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神足裕司

神足 裕司
こうたり ゆうじ
誕生 (1957-08-10) 1957年8月10日(67歳)
日本の旗 日本 広島県広島市
職業 コラムニスト、コメンテイター
言語 日本語
最終学歴 慶應義塾大学法学部政治学科
ジャンル コラム
エッセイ
所属 有限会社神足組
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神足 裕司(こうたり ゆうじ、1957年昭和32年〉8月10日 - )は、日本のコラムニスト、コメンテイター[1]。愛称は「コータリ(コータリン)」。所属事務所は有限会社神足組。

経歴・人物

広島県広島市西区出身[2]修道中学校・高等学校在学中は水球部に所属しインターハイ国体に出場。吉川晃司は水球部の後輩[3]。「神足」は養父の姓で、旧姓は「中村」である。

慶應義塾大学在学中からフリーライターとして活躍。雑誌の企画で「コピーライターにおけるマル金とマルビ」を執筆し反響を得た。また、下森真澄らとミニコミ『猫の森』を編集。その他、在学中に「ノーパン喫茶研究会」も運営していた[4]慶應義塾大学法学部政治学科卒業。

1984年、同郷のイラストレーター・渡辺和博と共に『金魂巻(キンコンカン)』[5]を上梓。コピーライターなど1980年代の横文字職業の人々のライフスタイルを観察した内容で、同書で使われた「マル金・マルビ」は流行語となり、同年の第1回流行語大賞を受賞した[6][7]西原理恵子と共著のグルメ書『恨ミシュラン』は、『週刊朝日』連載後、単行本化(1993年-)・文庫本化され、こちらもベストセラーとなった。一方で放送コメンテーターとしても活躍し、TV、ラジオなどメディアへの出演機会も多い。また、デザイン事務所・禅の宴会芸をきっかけに神足の風貌・所作に興味を惹かれた塚本晋也監督の勧めで、2002年には『六月の蛇』で主役を演じ、ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別大賞を受賞した。他、TVCMへの出演歴もあり。

禿頭で黒縁のメガネと蝶ネクタイがトレードマーク。妻との間に1男1女あり。年末恒例の流行語大賞の審査委員も務めた。

闘病生活

2011年9月3日、広島での番組収録後に帰京する際、搭乗した航空機内で体の異常を訴えた。東京国際空港への到着後には都内の病院へと緊急搬送されたが、病院の診断では「くも膜下出血」とされ緊急入院となった。11月よりリハビリ専門病院に転院しリハビリを開始、1年後の2012年9月1日に退院した[8]が、半身麻痺および高次脳機能障害の後遺症が残る。退院後家族は自宅介護の道を選ぶ[9]

2012年10月3日から毎週水曜日の『Wanted!!』(TBSラジオ)では、「コータリさんからの手紙」というコーナーが設けられ、神足が書いた手紙がパーソナリティのえのきどいちろうによって朗読されている。

2013年12月、発病後初の著作「一度、死んでみましたが」を上梓した。

エピソード

  • 愛称の「コータリ(コータリン)」は『恨ミシュラン』を連載していた頃につけられたもの。北海道へ取材時の飛行機チケットの購入の際、担当者が名前記入欄に「コータリン」と書いたのがルーツである。これを後に漫画家の西原理恵子が面白がって各所で書きまくり広まったとされる[10]
  • 愛煙家。2009年6月時点で、一日にハイライトを100本吸うとラジオ番組で告白。その後も仮に増税になり販売価格が1箱1000円を超えても「私は吸います!」と公言した。
  • 料理が得意である。TBSラジオ『小島慶子 キラ☆キラ』出演の際には、パーソナリティ小島慶子に豪華弁当を作っていくことがあった。またスーパーで買ったクリを下ごしらえし、2日間かけてマロングラッセを手作りしたりもする。
  • 2011年6月28日、TBSラジオ『小島慶子 キラ☆キラ』の生放送中に立ち寄った秋野暢子1986年のTVドラマ『男女7人夏物語』の主人公カップル(明石家さんま大竹しのぶ)は、神足裕司夫妻をモデルにしたものだと発言。その場で裕司自身も当時夫人が取材された事実を認めた。

著書

  • 広告・CM雑学読本 知らないよりは知っている方が面白い(1984年、日本実業出版社)
  • クルマで幸福になる本 独断と偏見の自動車論(1991年、PHP研究所)「いきなりクルマ上手」に改題の上、1995年に文春文庫
  • 長靴を履いたギャル(1995年4月、角川書店)
  • 電撃編集作戦(1996年4月、アスペクト)
  • パパになった男 娘の誕生がぼくを変えた!(1997年5月、主婦の友社)
  • 神足裕司のこれは事件だ(1999年12月、ゼスト)のち扶桑社文庫
  • 輝く中年の星になれ!(1999年3月、講談社)
  • わたしたちのデジタル業界 就職・転職13のサクセス(2000年4月、アスキー)
  • 空気の読み方「できるヤツ」と言わせる「取材力」講座(2008年、小学館101新書)
  • 一度、死んでみましたが(2013年12月、集英社
  • コータリンは要介護5 車椅子の上から見た631日(2018年3月、朝日新聞出版)

