東郷和彦
東郷 和彦(とうごう かずひこ、1945年〈昭和20年〉1月10日 - )は、日本の外交官、評論家、政治学者(国際関係論)。Ph.D.(ライデン大学、2009年)。 外務省条約局局長、外務省欧亜局局長、オランダ駐箚特命全権大使、ライデン大学附属国際アジア研究所教授、プリンストン大学東アジア研究学部講師、京都産業大学法学部教授、京都産業大学世界問題研究所所長などを歴任した。 概要長野県出身。東京大学教養学部を経て、1968年に外務省に入省した。欧亜局の審議官や大臣官房の総括審議官を経て、条約局や欧亜局の局長を歴任した。オランダ特命全権大使としてデン・ハーグに赴任するも、鈴木宗男事件をきっかけに2002年に罷免された。以降はライデン大学やプリンストン大学に勤務するとともに他の教育・研究機関の役職も兼任した。日本に帰国後は京都産業大学法学部教授、世界問題研究所所長、静岡県庁の対外関係補佐官、静岡県立大学グローバル研究所客員教授、それぞれを兼任した。2020年に京都産業大学を退職した。 人物外務省ではロシア語研修閥である「ロシア・スクール」に属し、竹内行夫ら「アメリカ・スクール」と確執も取り沙汰された。外務省に強い影響力を有していた鈴木宗男と交際が深く、北方領土問題で歯舞・色丹の二島先行返還論を唱えたことで、田中眞紀子外務大臣の意向で駐オランダ特命全権大使の着任を一時保留された。東郷や丹波實ら外務省のロシア・スクールが鈴木宗男事件をきっかけに一掃され、2006年8月の第31吉進丸事件を巡る対応で外務省の人材不足が指摘された。自他共にロシア派を認めており、テレビの情報番組でのコメントでも常にロシア側に立った発言が多い。 家族・親族母方の祖父は第二次世界大戦終戦時に外務大臣を務めた元外交官の東郷茂徳。母方の祖母はエディ・ド・ラランド(東郷エヂ)はユダヤ系ドイツ人であった[1]。父親は元外交官の東郷文彦。母親は茂徳の長女東郷いせ。『ワシントンポスト』元記者の東郷茂彦は双子の兄である。 萩原延壽『東郷茂徳 伝記と解説』によれば、母方の祖父である茂徳の先祖は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に捕虜になり島津義弘の帰国に同行した朝鮮人陶工で、姓を朴(パク、ぼく)としていた。陶工達が集められた「苗代川」(現在の日置市東市来町美山)と呼ばれる地域では幕末まで朝鮮語が使われていたという。曽祖父の朴寿勝は優れた陶工で、横浜や神戸にも積極的に出かけ、外国人にも焼き物を売り込む実業家としての手腕にも長けていた。東郷姓は祖父の代に買い受けたものだが、同じ薩摩出身の海軍元帥・伯爵東郷平八郎と血縁関係はない。 略歴
所属団体TV出演
外務省同期
著書単著
共編著
脚注関連人物関連項目外部リンク
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