近畿車輛株式会社(きんきしゃりょう、英: THE KINKI SHARYO CO.,LTD.[3])は、大阪府東大阪市に本社を置く、鉄道車両などの生産を行う企業。近鉄グループに属する。略称は「近車」「KS」[注釈 1]。
概要
本社・工場の最寄駅は西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線)・徳庵駅。
戦前からの客車・電車メーカーである田中車輛が前身で、終戦後の近畿日本鉄道(近鉄)傘下入りに伴い、1945年11月に現社名に改称した(後述の沿革参照)。
田中家から近鉄に経営権が移ってからは、代々日本国有鉄道の工作局長が社長に就任していた(田中車輛の社長だった田中太一は、近畿車輛に改組後も監査役を務めていた)。国鉄分割民営化後は国鉄から帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄〈東京メトロ〉)理事を務めた運転畑の出身者が社長を務めた後、近鉄出身者が務め、その後はJR西日本の役員経験者と、近鉄の役員経験者が社長を務めている。
かつては様々な製品を製造していたが、現在は鉄道車両関連の製品のみに特化している。また、三菱重工業と業務提携を行っている。
当社から製造された車両はローレル賞やブルーリボン賞に加え、ブルネル賞を受賞した車両も数多い。
主に電車の製造を行っているが、2012年には気動車の製造にも再参入することが発表され[4]、JR四国1500形気動車 7次車を納入[5]した。車両の新造だけでなく改造も手掛けており、近鉄以外の他社製の車両の改造も行っている。
2012年5月10日、JR西日本が近鉄より発行済み株式の5 %を約11億円で取得し、近鉄に次ぐ第2位株主となると同時に、車両製造の業務提携契約を締結した[6][7][8]。
沿革
出典[9]
工場
創業当初は兵庫県尼崎市松島町に尼崎工場が設けられた[14]。その後尼崎工場は手狭となり、1922年(大正11年)尼崎市田町に組立工場が設けられた[14]。その後、1924年(大正13年)4月に大阪市北区新喜多町(現・都島区片町)に大阪工場が開設された[14]。尼崎工場の設備は1940年(昭和15年)3月に徳庵車両工場へ移転した。
1937年(昭和12年)の盧溝橋事件以降、発注が急増したため、1938年(昭和13年)6月に徳庵車両工場の建設工事に着手し、1941年(昭和16年)6月に完成した(現在の事業所)[14]。戦時中、大阪工場は京橋造船工場と改称され、兵器製造工場となった[14]。
1943年(昭和18年)2月には大阪市大正区千歳町に千歳造船工場が開設され、海軍向けの兵器製造が行われたが(後述)、戦後の1945年(昭和20年)9月に閉鎖された[14]。同月、京橋造船工場は車両製造工場に復帰した。1954年(昭和29年)12月に京橋工場の製造設備は徳庵車両工場に集約され、1970年(昭和45年)9月には京橋工場の敷地は売却された[14]。
鉄道車両
近畿日本鉄道
阪急阪神ホールディングス
阪神電気鉄道
- 第二次世界大戦前
- 第二次世界大戦後
阪急電鉄
東京地下鉄(東京メトロ、旧・帝都高速度交通営団)
銀座線用
丸ノ内線用
日比谷線用
東西線用
千代田線用
有楽町線用
半蔵門線用
近鉄・阪急阪神・東京メトロ以外の大手私鉄・地下鉄
- 第二次世界大戦前
京都市交通局(諸改造も受注)
埼玉高速鉄道
東京都交通局
京阪電気鉄道
南海電気鉄道
大阪市交通局→大阪市高速電気軌道(諸改造も受注)
- 第二次世界大戦前
- 戦後
西日本鉄道
- 1000形の一部 - 以後は川崎車輛→川崎重工→川崎車両へ一本化のため一部台車を除き取引断絶
東武鉄道
福岡市交通局
仙台市交通局
国鉄・JR・第三セクター(地下鉄を除く)
日本国有鉄道(国鉄)
新幹線電車
旧型電車
新性能電車
など
気動車
東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海旅客鉄道(JR東海)
新幹線電車
在来線
西日本旅客鉄道(JR西日本)
新幹線電車
在来線電車
気動車
四国旅客鉄道(JR四国)
電車
気動車
九州旅客鉄道(JR九州)
新幹線電車
在来線電車
気動車
北越急行
IRいしかわ鉄道
- 521系電車(新造編成、0番台は名目上はJR西日本車の受注扱い)
東海道・山陽・九州新幹線の車両はJR西日本のN700系3000番台(現・5000番台)のN12(現・K12編成)、7000番台のS8編成、JR九州のN700系8000番台のR11編成を最後に行っておらず、現在は日本車輌製造と日立製作所で製造されている。JR東海の新幹線車両は300系のJ54編成を最後に製造していない(なお、JR西日本の300系3000番台は製造しなかった)。また、北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)とは取引がない。
