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カルロス・モヤ Carlos Moya |
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カルロス・モヤ | 基本情報 |
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フルネーム |
Carlos Moyá Llompart |
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国籍 |
スペイン |
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出身地 |
バレアレス諸島・パルマ・デ・マヨルカ |
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生年月日 |
(1976-08-27) 1976年8月27日(48歳) |
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身長 |
190cm |
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体重 |
86kg |
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利き手 |
右 |
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バックハンド |
両手打ち |
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ツアー経歴 |
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デビュー年 |
1995年 |
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引退年 |
2010年 |
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ツアー通算 |
20勝 |
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シングルス |
20勝 |
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ダブルス |
0勝 |
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生涯通算成績 |
599勝369敗 |
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シングルス |
575勝319敗 |
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ダブルス |
24勝50敗 |
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生涯獲得賞金 |
$13,443,970 |
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4大大会最高成績・シングルス |
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全豪 |
準優勝(1997) |
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全仏 |
優勝(1998) |
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全英 |
4回戦(2004) |
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全米 |
ベスト4(1998) |
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優勝回数 |
1(仏1) |
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4大大会最高成績・ダブルス |
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全豪 |
ベスト8(2001) |
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国別対抗戦最高成績 |
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デビス杯 |
優勝(2004) |
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キャリア自己最高ランキング |
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シングルス |
1位(1999年3月15日) |
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ダブルス |
108位(2001年10月29日) |
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カルロス・モヤ・リョンパルト(Carlos Moyá Llompart、1976年8月27日 - )は、スペイン・パルマ・デ・マヨルカ出身のプロテニス選手。
1998年全仏オープン男子シングルス優勝者である。ATPツアーでシングルス20勝を挙げた。ATPランキング自己最高位はシングルス1位、ダブルス108位。身長190cm、体重86kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。非常に強力なストロークを武器にした。
選手経歴
1995年にプロ転向。1997年全豪オープン1回戦で大会前年優勝者のボリス・ベッカーを破る大波乱を演じ、勢いに乗って決勝まで勝ち進んだが、ピート・サンプラスに完敗して準優勝になる。当時20歳だったモヤはロック歌手を思わせる長髪とダイナミックなプレーで一躍大会の人気者になり、"ヨーロッパのアガシ"とまで呼ばれたという。
1998年全仏オープン決勝で、アレックス・コレチャとのスペイン対決を制して4大大会初優勝を達成。この年は全米オープンでもベスト4進出を果たしたが、準決勝でマーク・フィリプーシスに敗れる。
1999年3月15日付の世界ランキングで、スペイン選手として初の男子シングルス世界ランキング1位となる。大会前年優勝者として臨んだ1999年全仏オープンでは、4回戦で第13シードのアンドレ・アガシに敗れた。その後モヤの4大大会での活躍は少ないが、2004年度にはATPツアーのシングルスで3勝を挙げ、世界トップ10選手の座を維持した。またこの年はオリンピックのスペイン選手団の一員として2004年アテネ五輪に単複両部門で出場。後輩選手のラファエル・ナダルと組んで出場したダブルスは1回戦でアンドレ・サ/フラビオ・サレッタ組に敗れたが、第3シードで出場したシングルスでは同大会優勝者となるニコラス・マスーとの準々決勝まで進出した。デビスカップ決勝でも、アメリカ代表のマーディ・フィッシュとアンディ・ロディックを破りデビスカップスペイン代表の優勝に貢献した。
2010年に足の故障を理由に現役を引退した[1]。私生活では2010年に女優のカロリナ・セレスエラ(英語版)との間に女児が誕生。2011年7月に結婚している。
2016年はミロシュ・ラオニッチのコーチを務め、ラオニッチの世界ランキング3位への躍進に貢献した。2017年からラファエル・ナダルのコーチを務めている。
プレースタイル
強力なストローク力、リターン力をいかしたストロークプレイヤーで、ストローカーとしてはサーブも強力であった。
スペインを代表するプレイヤーの一人。1993年全仏オープンと1994年全仏オープンで2連覇したセルジ・ブルゲラの後を受けて、1990年後半に、 1998年全仏オープン優勝、1997年全豪オープン準優勝、1998年全米オープンベスト4等と活躍。
スペインにはクレーコートが最も多いため、回転量の多いトップスピンでひたすらボールをつなげ続ける、守備的スタイルが主流であったが、モヤは、ヘビー・トップスピンはそのままに、より激しくボールを叩くことで、攻撃性を増したテニスを実現。クレーコートだけでなく「ハードコートでも通用するスペインテニス」に進化させたモヤの功績は大きい。
ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 44回 (20勝24敗)
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サーフェス別タイトル
|
ハード (4-12)
|
クレー (16-12)
|
芝 (0-0)
|
カーペット (0-0)
|
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結果
|
No.
