粟山ひで
粟山 ひで(粟山 秀、もみやま ひで、1907年12月13日[1][2] - 1996年5月18日[2])は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(4期)。衆議院議員を務めた粟山博は義父、同じく衆議院議員を務めた粟山明は弟。 来歴北海道[2]空知郡歌志内町(現・歌志内市)出身[1][注釈 1]。生家は内科医であった[4]。10歳の時、伊達郡桑折町に移る[4]。福島県立福島高等女学校(現:福島県立橘高等学校)卒業後[5]、日本女子大学で学ぶ[5]。その後は義父の粟山博の秘書を務める[5]。1959年義父が死去。翌1960年の第29回衆議院議員総選挙で福島1区から自民党公認で立候補するが、次点に終わる[6]。次の1963年の第30回衆議院議員総選挙で立候補して初当選し、以来連続4期務める[2]。この間厚生政務次官、科学技術政務次官、衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長などを歴任し[2][5]、党内では総務、婦人局長、全国組織委員会副委員長などを務めた[5]。1976年の第34回衆議院議員総選挙には出馬せず、地盤を弟の明に譲った。1996年死去。 脚注注釈
出典参考文献
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