ホンダ・シティ
シティ(CITY、鋒範)は、本田技研工業が生産・販売している小型自動車である。 また、本項では下記のモデルについても便宜上記述する。
概要1.2L級の小型車であった初代シビックは、1979年の2代目へのフルモデルチェンジによって1.5L級へとクラスアップし、車体も大型化された。このため初代シビックのポジションであった1.2L級の穴を埋めるべく、シビックよりも廉価な小型車が開発されることになった。当時、ホンダは軽乗用車事業から一時撤退していた[注 1]ことや、他社に比べて小規模なディーラーを抱えており、低価格の小型車を必要としていた背景もあった。 このような経緯から1981年に発売されたのが初代シティである。設計に際しては小型車の欠点である居住性を補うため、当時の乗用車ではタブーとされていた全高の高いスタイルを採用した[1]が、「トールボーイ」と呼ばれる斬新なデザインから話題を呼び、一大ブームを巻き起こした。 1986年には2代目にフルモデルチェンジしたが、初代のようなヒット作とはならず、1995年をもって日本国内ではモデル廃止となった。シティが受け持っていた販売マーケットは、ロゴを経てフィットが継承している。 日本国内でのモデル廃止後、1996年には新興国向けのBセグメントクラスに相当する4ドア小型セダンとして車名が復活した(通算3代目)。日本では4代目がフィットアリア、6代目がグレイスとしてそれぞれ導入された。 初代 AA/VF型(1981 - 1986年)
2代目 GA1/2型(1986 - 1995年)
1986年10月31日に発表・発売された。キャッチコピーは「才能のシティ」。CMソングはトーキング・ヘッズの「Road to Nowhere」。 このモデルチェンジにおいて、コンセプトに大きな変化があり、「クラウチングフォルム」と呼ばれたロー&ワイドなデザインとなり、軽量な車重(ベーシックグレードは680kg)と相まって、走行性能の向上がなされた。エンジン構成はD12A型(1カム4バルブのSOHCエンジンは1986年当時、国産車としては初のメカニズム)のみで、装備品等の違いによって「GG」/「EE」/「BB」の3グレードで商品展開を行った。 1988年10月、マイナーチェンジが行なわれ,主力エンジンはD13C型に変更された。この時従来のシングルキャブ仕様に加え、PGM-FI仕様が追加された。シングルキャブ仕様は、1.2Lの「BE」の他1.3Lの「CE」/「CG」が設定され、PGM-FI仕様は「CR-i」/「CZ-i」の2グレード構成となった。キャッチコピーは「CITY NEURON」。CMソングはトーマス・ドルビーの「彼女はサイエンス」。 中期には販売力強化を目的に、「CE」の装備を充実させたお買い得グレード「CE Fit」、PGM-FI仕様では「CR-i」ベースの限定高級グレードである「CR-i Limited」が投入され、後期には「CZ-i」グレードにマイナーチェンジが施される。 最終的に販売終了時点では、グレードの統廃合により「Fit」[注 5]/「CR-i」/「CZ-i」の3グレード構成となる。 初代と大きく変化したエクステリアや、ターボなど高性能グレードの未設定といった商品力の乏しさがユーザーには受け入れられず、売れ行きは低迷し1994年3月[4]に生産中止、翌1995年12月末[5]を以って販売終了。シティという名称を持つ日本国内及び欧州向けハッチバックはこの代で途絶え、GA系車両としては1996年に「ロゴ」(GA3/5)が実質的な後継車種として発売された[注 6]。生産終了前月までの国内新車登録台数の累計は16万7,521台[6]。 3代目 3A2/3型(1996 - 2002年)
1996年、新興国をターゲットに開発された(いわゆるアジアカー)小型セダンで「シティ」の車名が復活した。 EK型シビックセダン(シビックフェリオ)をベースにしているが、さまざまな改良・コストダウンが図られている。1996年4月にタイのアユタヤ市に建造した新工場で、70%の部品を現地調達により生産が開始された。1997年2月までには14,352台がタイ国内で販売され、1996年の45万バーツ以下のセグメントにおいて66%のシェアを得ている[7]。タイでの生産を手始めに、台湾、フィリピン、マレーシア、パキスタン、インドで次々に生産が開始された。 