|
決勝日
|
大会
|
サーフェス
|
対戦相手
|
スコア
|
優勝
|
1.
|
1995年11月13日
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ブエノスアイレス
|
クレー
|
フェリックス・マンティーリャ
|
6-0, 6-3
|
準優勝
|
1.
|
1996年5月6日
|
ミュンヘン
|
クレー
|
スラバ・ドセデル
|
4-6, 6-4, 3-6
|
優勝
|
2.
|
1996年8月19日
|
ウマグ
|
クレー
|
フェリックス・マンティーリャ
|
6-0, 7-6(7-4)
|
準優勝
|
2.
|
1996年9月16日
|
ブカレスト
|
クレー
|
アルベルト・ベラサテギ
|
1-6, 6-7(5-7)
|
準優勝
|
3.
|
1997年1月13日
|
シドニー
|
ハード
|
ティム・ヘンマン
|
3-6, 1-6
|
準優勝
|
4.
|
1997年1月27日
|
全豪オープン
|
ハード
|
ピート・サンプラス
|
2-6, 3-6, 3-6
|
準優勝
|
5.
|
1997年8月4日
|
アメルスフォールト
|
クレー
|
スラバ・ドセデル
|
6-7(4-7), 6-7(5-7), 7-6(7-4), 2-6
|
準優勝
|
6.
|
1997年8月18日
|
インディアナポリス
|
ハード
|
ヨナス・ビョルクマン
|
3-6, 6-7(3-7)
|
優勝
|
3.
|
1997年8月25日
|
ロングアイランド
|
ハード
|
パトリック・ラフター
|
6-4, 7-6(7-1)
|
準優勝
|
7.
|
1997年9月15日
|
ボーンマス
|
クレー
|
フェリックス・マンティーリャ
|
2-6, 2-6
|
優勝
|
4.
|
1998年5月27日
|
モンテカルロ
|
クレー
|
セドリック・ピオリーン
|
6-3, 6-0, 7-5
|
優勝
|
5.
|
1998年6月8日
|
全仏オープン
|
クレー
|
アレックス・コレチャ
|
6-3, 7-5, 6-3
|
準優勝
|
8.
|
1998年10月5日
|
マヨルカ
|
クレー
|
グスタボ・クエルテン
|
7-6(7-5), 2-6, 3-6
|
準優勝
|
9.
|
1998年11月30日
|
ハノーファー
|
ハード
|
アレックス・コレチャ
|
6-3, 6-3, 5-7, 3-6, 5-7
|
準優勝
|
10.
|
1999年3月8日
|
インディアンウェルズ
|
ハード
|
マーク・フィリプーシス
|
7-5, 4-6, 4-6, 6-4, 2-6
|
優勝
|
6.
|
2000年4月17日
|
エストリル
|
クレー
|
フランシスコ・クラベット
|
6-3, 6-2
|
準優勝
|
11.
|
2000年10月23日
|
トゥールーズ
|
ハード (室内)
|
アレックス・コレチャ
|
3-6, 2-6
|
準優勝
|
12.
|
2001年4月30日
|
バルセロナ
|
クレー
|
フアン・カルロス・フェレーロ
|
6-4, 5-7, 6-3, 3-6, 5-7
|
優勝
|
7.
|
2001年7月23日
|
ウマグ
|
クレー
|
ジェローム・ゴルマール
|
6-4, 3-6, 7-6(7-2)
|
優勝
|
8.
|
2002年3月4日
|
アカプルコ
|
クレー
|
フェルナンド・メリジェニ
|
7-6(7-4), 7-6(7-4)
|
準優勝
|
13.
|
2002年4月22日
|
モンテカルロ
|
クレー
|
フアン・カルロス・フェレーロ
|
5-7, 3-6, 4-6
|
優勝
|
9.
|
2002年7月15日
|
ボースタード
|
クレー
|
ユーネス・エル・アイナウイ
|
6-3, 2-6, 7-5
|
優勝
|
10.