また、東北・上越新幹線の車両に至っては国鉄時代に200系の一部を製造したのみであり、JR東日本向けの新幹線車両は一切製造していない(JR東日本向けの新幹線車両は、主として川崎重工業と日立製作所、一部を子会社の総合車両製作所で製造される。ただし、前述のとおりJR東日本の車両がベースとなっているW7系を2編成製造した)。
準大手私鉄・中小私鉄・公営鉄道(地下鉄を除く)
など
日本国外向け
- 戦前
- 戦後
香港
九広鉄路
香港MTR(香港鉄路、改造も受注)
エジプト
カイロ地下鉄
カイロ路面電車
アレクサンドリア市電
タイ
タイ国鉄
シンガポール
マス・ラピッド・トランジット
フィリピン
マニラ・ライトレール・トランジット・システム
フィリピン国鉄
- MC・TCT形気動車
- CMC・CTC形気動車
- MCBP・TA形気動車
- 7A形客車
- 7B形荷物車
- 7S形寝台車
アメリカ合衆国
ライトレール車両が多い。70%低床車両では大きい市場シェアを占める。なお、同国では現地組み立て工場で製造するルールに基づくため、カリフォルニア州の工場で製造されている。
マサチューセッツ湾交通局
ニュージャージー・トランジット
VTAライトレール
ロサンゼルス郡都市圏交通局
メキシコ
チワワ太平洋鉄道
メキシコ国鉄
アラブ首長国連邦
ドバイメトロ
カタール
カタール鉄道・ドーハメトロ
ペルー
ブラジル
アルゼンチン
アルゼンチン国鉄
LFX-300
など
研究開発中
完成車両の輸送方法
徳庵から出場するJR西日本向けの車両は、一部の例外を除いて甲種輸送は行わず、工場から城東貨物線を経由して自力で出場してゆく。他のJR向けなどは甲種輸送が行われるが、山陽・九州新幹線車両はトレーラーと海上輸送で博多総合車両所や熊本総合車両所(大阪港―福岡港間は海上)へ、北陸新幹線車両は同じくトレーラーと海上輸送で白山総合車両所(大阪港-金沢港間は関門海峡経由で海上)へ、親会社の近鉄向け車両は狭軌の南大阪線向けも含めトレーラーによる輸送で八尾市の「高安検修センター」へ搬入される。ただ、南大阪線用車両については、以前は甲種輸送で柏原駅や吉野口駅から搬入していた時代もあった。Osaka Metroや北大阪急行など、JR線と線路がつながっていない地下鉄・私鉄向けについてもトレーラー輸送となる。
鉄道車両以外の製品
- 台車
- シュリーレン式と呼ばれる円筒案内式の台車を1950年代に、スイスのSWS社との技術提携により導入した。以後、親会社である近鉄の車両は1991年ごろまで一部を除きシュリーレン式を採用した。都営地下鉄も長らくシュリーレン式を採用していたほか、国鉄オシ17形客車などにも採用された。他に小田急SE車や近鉄10000系(ビスタカー)向けには連接台車を製造した。型番はすべて「KD」で始まる(国鉄・JR向けは国鉄・JRでの型番が、都営地下鉄向け台車は東京都交通局での型番と近畿車輛での型番の両方が付けられる)。
- 鉄道車両用窓「ATOS」
- 鉄道用の実績では、台車とともにスイスから移入した技術を使用した「シュリーレン式バランサー」による一段下降窓を採用、近鉄や国鉄157系電車などで採用された。また、国鉄583系電車や国鉄381系電車、1960年代後半以降の国鉄食堂車などで採用されたベネシャンブラインドを内蔵した日除内装窓「コンビット窓」もアメリカから近畿車輛が技術導入した建材部門の「エルミン窓」がベースである。
- ADホルダー
- JKコート
- KSクリーン
過去の製品
- バス車体
- 自動券売機
- 建材
- 集合住宅用スチール製玄関ドアの製造は1956年より開始し、日本住宅公団のいわゆる公団住宅や公営住宅向けに多数の採用例がある。その後、住宅用アルミサッシやマンション向けデザイン玄関ドアなどをKINKIブランドで当社が製造し子会社の近畿工業が販売していた。本社および埼玉県所沢市には建材の専用工場も持っていた。バブル崩壊後の建設不況で建材部門は縮小され、2001年、サッシメーカー5社[注釈 6]が共同出資して設立した軽量スチールドア製造会社 コスモ工業との合弁会社のコスモ近畿を設立して販売を移管するも、その後、建材分野そのものからの撤退を決定し、2008年9月をもって生産を終了、同年度末をもって事業を廃止し、コスモ近畿の株もコスモ工業に移った[45]
- 建材の営業部門は当初近畿工業で行い、後に統合するも、玄関ドア販売は2001年にコスモ近畿へ移管され、残る組織も2002年にトステムSDに移籍し分離された[46]。その後販売がコスモ工業をLIXILが承継した関係[47]で、LIXIL鈴木シャッターが三和ホールディングスに譲渡された後もなお、玄関ドアに関するお問い合わせ窓口はLIXILに留め置かれている[48]。
戦時中には大阪工場において日本陸軍からの91式貨車、弾薬盒、砲車など、千歳造船工場において日本海軍からの油槽船、魚雷艇、運貨船、人間魚雷「回天」などの製造も行っていた[51]。