エンジンは当初1.3Lのみであったが、後に1.5Lが追加された。グレードは主に「LXi」、「EXi」の2種類がある。下位グレードの「LXi」はパワーステアリングやパワーウィンドウ、カーラジオなどが省かれた最低限の仕様となっている。前期型のバンパーは輸送コストを抑えるため3分割構造となっていた。 2000年にフェイスリフトが行われ、「City Type Z」と名称が変更された。3分割バンパーは一般的な一体成形に変更される。2001年に登場した「VTi」は、115hpのSOHC16バルブ VTECエンジンが搭載され、四輪ディスクブレーキや、リアスタビライザーが付くなどスポーティな仕様となっている。
4代目 GD6/8/GE1/4型(2002 - 2008年)
→日本仕様の詳細はフィットアリアを参照
2002年発表。フィットをベースに、東南アジアのみならず中国市場などもターゲットにした国際戦略車種として開発された。ホンダオートモービル(タイランド)カンパニー・リミテッドや広汽ホンダなどで生産され、日本でもタイからの輸入車がフィットアリアの名前で販売されていた。タイとインドではフェイスリフト後は「City ZX」とネーミングされているが、その他地域は「City」のままである。当初、1.5Lモデルは8バルブ仕様のみであったが、後にVTEC・16バルブ仕様のほか、1.3Lも追加された。それぞれMTとCVTがあり、グレード構成は国によって異なる。後席はベースとなったフィットから“ウルトラシート”が継承されているが、インド向けではコストダウンおよびLPGタンク搭載を前提とし、固定式に変更されている。 2005年9月にはフェイスリフトを行った新型が発表され、10月にタイ、マレーシアで発売された。一番の変更点は新しいエクステリアで、フロントグリル、ヘッドライト、フォグライト、テールライト、バンパーが新しくなり、フロントエンドが65mm、リアエンドが15mm長くなった。ドアミラーは電動格納式に変更。i-DSI、VTECの両グレードとも15インチのアルミホイールが標準となった。インテリアの変更点はわずかだが、ドライバーアームレストの改良やマップライトの追加がある。 エンジンは変わらないが、インテークマニホールドが改良され、吸入空気の温度が10%下がっている。サスペンションもアップグレードされた。タイ、フィリピン、パキスタン、シンガポール、マレーシアではi-DSI、VTEC 両グレードにCVTを用いている。CVTは7速マニュアルモードを持つ、パドルシフトが付く。 2008年5月末には全世界での累計販売台数が100万台を超え、ホンダの基幹車種と位置付けられている[注 7]。 中国では、現地合弁会社の広汽本田が自主ブランド「理念」(Everus)の最初の市販車として、シティをベースにした理念・S1を2010年末の広州国際モーターショーにて発表し[8]、2011年4月18日に発売した[9]。
5代目 GM2型(2008 - 2013年)
2008年9月10日発表。エクステリアはコンパクトながら存在感のあるフォルムを、インテリアは開放感と安心感との両立を目標にデザインされた。エンジンは2代目フィットと共通のL15A型を搭載し、出力・燃費・環境性能の進化を目指した。フィリピン、パキスタンなどでは1.3L、中国では1.8Lもラインナップされる。 インドではシティが2008年の発売以来中型セダンのベストセラーとなり[10]、これまでシティの最大のマーケットであったタイを凌ぐまでになった。2010年10月には内装にレザーシートなどを装備するラグジュアリー仕様の「エクスクルーシブ」が発表された。なお、先代型のインド仕様において省略されていたウルトラシートは、今回も採用されていない。 2009年2月オーストラリアにおいてシティが発表された。1.5Lの「VTi」と「VTi-L」の2モデルが用意されタイから輸入される。2009年からブラジルでも生産が開始され、[11]。搭載されるエンジンは1.5L SOHC16バルブ i-VTECのみで、フレックスフューエル対応が施されている。 南アフリカでは2011年より新型バラードとしてシティを販売する[12]。 2011年9月にフェイスリフトが行なわれ、フロントグリルや前後バンパー、テールランプデザインが変更されたほか、全長が20mm伸び、最低地上高が160mmから165mmになった。内装にも手が加えられている。デュアルエアバッグが標準装備となった。
