1936年(昭和11年)3月から向島・玉の井にある銘酒屋街(私娼窟)の探訪が始まり、4月22日に随筆『寺じまの記』が書かれた。銘酒屋街は、1918年・1919年(大正7年・8年)から関東大震災を経て、浅草(十二階下)から玉ノ井駅(現:東武スカイツリーライン東向島駅)付近に移転してきたものである。 荷風はこの界隈に強い興味を抱き、日記に精密な地図も描いている。9月7日にはヒロインのモデルとおぼしき女性の出会いが記され、しばらくこの女のもとに通った。9月20日に「この町を背景となす小説の腹案漸く成るを得たり」との記事があり、翌21日の起草後も、連日のように玉の井に通った。10月25日に脱稿、翌11月に「作後贅言」を脱稿。 1937年(昭和12年)4月に、鳥有堂より私家版で刊行、同書には荷風が撮影した玉の井のスナップ写真が添えられている。同年4月16日 - 6月15日まで『東京朝日新聞』に木村荘八挿絵を伴い連載。8月に岩波書店で単行本が刊行された。 登場人物
あらすじ小説家・大江匡は小説『失踪』の腹案を練る。51歳で退職した英語教員が退職金を持って失踪し、カフェー勤めの女の元に身を寄せる、という筋書きで、主人公が身を隠す場所を向島あたりに設定した。大江は6月末のある夕方、玉の井付近を散策する。急に大粒の雨が降り出し、大江が傘を広げると、浴衣姿の女が傘に入ってきた。大江は女(お雪)に誘われるまま、部屋に上がる。 大江はお雪のもとに度々通い、なじみを重ねる。お雪は大江のことを秘密出版に関わる男と誤解しているらしい。ある日お雪は、借金がなくなったら「おかみさん」にしてほしい、と言い出す。お雪を幸福な家庭の人にするのは自分ではない、と大江は考える。9月の末、お雪が入院したことを聞く。10月になると大江が玉の井通いをすることもなくなった。 文末の「作後贅言」の章は(上記のストーリーとは関係なく)、荷風の亡友神代種亮の思い出とともに世相の変遷、銀座のカフェー風俗などを綴っている。 挿画木村荘八による詩情あふれた挿絵も、この作品の評価を高めた一因、という意見が多い。木村荘八は、挿絵の担当が決まると連日のように玉の井界隈に通い、荷風の注文通りの作品を仕上げた。荷風の文と荘八の絵の組合せ・共作を「義太夫における太夫と三味線弾き」に例えた賛もある。荘八自身も作品随想を著した。 文庫新版
映像化映画1960年版
スタッフキャスト
1992年版
1992年6月6日公開。製作:近代映画協会。配給:日本アート・シアター・ギルド (ATG)、東宝。乙羽信子は1960年版に引き続き出演した。ATGは本作品を最後に活動停止[4]した。 この版に限り、題名の読みが「ぼくとうきたん」と定められている。 スタッフ
キャスト
2010年版
2010年12月17日公開。劇場公開題は「癒しの遊女 濡れ舌の蜜[5]」。製作:多呂プロ、配給:オーピー映画。本作の製作に関わりのあった(後述)上野オークラ劇場や静岡小劇場[6]など一部成人映画館、特別上映の行なわれたミニシアターにおいてのポスターでは原題の「墨東奇譚」が用いられている。 ピンク映画として、全国の成人映画館で公開。R-18指定。舞台設定は旧上野オークラ劇場、不忍池を中心とした、現代の上野界隈に変更されている(上野の他、静岡市葵区七間町などでもロケ撮影された)。 スタッフキャストテレビ舞台脚注
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