|
2002年7月22日
|
ウマグ
|
クレー
|
ダビド・フェレール
|
6-2, 6-3
|
優勝
|
11.
|
2002年8月12日
|
シンシナティ
|
ハード
|
レイトン・ヒューイット
|
7-5, 7-6(7-5)
|
準優勝
|
14.
|
2002年9月30日
|
香港
|
ハード
|
フアン・カルロス・フェレーロ
|
3-6, 6-1, 6-7(4-7)
|
優勝
|
12.
|
2003年2月17日
|
ブエノスアイレス
|
クレー
|
ギリェルモ・コリア
|
6-3, 4-6, 6-4
|
準優勝
|
15.
|
2003年3月31日
|
マイアミ
|
ハード
|
アンドレ・アガシ
|
3-6, 3-6
|
優勝
|
13.
|
2003年4月21日
|
バルセロナ
|
クレー
|
マラト・サフィン
|
5-7, 6-2, 6-2, 3-0 途中棄権
|
優勝
|
14.
|
2003年7月21日
|
ウマグ
|
クレー
|
フィリッポ・ボランドリ
|
6-4, 3-6, 7-5
|
準優勝
|
16.
|
2003年10月13日
|
ウィーン
|
ハード (室内)
|
ロジャー・フェデラー
|
3-6, 3-6, 3-6
|
優勝
|
15.
|
2004年1月5日
|
チェンナイ
|
ハード
|
パラドーン・スリチャパン
|
6-4, 3-6, 7-6(7-5)
|
準優勝
|
17.
|
2004年1月19日
|
シドニー
|
ハード
|
レイトン・ヒューイット
|
3-4 途中棄権
|
優勝
|
16.
|
2004年5月1日
|
アカプルコ
|
クレー
|
フェルナンド・ベルダスコ
|
6-3, 6-0
|
優勝
|
17.
|
2004年5月3日
|
ローマ
|
クレー
|
ダビド・ナルバンディアン
|
6-3, 6-3, 6-1
|
準優勝
|
18.
|
2004年2月16日
|
ブエノスアイレス
|
クレー
|
ギリェルモ・コリア
|
4-6, 1-6
|
優勝
|
18.
|
2005年1月3日
|
チェンナイ
|
ハード
|
パラドーン・スリチャパン
|
3-6, 6-4, 7-6(7-5)
|
準優勝
|
19.
|
2005年8月1日
|
ウマグ
|
クレー
|
ギリェルモ・コリア
|
2-6, 6-4, 2-6
|
準優勝
|
20.
|
2006年1月9日
|
チェンナイ
|
ハード
|
イワン・リュビチッチ
|
6-7(6-8), 2-6
|
優勝
|
19.
|
2006年2月13日
|
ブエノスアイレス
|
クレー
|
フィリッポ・ボランドリ
|
7-6(8-6), 6-4
|
準優勝
|
21.
|
2007年1月15日
|
シドニー
|
ハード
|
ジェームズ・ブレーク
|
3-6, 7-5, 1-6
|
準優勝
|
22.
|
2007年3月5日
|
アカプルコ
|
クレー
|
フアン・イグナシオ・チェラ
|
3-6, 6-7(2-7)
|
優勝
|
20.
|
2007年7月29日
|
ウマグ
|
クレー
|
アンドレイ・パベル
|
6-4, 6-2
|
準優勝
|
23.
|
2008年2月17日
|
コスタ・ド・サイペ
|
クレー
|
ニコラス・アルマグロ
|
6-7(4-7), 6-3, 5-7
|
準優勝
|
24.
|
2008年9月14日
|
ブカレスト
|
クレー
|
ジル・シモン
|
3-6, 4-6
|
4大大会優勝
- (全豪オープン準優勝:1997年)
4大大会シングルス成績
- 略語の説明
W
|
F
|
SF
|
QF
|
#R
|
RR
|
Q#
|
LQ
|
A
|
Z#
|
PO
|
G
|
S
|
B
|
NMS
|
P
|
NH
|
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、 カルロス・モヤに関連するカテゴリがあります。
タイトル
|
先代 ピート・サンプラス
|
世界ランキング1位 1999年5月15日 – 1999年5月28日
|
次代 ピート・サンプラス
|
テニス男子シングルス世界ランキング1位 |
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- 1973年8月23日のATPランキング導入以降の記録
- (最初に在位した年-最後に在位した年 - 在位総週)
- 2023年9月2日付、そのときの1位は強調●表示,
|
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