NSP (バンド)
NSP(エヌエスピー)は、岩手県出身の3人組のフォーク・グループ。一関工業高等専門学校の同級生であった3人が在学中の1972年に結成した。 アマチュア時代はニュー・サディスティック・ピンク (New Sadistic Pink) として、当初はロックを中心に活動していた。フォークの曲調とバンド名が合わないため、メジャーデビューする際にNSP (N.S.P.) とした。デビュー7周年のイベントで行われた「NSPの新解釈ゲーム」では「ネコ・サル・ペンギン」が優勝し、のちにNon Stop Progression、Natural Spirit Paradise、Nasa Shopping Plazaなどがキャッチコピーに使われる。 経歴1972年に、サディスティック・ピンクの天野と平賀が、それまで別のバンドで活動していた中村と組んで、ニュー・サディスティック・ピンクを結成する。オーディオマニアの同級生らが、高専祭の「喫茶NSP」のライブを録音してポプコンの応募にも使用されたデモテープを、NHK盛岡放送局のFMリクエストアワーに持込むと、放送されて11週間連続1位となる。 高専在学中の1973年に第5回ヤマハポピュラーソングコンテストに応募して、楽曲「あせ」でニッポン放送賞を受賞し、6月に「さようなら」でデビューする。1974年に高専卒業を機に上京する。天野滋は、NSPがプロになったきっかけは「高専在学中に、仲間と組んで学園祭なんかで演奏していたら、レコード会社から『ただでレコードが作れるぞ』という話がきたから」と述べている[1]。1974年に「夕暮れ時はさびしそう」がオリコン11位の大ヒットに、同年のアルバム『NSP III ひとやすみ』はオリコン4位のヒットを記録。その後も、1976年「赤い糸の伝説」がヒットし、叙情派フォークを代表するグループとなる。 1980年代に入りメンバーそれぞれが作曲、プロデュースなどソロ活動が多くなり、1985年には中村貴之が脱退する。澤近泰輔、深浦昭彦を加えて活動するも1987年に平賀和人の脱退を機に、活動を停止する。のちに天野滋はソロで活動を開始する。平賀はNSPの所属レコード会社であったポニーキャニオンにディレクターとして入社し、平松愛理、GO-BANG'S、瀬戸朝香、Melodyなどの作品を担当した。 2002年にオリジナルメンバーで再結成し、1月26日に日本青年館大ホールで復活後初コンサートを催す。チケットは1時間で完売した。[要出典] 2005年2月に19年ぶりの新曲シングル「水のせいだったんです」、アルバム『Radio Days』を発売したが、7月1日午後7時8分にリーダーの天野滋が療養中の病院で脳内出血のために他界する。天野は大腸癌で闘病中も、全国ツアーや諸活動を続けた。 2008年6月に中村貴之はソロ活動を開始し、ミニ・アルバムを発売した。 2019年3月20日から「夕暮れ時はさびしそう」が東北新幹線一ノ関駅で発車メロディーに使用されている。 2019年7月1日に「夕暮れ時はさびしそう」の舞台となった磐井川堤防に「N.S.Pメモリアルスポット」[2]が設置された。 平賀と細坪基佳によるユニット「スリーハンサムズ」としても活動していた中村は、2021年11月27日に肺がんで他界[3][4][5]する。 2022年11月に一関市市勢功労者表彰(教育文化功労)[6]を受ける。 メンバー
ディスコグラフィーシングル
アルバムオリジナル・アルバム
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
セルフカバー・アルバム
CD-BOX
タイアップ曲
関連項目脚注
外部リンク
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