6代目 GM6型(2014 - 2020年)
→日本仕様の詳細はグレイスを参照
ホンダが進めるグローバルオペレーション改革の一翼を担う車両として、3代目フィットをベースに開発され[13]、2013年11月25日にインドで発表された。インド向けの生産はホンダカーズインディア・リミテッド(HCIL)で行なわれ翌2014年1月より発売を開始した[14]。 コンセプトは「Advanced and Cool Stunner」で、クールでスポーティなデザインと広い室内、クラストップの燃費と快適性を持った車を目指した。ボディサイズは大きく変わらないもののホイールベースが先代より50mm伸びた結果、室内空間が歴代最大の広さになった。 エンジンはそれまでのガソリンエンジンに加え、アメイズに次いでディーゼルエンジンも設定。インドでは「E」、「S」、「SV」、「V」、「VX」の5グレードの展開で、それぞれディーゼルとガソリンエンジンが選択できる。トランスミッションはガソリンモデルが5速MT、ディーゼルモデルが6速MTが標準装備となり、ガソリンエンジンの上位グレード、V、VXのみにCVTが設定される。 全グレードにマルチインフォメーションコンビネーションメーターという多機能メーターが装備され、上位モデルではタッチパネル操作エアコンや、後部座席用充電ポート付エアコンベントなども装備される。 2014年1月23日にはタイでも販売が開始された[15]。E85燃料に対応、インド仕様にはない6エアバッグ、VSA、ヒルスタートアシストなどの安全装備が用意される[16]。 2014年6月、台湾市場にて発表。ガソリンモデルのみ投入される。 2014年12月1日、グレイスの車名で日本市場において発売開始した。発売当初はオリジナルとは異なる事にハイブリッド専用車種であったが、2015年6月19日にガソリン車が追加発売された。 2015年4月18日、広汽本田汽車が上海モーターショーにてシティ(中国名:鋒範)を発表、同年8月28日販売開始。 2015年9月22日、東風本田汽車がグレイズ(中国名:哥瑞)を発表、同年11月7日販売開始。シティと前後デザインが異なる中国専用の姉妹車である。その後、2020年末を以って後述するジーニアと共に生産・販売終了。 2016年9月2日、東風本田汽車がジーニア(中国名:竞瑞)を発表、翌10月末発売開始。グレイズをベースに5ドアファストバックセダン化したモデルとなる。その後、2020年末を以って生産・販売終了。 2021年4月、パキスタンにて現地生産・販売開始。
7代目 GN1型(2019年 - )
2019年11月、タイ王国で発表。翌2020年からシンガポール、マレーシア、フィリピン、ベトナム市場に順次投入される。ボディサイズは先代より一回り拡大された。ホイールベースは先代と同一(ただしタイ仕様のみ11mm短縮)。 また、これまでは4ドアセダンのみであったが、2020年11月24日にはタイで5ドアハッチバックが発表され、ラインナップに加わった[17][18][19]。一部市場ではそれまでジャズ/フィットに代わるものとみられている[17]。ただし、シティハッチバックはフィット/ジャズより一回り大柄である。 グレードの設定は地域によって異なるが、最上位グレードとして外観をスポーティーに仕立てた「RS」が設定される。 エンジンはタイ仕様のみ同国政府のエコカー認定基準を満たすためにインタークーラー付きターボチャージャーを搭載した1.0L・直列3気筒DOHC12バルブガソリンエンジンが搭載される。それ以外と国・地域向けには1.5L・直列4気筒DOHC16バルブガソリンエンジンが搭載される。トランスミッションは全車CVTのみとなる。 また、2020年8月にはe:HEV仕様がマレーシアで世界デビューを飾った。RSグレードに1.5L・直列4気筒DOHC16バルブアトキンソンサイクルガソリンエンジンが搭載され、Honda SENSING、Honda LaneWatchといった運転支援システムも装備される[20][21][22]。同年11月24日にはタイでもe:HEV仕様のRSがラインナップに加わった[23]。 2023年3月、インドでマイナーチェンジ発表、同年6月にはタイで発表される。
