芝中学校・高等学校(しばちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都港区芝公園三丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。
高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校[1]。校長は武藤道郎、理事長は小林正道。
概要
江戸時代初頭に成立した浄土宗増上寺の教育機関が淵源であり[2][3]、1887年(明治20年)に前身である浄土宗学東京支校が設置され、1906年(明治39年)に組織を改め芝中学校として設立された。
周辺は芝公園に隣接した緑豊かな環境だが、愛宕グリーンヒルズなどのオフィス街や、増上寺や東京タワーなどの観光地も位置している。また、正門斜向かいには駐日オランダ大使館があり、定期的に交流がある[4][5]。
生徒募集は中学校の男子のみで、高等学校からの募集は行わない完全中高一貫校である。この特色を活かし、高校2年生までの5年間で各教科の履修内容をほぼ終了させ、高校3年生の1年間で大学受験の本格的な準備を行うという体制が整えられている。
校風
真理を拠り所とし、自らの力により自己を治めることを説く校訓『遵法自治』の下に、自由で伸びやかな校風を特徴としている。学校は仏教主義に基づく豊かな人格の養成の場として位置付けられており、全ての生徒の個性や自主性が尊重され、生徒は「法律を犯さない」「他人に迷惑をかけない」「他人に不快感を与えない」範囲で自由に行動することができる。この校風は「芝温泉」と呼ばれることがある[1]。
また、芝は家族主義の学校であり、生徒、教員、OB、保護者は全て芝学園という中の家族であって、互いに愛し合い支えあって生きて行くという考え方が根底に流れている。したがって、特に学校は生徒を如何なる場合でも大切にし、守って行かなければならないという姿勢がある。
浄土宗教育
毎年4月に全校で増上寺へ御忌参拝(ぎょきさんぱい)を行う。また、法然上人の命日である毎年1月25日には「大宗祖日」を執り行い、それまでの1年間に亡くなった芝学園関係者の法要と宗教行事を行う[6]。芝学園の生徒手帳にも、法然上人が詠んだ宗歌「月影」が掲載されている。
- 月影のいたらぬ里はなけれども
- ながむる人の心にぞすむ
また、増上寺とのかかわりは校歌でも「三縁山(増上寺の山号)内伽藍の後……芝学園の甍(いらか)は高し」と歌われている。
沿革
- 1868年(明治元年) - 宗学校として再編が始まる[11]。
- 1887年(明治20年)- 浄土宗学東京支校として設置。
- 1898年(明治31年)- 浄土宗第一教区宗学校に校名を改称。
- 1906年(明治39年)3月 - 芝中学校(旧制中学校)として設立。初代校長に松濤賢定就任。
- 1907年(明治40年)3月 - 第1回生33名が卒業する。第2代校長に荻原雲来就任。
- 1910年(明治43年)7月 - 校旗・校歌制定。
- 1911年(明治44年)- 第3代校長に渡邊海旭就任。
- 1916年(大正5年)
- 2月 - 校舎が全焼する。この際に校旗も燃えてしまったため、生徒からの募金で新校旗が調製される(平成まで使用された)。
- 10月 - 浄土宗の学制改革により宗学校部門を廃止。
- 1918年(大正7年)3月 - 校舎(3階建)竣工。
- 1919年(大正8年)3月 - 講堂竣工。
- 1925年(大正14年)- 軍事教育訓練が始まる。
- 1931年(昭和6年)3月 - 武道場新設。
- 1933年(昭和8年)1月 - 校長渡辺海旭、病気のため急逝。
- 1934年(昭和9年)7月 - 千葉県竹岡に臨海寮開設。
- 1939年(昭和14年)- 校庭拡張。
- 1945年(昭和20年)3月 - 戦災により校舎が全焼。麻布中学校・芝商業学校の教室借用。第39回生・第40回生が同時に卒業する。
- 1948年(昭和23年)
- 3月 - 旧制中学校として最後の第43回生が卒業する。
- 4月 - 学制改革により新制中学校・高等学校に改組される。
- 6月 - 復興祭開催。
- 10月 - PTA創設。
- 1951年(昭和26年) - 学校法人芝学園を設立する。
- 1952年(昭和27年)3月 - 校舎増築(旧校舎)、校庭拡張。
- 1953年(昭和28年)4月 - 生徒会設置、校庭拡張。
- 1960年(昭和35年)5月 - 校庭拡張。
- 1965年(昭和40年)7月 - 水泳プール竣工。
- 1966年(昭和41年)10月 - 現講堂竣工。
- 1973年(昭和48年)6月 - プール跡地に現体育館が竣工。
