掩体壕掩体壕(えんたいごう、英:bunker)は、防御設備である掩体の1種で、軍用機などの装備・物資や人員を、敵の攻撃から守るためにコンクリートなどで造った横穴状の施設。欧米ではHAS(Hardened Aircraft Shelter)と呼ばれる[1]。 現代の掩体壕は、アーチ型の鉄筋コンクリート製で、場合によっては左右に開閉する鋼鉄の扉が設置される。コストと強度上の問題から通常1機の戦闘機を格納する[1]。1機ずつ分散して格納することで防護能力を向上する狙いもある。 来歴地上に駐機している航空機は爆弾、ミサイル、手榴弾、ドローンなどの攻撃に非常に脆弱である[2]。 1941年、独ソ戦において、ドイツ空軍の奇襲攻撃によりソ連空軍機2,000機が地上で撃破、真珠湾攻撃では、日本軍の攻撃によりアメリカ軍機48機が破壊された。これを受けてオアフ島には約50のコンクリート製掩体壕が建設された[3]。 1967年の第3次中東戦争では、エジプト空軍機450機がイスラエル空軍に地上で破壊され無力化された。この出来事をきっかけに爆弾を搭載した1機の戦闘機でも、敵空軍基地に駐機された多数の軍用機を無力化できることが明らかになり、鉄筋コンクリート製の掩体壕が開発、設置された。また一部の国では地表の掩体壕だけでなく、地下格納庫が建造された。冷戦終結後、スウェーデン、アルバニア、スイスは運用を終了したが、台湾、中国、イランなどでは現在も運用されている[3]。またノルウェーではF-35の配備に合わせ、バルドゥフォス航空基地での山岳格納庫の運用を、2024年、40年ぶりに復活させた[4]。 冷戦終結後、精密誘導兵器の出現により掩体の有用性は低下している。実際、湾岸戦争では連合軍の航空機がイラクのHASの半数以上を破壊しており、このことが証明されている[3]。 特徴メリット
デメリット
各国の運用日本の周辺国においては、台湾空軍、韓国空軍及び在韓アメリカ軍戦闘機は、ほぼ完全に掩体運用を行っている[2]。 日本航空自衛隊の航空機用の掩体は主に戦闘機の防護を目的に設置される。なお掩体は、陸上自衛隊では「掩体」と漢字表記、航空自衛隊では行政文書上は「えん体」とひらがな漢字混じり表記、運用上は「シェルター」と呼ぶ。 航空自衛隊の戦闘機は全国の9基地に配置されているが、そのうち掩体は三沢基地(青森県)の2個飛行隊40機分、千歳基地(北海道)、小松基地(石川県)の1個飛行隊分20機分の設置に止まっている[5][2]。これに加えて、上記3基地と百里基地(茨城県)、築城基地(福岡県)、新田原基地(宮崎県)、那覇基地(沖縄県)の計7基地には4機分のアラート待機(対領空侵犯措置)用掩体が設置されている[2]。 このような航空自衛隊戦闘機の掩体不足の状態について一部の防衛関係者の間では、航空戦を戦う前に敵の先制攻撃により航空戦力が壊滅する『空自15分全滅説』がかなり以前から指摘されている[6][7]。2020年8月25日、河野太郎防衛大臣は定例記者会見において、「航空自衛隊は掩体が不足しているため、敵からの攻撃に対して脆弱である」と述べた上で、空自15分全滅説との指摘に対しては、「指摘の内容は、まだ把握していない。なるべく脆弱性は対応する必要がある」としている[5]。 日本における戦争遺跡としての事例日本軍が第二次世界大戦中に構築した掩体壕が一部に残されている。これは、コンクリート製の大型構造物であり、取り壊しが困難であったために残されたものである。近年では戦争遺跡として保存措置が講じられているものもある。 第二次世界大戦時の日本軍は軍用機格納庫を兼ねた木造掩体壕の[8]ほか、爆風・破片除けの土堤のみで屋根(天井)が無い簡易な無蓋掩体壕も使用した。 旧日本軍では掩体壕の「壕」をしばしば省略して「掩体」と呼んだ。
その他にも、倉庫として使用されている例があり、例えば、米子空港(航空自衛隊美保基地)構内とその近傍には数基残っているが、一部は地元の農家が農機具・肥料倉庫として活用している。
脚注
関連項目外部リンク
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