生産現在シティはアユタヤ(タイ)、グレイターノイダ(インド)、ラホール(パキスタン)、アローガジャ(マレーシア)、広州(中国)、サンタローザ(フィリピン)、アダパザル(トルコ)などで生産されている。 2011年よりアルゼンチンカンパーナの新工場での生産を開始。2011年まではブラジルのスマレーでも生産していた。 車名の由来(CITY)は英語で都市を意味する。都会的な感覚を持つ行動派の若者がターゲットであることに由来する。 モータースポーツ初代「ターボII」によるワンメイクレース「シティブルドッグレース」が開催されていた。専用のエアロパーツを装備した戦闘的なスタイルだったが、重心の高さ、ホイールベースとトレッドとのバランス及びタイヤの設定[注 8]等から横転する車両が相次いだ。1984年にはカメラを積んでいた松田秀士も鈴鹿サーキットの1コーナーで横転し、リタイアしている。また、走行中のハンドルの不安定さを指摘していた。 2代目後期モデル「CR-i」(GA2型)は、軽快なエンジンフィール、軽量なボディと低重心、四隅に配置されたタイヤやシンプルなサスペンション構成を活かして、レース、ラリー、ジムカーナ、ダートトライアルといった多くのモータースポーツで活躍した。燃費性能にも優れており、N1耐久シリーズ(現:スーパー耐久)のような耐久レースでも強さを発揮した。 コーナースピードと脱出加速能力がものを言う中小規模サーキットでの走行では、上位クラスにとっても侮れない存在であり、特にジムカーナでは、2003年にレギュレーションが変更されるまでのA1クラス[注 9]において、この車でなければ勝てなかった[2]と言われていた。更には高いチューニング耐性から、改造車クラスであるC1クラス(現:SCクラス)でも多数が出走した。登場から30年が経った2018年時点でも全日本シリーズに参戦している車両がある。 現在も、競技ライセンスを必要としない非公式競技では参加台数も少なくない。 この頃のホンダ車は『紙のボディ』であるとよく言われていたが、本車もボディ剛性が高いとはいえない。 3代目タイで「City-R」ワンメイクレースが行われていた。 テレビCM1981年の初代シティ発売時には、イギリスのスカバンド・マッドネスを起用したテレビCMが話題を呼び、井上大輔作曲、マッドネス演奏・歌唱の「シティ・イン・シティ(In The City)」に「ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダ」を連呼する合いの手が入ったCMでも有名になった[24]。CM中でマッドネスのメンバーが踊るダンスも「ムカデダンス」(正確にはナッティー・ウォーク)として流行した[25]。 このCMで使われた歌やムカデダンスは、当時の人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』で加トちゃんケンちゃんがギャグのネタにするほどであった。当時のホンダ四輪宣伝担当は、発売前のホンダ社内での会議で「加藤茶と志村けんにムカデダンスをやってもらいたかった」と発言していたが、加藤と志村への根回しはしておらず、またCMに2人を起用することもなかった。しかし偶然ではあったが、その発言が違う形で現実となった[25]。 1982年にはソフト99が、初代CMのパロディCMを製作し放送。作中に本物のシティが使われた。また、1980年代には石川県輪島市の観光ホテル高州園(現・ホテルこうしゅうえん)のCMにおいても、ムカデダンス及び扇のポーズがパロディされている。 1985年にはジュリアン・レノンが出演し、自身の曲である「ヴァロッテ」「セイ・ユア・ロング」「トゥー・レイト・フォー・グッドバイ」が使用された。 1996年の新興国向け小型セダンとして3代目が発売された当時は、台湾でのCMソングとして林佳儀歌唱の「I Love My City」が使用された。この曲は初代のCMに引き続き、井上大輔が作曲を手がけている。 エピソード
販売店初代は発売時からホンダ店で、1985年にホンダプリモ店、ホンダクリオ店設立後はプリモ店、クリオ店の併売となり、2代目はクリオ店専売車として取り扱っていた。 脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
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