関連子会社
- 関連子会社としてケーエステクノスが同じ敷地内にあり、車両用窓戸や内装部品などの製造を行っていた。以前は、新聞販売機、駐輪場ポスト、アルミ合金や難燃性マグネシウム合金押し出し型材を手がけていた。アルミ事業は2009年2月に、新聞販売機や駐輪場ポストは2015年3月に営業を終了・事業撤退した。1979年に「近車サービス株式会社」として設立され、1998年に現商号に変更、2000年に「近畿アルミ株式会社」を合併した後、2021年7月1日をもってケーエスサービスに吸収された[52][53]。
- なお、関連子会社であった近畿工業(現・日本ファシリオ)はすでに発行済み株式の9割を夢真ホールディングスの連結子会社へ売却しているため、現在は連結対象から外れている。同社はのちに夢真グループ時代の合併、さらに夢真からの株式譲渡でAPロジスティックスの子会社を経て綜合警備保障の子会社となったが、現在も近鉄グループ各社が株主となっている[54]。
- ケーエスデザイン(旧テクノデザイン)…2012年6月末を以て休眠会社に
- ケーエスサービス(旧きんきゴルフセンター) - ケーエステクノスを合併して商号を株式会社ケーエステクノスと改め、来客受付・案内、場内警備・清掃業務、鉄道車両納入前清掃や福利厚生サービスを受託している[53]。
- KINKISHARYO (USA) INC. (アメリカ・ボストンにある連結子会社) - 1991年設立[55]。2018年1月30日付で下記のKSインターナショナル社へ統合[55]
- KINKISHARYO International, L.L.C. (アメリカ・パームハーバーにある連結子会社)- 1999年設立[55]。2017年、カリフォルニア州パームデール市にLRV工場を建設・完成し、以降、同国向けLRVを製造している。
備考
- 当社製作の車両の走行試験の為の、試運転線が工場奥に敷設されている。 また集電装置としてパンタグラフの無い地下鉄車両などの構内試運転線では、発生品のDT33系台車の上にやぐらを組みパンタグラフを載せた集電装置を使用する。
- かつては工場と道路の間は金網の柵で仕切られており、道路から製造中の車両を見る事が出来たが、2010年にコンクリート製の柵に作り変えられて道路から試運転中の車両や製造中の車両を見る事が難しくなった。
- 当時、陸送用の搬入口と工場入口は交差点を隔てて離れていたが、前述の柵の改修工事と平行して陸送用の搬入口と工場入口が一体化された。
- 昭和初期に現在地に工場が移転してから、本社事務所は二度移転している。当初は学研都市線への車両出場線の反対側にあるマンションが建っている場所にあった。 昭和40年代にボウリングブームに乗ってボウリング場を建設・営業したが、すぐにブームが去り、ほどなく廃業。跡地に本社機能を移転した。
- 2004年に本社機能を旧技術研究所跡に移転。旧跡地は賃貸し、複合商業施設「フレスポ東大阪」となっている。2009年8月に3回目の移転を行い、旧本社跡地にはガソリンスタンドとホリデイスポーツクラブが開業した。
- 東大阪スカイハイツ、メゾン・エスポアール、近鉄バス稲田営業所およびその並びは、かつて近畿車輛の土地であった。
脚注
注釈
- ^ Kinki Sharyo。
- ^ 3000番台(現・5000番台)はN8(現・K8)、N12(現・K12)編成、7000番台はS1編成の5、6号車とS7、S8編成を製造
- ^ 日本国鉄14系座席車を基本設計とする、一両から運用可能な車両。車長は25 mで、空調装置はAU13ANを搭載し、座席も日本国鉄のグリーン車用のもの(R-20番台)とほぼ同様であるが、のちに空調装置がメキシコ三菱電機製のセゾンエアコンへ交換された車両も一定数存在する。
- ^ 上記チワワ太平洋鉄道向け一等客車と同型車であり、またその増備車である(チワワ太平洋鉄道は国有化された)。チワワ太平洋鉄道向けと合わせて120両が輸出され、その後さらに80両ほどがメキシコ国有の鉄道車両メーカー、コンカリル(スペイン語版)でノックダウン生産された。1990年代のメキシコ国内の中・長距離列車大削減により、複数の車両はキューバ鉄道へ譲渡。
- ^ 同線向け幹事を担当している。
- ^ トステム・三協アルミ(当時)・新日軽・不二サッシ・立山アルミ(当時)。
- ^ 登録番号: UC5-424番から431番まで[49]。
- ^ 1970年から1985年までの16年間に延べ約4020本が製造された[49]。
出典
参考文献
- 近畿車輌『近畿車輌のあゆみ - 創業100周年記念 - 』(2021年3月吉日発行)
- 近畿車輌『最近10年のあゆみ - 創業100周年記念 - 』(2021年3月吉日発行)
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