小澤太郎 (政治家)
小澤 太郎(おざわ たろう、1906年(明治39年)5月24日 - 1996年(平成8年)2月16日)は、日本の政治家。山口県知事(2期)、衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)。 経歴1906年(明治39年)山口県萩市にて生まれる[1]。再興旧制官立山口高等学校を卒業し、1930年(昭和5年) 東京帝国大学大学院法学部英法科を修了。のちに台湾総督府に勤務。総督官房文書課長、同人事課長、警務局警務課長などを歴任する。 1948年(昭和23年)山口県副知事に就任。1953年(昭和28年)山口県知事に初当選を果たす。1957年(昭和32年)山口県知事に2期目当選。 1960年(昭和35年)知事任期途中で辞職し、第29回衆議院議員総選挙に旧山口2区から自由民主党公認で立候補し当選(4期)。のちに法務政務次官、環境政務次官、行政管理政務次官などを歴任した。1977年(昭和52年) 第11回参議院議員通常選挙に山口地方区から自由民主党公認で立候補し当選(1期)し、参議院懲罰委員長を務めた。1983年(昭和58年)政界引退した。 1996年(平成8年)2月16日死去、89歳。死没日をもって従五位から従三位に叙される[2]。 人物趣味は、東洋蘭栽培・ゴルフ・柔道・乗馬[1]。 栄典知事在任中のおもな業績
家族・親類
著書
脚注
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