稲村利幸
稲村 利幸(いなむら としゆき、1935年10月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(8期)。 経歴栃木県足利市出身。1954年、栃木県立足利高等学校卒業。 高校時代から政治家を志し、旧栃木2区選出の自由民主党衆議院議員小平久雄の事務所などに出入りする。1958年、学習院大学政経学部政治学科卒業[1]。 政界に人脈を広げるために雄弁会に入会しようと考え、早稲田大学政治経済学部経済学科に学士入学。1961年、早稲田大学政治経済学部卒業[1]。早大在学中、三木武夫の秘書として活動。大学卒業後、小平の秘書となる。 1963年、第30回衆議院議員総選挙に旧栃木2区から自由民主党公認で立候補し落選。1965年、小平が労働大臣に就任。労働大臣秘書官となる。1967年の第31回衆議院議員総選挙も自民党公認で立候補するも落選。伯父二人が地元の企業経営者で、地域のリーダー格であった。うち一人の伯父は足利商工会議所会頭も務めていた。政治活動開始当初これらの親戚から資金援助を受けていた。 1969年、第32回衆議院議員総選挙に旧栃木2区から無所属で立候補し初当選。自民党から追加公認される。同期当選だった小坂徳三郎が結成した派閥横断の政策集団「新風政治研究会」に綿貫民輔・中山利生・西銘順治らとともに参加。 1974年、三木内閣で郵政政務次官に就任。1977年、福田改造内閣で大蔵政務次官に就任。 自民党内では当初船田派に属していたが、船田派解散後は最大派閥の田中派に入会。1986年、第3次中曽根内閣の環境庁長官として初入閣。 1987年7月、経世会が結成され、田中派が竹下派(経世会)、二階堂グループ、中立系に3分裂した際は残留し、二階堂グループに所属した[2]。その後、渡辺派に移った[3]。 巨額脱税事件
著書
脚注関連項目
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