- 1981年(昭和56年) - 校庭が全天候型ウレタン舗装となる。
- 1982年(昭和57年) - 高校入試廃止。
- 1991年(平成3年) - 高校生の白鞄着用が自由化される。千葉県竹岡臨海寮が消防署の警告により建て替えられる。
- 1992年(平成4年)4月 - 全館冷房化される。
- 1998年(平成10年)4月 - 現校舎竣工。ニュージーランド研修が初めて実施される。
- 1999年(平成11年)3月 - 芸術棟竣工。
- 2002年(平成14年) - 中学生の制帽着用が自由化される。
- 2013年(平成25年)8月 - 全天候型校庭改修工事が完了する。
- 2016年(平成28年)9月 - 「芝ミュージアム」が開設される。
- 2022年(令和4年)
- 3月 - 千葉県竹岡の臨海寮閉寮。
- 4月 - 中学生の白鞄の着用が自由化される。
交通アクセス
象徴
制服
制服は金ボタン5個の黒学ラン(標準型学生服)。以前には制帽(学帽)も制定されていた。また、中学生には学校指定の白い布製の肩掛け鞄の着用が義務付けられているが、成長期におけるショルダーバッグ(肩掛け)の過度な使用は脊椎側彎症を引き起こす恐れがあるなどの生徒からの指摘を受け、高校生のみ2020年度からリュックサックが使用可能となった(ただし、黒や紺のものに限る)。また、夏休み期間は略装としてリュックサックが使える期間がある。2022年度からは上記の理由や、白カバンの工房の後継者問題など諸事情により、全学年リュック登校が可能となった。
制服の冬服は、中学生は右襟に学年、左襟にクラスの記号のバッジを付ける。高校生は左襟に学年により地の色が違う「Shiba」のバッジを付ける(1年生が赤、2年生が緑、3年生が青)。そのほか、学級の三幹事(学級委員に相当する)は桜のバッジを付ける。放送委員・図書委員もバッジを付ける。夏服は、ワイシャツに、中学生はグレー、高校生は黒のズボンとなる。2023年度以降の入学生は紺または白のポロシャツの着用が義務となった。
戦時中は、制服の色が国防色になったり、国民服に近い折り襟型になったこともあった。
体操服
体操服は入学時に各学年で、青、緑、紺のどれかの地色のものを購入し、6年間その色は変わらない。つまり、中1と高1(2023年度:緑)、中2と高2(2023年度:紺)、中3と高3(2023年度:青)が同じ色となる。※2007年度より、30年以上続いた体操着が廃止となり、ミズノ製になった。新中1は全員が新ジャージとなるが、その他の学年の生徒は自由に購入とされる。
校歌
1910年(明治43年)に、作詞:杉田省三、作曲:島内英雄、補作:芳賀矢一により制作された。
施設
- 校舎本館
- 校舎本館は地上8階・地下1階建てで、地下1階から地上6階までが吹き抜けになっており、普通教室や各実験室、技術室、図書室などが入っている。また、各階に赤エレベーター・青エレベーターが設置されて、縦長の校舎において、移動の便の役を果たしている。階段も傍のエレベーター色に対応して赤階段、青階段と呼ばれる階段がある他、2 - 7階で各学年E組隣(1階は体育館前、8階は第2生物室を通る)に非常階段が設置されている。
- 芸術棟
- 芸術棟は地上2階・地下1階建てで、校舎本館とは地下通路で接続している。地上階は美術室と音楽室があり、地下1階には売店がある。
- 体育館
- 地上2階建てで、1階は剣道場と柔道場、2階は屋内運動場(アリーナ)となっている。
- 講堂
- 地上3階建てで、最大収容人数は1500人。1966年(昭和41年)に竣工され、2010年(平成22年)に全面改修された際に第21回BELCA賞(ベストリフォーム部門)を受賞した[12]。
学校行事
- 学園祭
- 例年9月の第2土曜日・日曜日の2日間にわたって、秋の学園祭シーズンのトップバッターとして開催され、関東の高校の学園祭におけるベンチマーク的存在である。例年、来場者数は1万5000人に上る。
- 運動会
- 毎年5月のゴールデンウィーク期間直前にとしまえんにて開催されていた。これは校舎が東京タワーの真下にあり、周囲にオランダ大使館をはじめとする在外公館が立ち並んでいるという極めて特殊な立地条件のため、校庭が狭く、保護者などの見学スペースがないばかりか、競技進行のスペースにも事欠くという止むを得ない事情によるものである。2005年には第50回記念大運動会が催された。また、2022年は東京体育館で開催された。
部活動・委員会
17の運動部、19の文化部、4の委員会が活動しており、8割以上の生徒が参加している[13]。
運動系
文化系
