徳安実蔵
徳安 実蔵(とくやす じつぞう、1900年2月13日 – 1988年2月7日)は、昭和期の政治家。正三位。総理府総務長官・郵政大臣。 来歴・人物鳥取県気高郡青谷町(現・鳥取市)に農家の三男として生まれる。幼くして両親とは死別する。青谷実業補習学校を卒業後、近所の住職と神主について2年間漢学を学んだ。『大阪新報』、『東京夕刊』記者、月刊誌『運輸』発行人を経て、芝区(現在の東京都港区)会議員を皮切りに政界入りする。芝区会議長、東京市議、港区議、同区議会議長を経て、1952年第26回衆議院議員総選挙に自由党から旧鳥取全県1区にて立候補し初当選する。以後当選9回。東京市議時代から師事していた大野伴睦の派閥(大野派)に入り、大野の死去後は村上勇→水田三喜男派に所属した。 建設政務次官、衆院建設委員長を経て、1962年第2次池田内閣第2次改造内閣にて総理府総務長官となる。在任中は生存者叙勲を復活させた。1964年には第3次池田内閣改造内閣で郵政大臣に就任。続く第1次佐藤内閣でも留任し、翌年まで務めた。1976年、1979年の総選挙で落選し政界を引退する。1988年2月7日死去。84歳没。 苦労人ながら、好々爺然とした味わいで親しまれた。1976年勲一等旭日大綬章受章。没後正三位。
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