高橋重信高橋 重信(たかはし しげのぶ[1][2] / じゅうしん[3]、1918年(大正7年)4月9日[1] - 1980年(昭和55年)7月30日[1][2][3])は、日本の教育者、政治家。衆議院議員。 経歴岐阜県出身[1][3]。1938年(昭和13年)岐阜県師範学校を卒業し[1]、1944年(昭和19年)同研究科を卒業した[3]。 小学校訓導、陸軍伍長、岐阜県下国民学校訓導、中学校教諭、岐阜市教育委員会副委員長、日本社会党岐阜県本部書記長、岐阜県議会議員(3期)などを務めた[1][2][3]。 1963年(昭和38年)11月の第30回衆議院議員総選挙に岐阜県第1区から選出された、大野伴睦、三田村武夫の死去に伴い、 1964年(昭和39年)12月に実施の補欠選挙で当選し[4]、衆議院議員を1期務めた[1][2][3]。 その他、日中友好協会岐阜県支部理事長、全国学校生活協同組合常務理事、岐阜県流通センター協同組合連合会会長、中京タクシー社長などを務めた[3]。 1980年7月、心不全により岐阜市の岐阜県立岐阜病院(現岐阜県総合医療センター)で死去した[2]。 脚注参考文献
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