高いパフォーマンスや伝統、OB との堅い結束を誇る部活が多い。最近ではウェブサイトやTwitter、Instagramアカウントを持つ部活やOB会が増え始めた。
- 天文気象部 - 学園祭では部員自作のドームを使いプラネタリウムを披露する。1960年に理化部から分離した。生徒理化研究発表会にも度々参加。
- 理化部 - 学園祭では科学実験の実演を行い好評を博している。元々、技術工作部、天文気象部、生物部などと同じ部だった。生徒理化研究発表会にも度々参加。
- 生物部 - 毎年の学園祭で多岐にわたる生き物の展示を行っている。毎年、東京生物クラブ連盟主催の生物の集いに参加している。
- ギター部 - 全国1位をたびたび獲得している。現役生と OB の交流が深く演奏会の中には「OB合奏」と呼ばれるものも存在している。
- 吹奏楽部 - かつての音楽部。(2006年改名)自主運営をモットーに、座奏だけでなく、マーチングドリルにも力を入れている。毎年3月末に定期演奏会を行なっている。各行事で演奏する場面が多く見られる。
- 将棋部 - 麻布、桐朋に次ぐ強豪。伝統ある八中学リーグ(芝、麻布、桐朋、開成、早稲田、慶應義塾中等部、慶應義塾普通部、駒東)および関東高校リーグ(芝、麻布、桐朋、開成、武蔵、慶應義塾)で活躍中。
- デジタルテクノロジー部 -かつてのラジオ部。 CG作成、DTM、C言語によるプログラミングなどを行っている。
- 落語研究部 - 写真家、篠山紀信が部の基礎を形作ったとの伝説があり、学園祭では毎年好評を博している。毎年3月、港区立図書館にて海城中学・高等学校、学習院高等学校などとコラボし、さらに落語家の柳家風柳をお呼びしてティーンズ寄席というものを開催している
- 写真部 - 毎年、部員たちが撮った写真で春日利比古杯を校内で開催している。
- 考古学部
- 歴史部
- 美術部 - かつての絵画部
- 釣り研究部
- アカペラ部
- 料理部
- 弁論部 - 2008年に復活した。こども国会や仏教主義学校連盟主催の弁論大会等に参加している。
- 漫画研究部 - 2008年に同好会として復活。2013年、まんが甲子園決勝出場などの活躍を見せ、部に昇格した。
- 交通研究部 - 2014年新設。2018年に全国高校生地方鉄道交流会の企画部門で優勝した。
- 技術工作部 - 無線機班、Nゲージ班、機械班に分かれている。2022年まで、自動車班、鉄道班、船舶・飛行機班に分かれていた。5インチゲージのきかんしゃトーマスやエコランカーで有名。テレ東のアド街を含め、様々なメディアから取材を受けたことがある。鉄道班Nゲージは近年では鉄道模型コンテストに出場していた。金属加工ではフライス盤や旋盤、ボール盤、溶接機、木工ではパネルソー、コンプレッサ、その他にフォークリフト、3Dプリンター、CNC(コンピュータ数値制御)など様々な機械、設備が揃っている。顧問の不祥事により活動を休止していたが、2023年11月に再開。
委員会
- 生徒会
- 生徒会ボランティア
- 図書委員会
- 放送委員会
- 芝峯委員会
過去にあった部活&同好会または現在活動休止中の部活
- 新聞部 - 北方謙三が所属していた部だが、3号で廃止になったという(ナツイチ2007より)。
- バルッチャ(バルーンアート)同好会 - バルーンアートによるボランティア活動を行っていた。また、学園祭にも一度参加していた。
同窓会組織
芝学園同窓会
- 芝中学校・高等学校の同窓会は「芝学園同窓会」と称し、「芝中同窓会」として1912年(大正元年)に結成された[14]。旧制中学校時代から現在に至るまで、2万5千人を超える卒業生が会員となっている[15]。
- また、同窓会内には分会も多数存在し、卒業回別、部活動別、出身大学別、職種別等に組織されている[16][17]。
同窓会大会
- 年に一度開催され、卒業回の垣根を越えて同窓生が一堂に会する。第1回大会は1967年(昭和42年)に開催された。大会内では、著名同窓生の講演会、ゲスト歌手の演奏会、福引抽選会など様々なイベントが催される[18]。
著名な教職員・出身者
著名な教職員
- 校長
- 教員
著名な出身者
- 国政
- 公人(国政以外)・法曹
- 財界
- 学界
- 文学
- マスコミ・出版
- 文化・芸術
- 芸能
- その他
外部交流
兄弟校
東海中学校・高等学校(愛知県)- 浄土宗教校を前身とする兄弟校であり、転校生の相互受け入れを行っている。
国際交流
以下の3か国にて1 - 2週間程度の海外研修を行っている[27]。
大学
東京慈恵会医科大学 - 2021年より中高大連携に関する協定を締結しており、長期休暇中に生命科学や医療に関するゼミを開講している[28]。
脚注
関連項目
外部リンク