堀田正昭堀田 正昭(ほった まさあき、1883年(明治16年)7月1日[1] - 1960年(昭和35年)7月25日[2])は、日本の外交官。駐チェコスロバキア公使、駐スイス公使、駐イタリア大使。 経歴検事・法学者堀田正忠の長男として東京府に生まれる[1]。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業し、翌年に外交官及領事官試験に合格した[1]。外交官補としてフランス、中華民国に勤務した[3]。公使館三等書記官、大使館二等書記官、同一等書記官、外務書記官・大臣官房人事課長などを歴任し、その間に中国・ドイツ・イタリアに勤務した[3]。1926年(大正15年)、外務省欧米局長に就任[3]。1931年(昭和6年)、駐チェコスロバキア公使となり、1934年(昭和9年)に駐スイス公使に転じた[3]。1935年(昭和10年)からは国際会議帝国事務局長も兼務した[4]。1937年(昭和12年)に駐イタリア大使となり[3]、その後は駐中国大使顧問を務め、1940年(昭和15年)に退官した[5]。 戦後、駐イタリア大使のため公職追放となり[6]、1951年(昭和26年)、追放解除[7]。 栄典
脚注参考文献
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