アダルベルト・モンデシー
ラウル・アダルベルト・モンデシー(Raúl Adalberto Mondesí, 1995年7月27日 - )は、 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身(ドミニカ共和国育ち[2])のプロ野球選手(内野手)。右投両打。フリーエージェント(FA)。 MLBの外野手として活躍したラウル・モンデシーを父に持ち[3]、実兄のラウル・モンデシー・ジュニアも元プロ野球選手[4]。 経歴プロ入りとロイヤルズ時代2011年7月27日、16歳の誕生日を迎えたこの日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約してプロ入り[5]。 2012年に傘下のパイオニアリーグのルーキー級アイダホフォールズ・チュカーズでプロデビューし、50試合に出場して打率.290、3本塁打、30打点、11盗塁を記録した。 2013年はA級レキシントン・レジェンズでプレーし、125試合に出場して打率.261、7本塁打、47打点、24盗塁を記録した。 2014年はA+級ウィルミントン・ブルーロックスでプレーし、110試合に出場して打率.211、8本塁打、33打点、17盗塁を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、ピオリア・ハベリーナズに所属した。 2015年はAA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズでプレーし、81試合に出場して打率.243、6本塁打、33打点、19盗塁を記録した。7月にはオールスター・フューチャーズゲームにも選出された[6]。レギュラーシーズン終了後の10月、ロイヤルズがワールドシリーズ(対ニューヨーク・メッツ)に進出すると、モンデシーもロースター入りした[7]。そして第3戦の5回表に投手のダニー・ダフィーの代打として史上初のワールドシリーズでのメジャーデビューを果たした(結果はノア・シンダーガードの前に空振り三振)[8][9]。 2016年は開幕からAA級ノースウエストアーカンソーでプレーしていたが、5月10日に薬物検査で筋肉増強剤のクレンブテロールが検出され、50試合の出場停止処分を受けた。当初は通常の80試合の出場停止処分が適用されるところだったが、風邪薬に含まれていたものだったとして50試合に軽減された[10]。処分が明けるとマイナーでの出場を経て、7月26日のロサンゼルス・エンゼルス戦でメジャー公式戦初出場を果たした。復帰後は一定の出場機会を与えられ、最終的には47試合に出場。打率.185、2本塁打、13打点だったが、本塁打よりも多い3三塁打を記録、成功率9割で9盗塁を決めた。 2017年は開幕をメジャーで迎えたが、不振で1ヶ月と持たずマイナーに降格。9月に再昇格したが、25試合の出場に留まった。 2018年の開幕前に登録名を「ラウル・モンデシー」から「アダルベルト・モンデシー」変更した。父や兄の名前と区別するためにミドルネームを登録名にした[11]。開幕をマイナーで迎えるも、6月にメジャーに昇格すると、その後はアルシデス・エスコバーの不振もあってメジャーに定着した。75試合に出場し、課題の打撃では打率.276、14本塁打、37打点と向上した。また、少ない出場機会ながらアメリカンリーグ4位の32盗塁を記録した。 2019年は正遊撃手として出場していたが、6月に鼠径部の張りで[12]、7月と9月に左肩の痛み[13]で多く欠場した。主に2番打者として102試合に出場し、規定打席には届かず、打率.263、9本塁打、62打点、43盗塁(ア・リーグ2位、マレックス・スミスと3個差)、10三塁打(同1位)などを記録した。前年に比べて打撃は低下したが、守備は守備率.984と向上した。 2020年は新型コロナウイルスの影響で60試合の短縮シーズンとなる中、59試合に出場し、ア・リーグの盗塁王(24盗塁)のタイトルを獲得した。 2021年はハムストリングの負傷で3度も負傷者リスト入りするなどプレーできない期間が長く、わずか35試合の出場にとどまった[14]。 2022年は4月26日のシカゴ・ホワイトソックス戦の試合中に左膝前十字靭帯を断裂。5月に手術を行い、残りのシーズンを欠場した[15]。 レッドソックス時代2023年1月24日にジョシュ・テイラーとのトレードで、後日指名選手[注 1]とともにボストン・レッドソックスに移籍した[16]。3月30日に左前十字靭帯損傷のため60日間の負傷者リスト入りした[17]。オフの11月3日にフリーエージェント(FA)となった[18]。 プレースタイル俊足かつ強肩で、守備もハイセンスな打球判断を備える。打撃は忍耐強さなど課題が多い[19][20]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
タイトル
記録
背番号
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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