川路利恭
川路 利恭(かわじ としあつ / としやす、1856年5月31日(安政3年4月28日)- 1925年(大正14年)1月12日)は、日本の内務官僚。県知事。旧姓、五代。 経歴薩摩藩士・五代喜左衛門の五男として生まれる。1879年、大警視・川路利良の死後に、その養子となる。同年、警視庁少警部に任官。1887年、警察事務研究のため、自費でフランス、ドイツに留学。以後、警視庁警視、滋賀県警部長、沖縄県書記官、警視庁警視総監官房第一課長、警視庁第二部長、同第一部長などを歴任。 1900年10月、岐阜県知事に就任。1906年7月、奈良県知事に転じ、地方改良運動に尽力し1907年7月まで在任。1908年7月、熊本県知事となる。1912年3月、福岡県知事に就任し、1913年6月まで務めて退官した。奈良県宇陀市大宇陀の春日神社の日露戦後記念碑には「川路利恭書之」と書かれている。1915年10月13日、錦鶏間祗候となる[1]。墓所は青山霊園(1イ4-1~4)。 栄典・授章・授賞
脚注参考文献 |