2009年のJリーグカップは、2009年3月25日に開幕し11月3日に国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で決勝が行われた大会である。
優勝はFC東京(5年ぶり2度目)。
大会名称
ヤマザキナビスコを冠スポンサーとして2009Jリーグヤマザキナビスコカップとして開催した。
レギュレーション
「AFCチャンピオンズリーグ (ACL) 出場チーム以外のJ1チームでグループリーグ→グループリーグ上位+ACL出場チームで決勝トーナメント」という基本的なレギュレーションは前回大会を踏襲しているが、日本からのACL出場枠が拡大(2→4)したことから、今回からグループリーグの開催方式が大幅に変更された。
- 2009年度J1リーグ参加18クラブが出場。
- 予選リーグは3月25日から開始し、それ以外の14チームを7チームずつ2グループに分けて1回戦総当りを行う。
- 試合会場は対戦チームの一方のホームゲームとして行われる。各チームともホーム3試合、アウェー3試合になるように試合会場が配分されるため、結果的にグループリーグの試合数並びにホームゲームの数は前回大会(4チームによるホーム・アンド・アウェー2回戦総当たり)と同じになる。ただし、7チームずつの奇数による配分となるため、各クラブとも1試合は試合が行われない節が必ず生ずる。
- 勝ち点の多い順にグループ内の順位を決定する(勝ち点で並んだ場合には「得失点差」「総得点数」「当該チーム間の対戦成績」「反則ポイント」「抽選」の順により優劣を決定)。各グループの上位2チームが決勝トーナメント進出。
- 決勝トーナメントは予選の上位2チームに鹿島、川崎、名古屋、G大阪を加えた8チームによって行われる。
- 準々決勝・準決勝
- 2試合における合計得点数(=得失点差)
- アウェーでの得点数(アウェーゴールルール)
- 並んだ場合は第2戦の後半終了後、引き続き15分ハーフの延長戦(アウェーゴールルールは採用せず)
- それでも決しない場合はPK戦(双方5人ずつ。決着しない場合は6人目以降サドンデス方式)
- 決勝
グループリーグ
グループA
グループB
決勝トーナメント
準々決勝、準決勝については、トーナメント表上側のチームが2戦目ホームとなる。
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準々決勝
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準決勝
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決勝
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7月15日・29日
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名古屋グランパス
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3
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9月2日・6日
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FC東京
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6
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FC東京
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3
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7月15日・29日
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清水エスパルス
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2
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清水エスパルス
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4
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11月3日
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浦和レッズ
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2
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FC東京
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2
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7月15日・29日
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川崎フロンターレ
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0
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横浜F・マリノス
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4
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9月2日・6日
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ガンバ大阪
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3
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横浜F・マリノス
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1
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7月15日・29日
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川崎フロンターレ
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3
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川崎フロンターレ(aet)
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3
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鹿島アントラーズ
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1
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準々決勝
1勝1敗、2戦合計6-3でFC東京が準決勝進出。
1勝1敗、2戦合計4-2で清水が準決勝進出。
1勝1敗、2戦合計4-3で横浜が準決勝進出。
第2戦90分終了時点で1勝1敗、2戦合計1-1、アウェーゴール0-0により延長戦実施、延長2-0(2戦合計3-1)で川崎が準決勝進出。
準決勝
FC東京の1勝1分け(2戦合計3-2)でFC東京が決勝進出。
川崎の1勝1分け(2戦合計3-1)で川崎が決勝進出。
決勝
- テレビ中継
得点ランキング
※他7選手
表彰
- 表彰制度
- 優勝:賞金1億円、Jリーグカップ(チェアマン杯)、ヤマザキナビスコカップ(スポンサー杯)、メダル
- 2位:賞金5000万円、楯、メダル
- 3位:1クラブにつき賞金2000万円、楯
- 成績
- 表彰
ワーストルーザー
川崎フロンターレの選手が試合後の表彰式において、「副賞の銀メダルをその場で外す」、「握手を拒む」、「壁に寄り掛かり、しゃがみ込む」、「ガムを噛みながら参加する」などの行為[1] を取った。
この行為について、日本サッカー協会(JFA)名誉会長の川淵三郎は「表彰式に臨む態度が非常に悪い。ワーストルーザー(最悪な敗者)だ[2]」、Jリーグチェアマンの鬼武健二は「負けたのは己の責任だ。きちんとした態度で表彰式に臨まないと全ての人に対し、失礼。賞金を返還してほしいぐらいだ[3]」、JFA会長の犬飼基昭は「スポーツ界の恥だ」と批判した一方、サッカー解説者のセルジオ越後は選手の行為に苦言を呈しつつ、その行為については「一生懸命戦って負けた悔しさが発露してしまったもの」とコメントしている。また、協会幹部らの選手に対する批判についても、スポンサーの立場を忖度し、また選手に罪を押し付けて責任を逃れるために行ったに過ぎないと批判している[4]。
川崎の運営会社である株式会社川崎フロンターレは、賞金全額5000万円の自主返還を申し出た(結果的には断られ、社会貢献に活用する事で合意し、後に川崎市へ寄付)他、代表取締役らの減俸、特に行動が問題視された森勇介の出場停止処分を科すなどの処分を行った[5]。なお、メディアもこの問題を取り上げ、産経新聞やスポーツニッポンなどは川崎の選手の行動を「悪態」と表現した[3][6]。
脚注
関連項目
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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大会 - 優勝 |
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