共著

  • いちどは行きたい恨ミシュラン 史上最強のグルメガイド(西原理恵子共著、朝日新聞社、1993年)「恨ミシュラン」文庫
  • それでも行きたい恨ミシュラン 史上最強のグルメガイド2(同上、1994年
  • やっぱり行きたい恨ミシュラン 史上最強のグルメガイド3(同上、1995年
  • 父と息子の大闘病日記(神足祐太郎共著、扶桑社、2014年
  • 生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた(神足明子共著、主婦の友社、2014年)

連載

現在はリハビリ療養中のため、雑誌への連載コラム等は無し。

2018年1月現在、一部のニュースサイト[どれ?]においてコラム連載枠を持つ。

  • 恨ミシュラン週刊朝日)西原理恵子との共著
  • 神足裕司のこれは事件だ (SPA!)
  • SCENE2011(週刊アスキー
  • Yahoo! JAPANの「月刊チャージャー」にコラムを掲載(2006年5月 - 「市場には心がある」、2006年11月 - 「頭隠してロングテール」)。
  • コータリンは要介護(2016年4月4日[11] - 、朝日新聞デジタル)当初は毎週月曜掲載。2018年4月8日から毎週日曜掲載。2019年3月31日をもって紙面への連載は終了、デジタル版での不定期掲載に。
  • お元気ですか?神足裕司です(2016年4月15日[12] - 、RCC健康・医療 健康コラム)
  • 神足裕司 車椅子からのVRコラム(2017年5月24日 - 、PANORA VR、隔週水曜にアップ)

出演番組

現在はリハビリ療養中のため、レギュラーでの出演番組は無し。

過去に出演の番組

病気発症以降、代役講師の出演で番組は継続。2012年4月からは『名誉顧問』の肩書きで、番組メンバーとして名を連ねた。2013年1月12日(土)の放送では、神足自身がメールで近況や広島に対する想いを番組に寄せた。2015年4月に同番組が『E TOWN・SPORTS(イータウン・スポーツ)』にリニューアルされてからは神足の名前は無くなった。
えのきどいちろうがパーソナリティを務めていた、2012年のプロ野球シーズンオフに放映していた番組内で、水曜日に「コータリさんからの手紙」というコーナーで、神足が書いた手紙が毎週紹介されていた。

脚注

  1. ^ 『日本紳士録 第八十版』において、肩書きは、「法博 文筆家 コラムニスト」となっているが、日本の大学が授与した博士号のデータベース(博士論文書誌データベース)には「神足裕司」の記録はない。
  2. ^ ひと模様”. 中国新聞 (2005年2月27日). 2007年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月11日閲覧。
  3. ^ SPA!2011年1月18日号、p.125
  4. ^ 雑誌の企画で同研究会を取材することになったのだが実際はそのような研究会などは存在せず、困った神足は企画のために自分で同研究会を発足させた。
  5. ^ 主婦の友社刊、後にちくま文庫。クレジットは「渡辺和博とタラコプロダクション作品」で神足、渡辺ほかの共同執筆。
  6. ^ 神足裕司氏 くも膜下出血で緊急入院「重篤な状態」”. スポニチ (2011年9月6日). 2011年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月11日閲覧。
  7. ^ 神足はラジオ放送で、当初自分は「マル金」「マルビ」ではなく、単に「金」「ビ」と言っていたのを、読んだ人が勝手に「マル金」「マルビ」と言い始めて流行語大賞になったとコメントしている。
  8. ^ 佐々木直まる (2012年9月6日). “【エンタがビタミン♪】コラムニスト・神足裕司、“くも膜下出血”で緊急搬送されてから、1年ぶりに無事退院。”. TechinsightJapan. https://japan.techinsight.jp/2012/09/naomaru20120905064.html 2012年9月30日閲覧。 
  9. ^ http://honz.jp/36901?utm_content=buffer985e3&utm_source=buffer&utm_medium=twitter&utm_campaign=Buffer%7Cコータリン降臨!『一度、死んでみましたが』]
  10. ^ 『コータリン・アルファー』最終回での神足自身のトークより引用
  11. ^ (コータリンは要介護5)1カ月、生死をさまよった 神足裕司”. 朝日新聞 (2016年4月4日). 2016年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月11日閲覧。
  12. ^ お元気ですか?”. RCC (2016年4月15日). 2016年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月20日閲覧。

関連項目

外部リンク

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