1993年のロードレース世界選手権
1993年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第45回大会である。 シーズンの概要昨年、一昨年に続きまたしてもポイント制の変更があり、前年度1~10位だった入賞圏内は再び15位にまで拡大された。有効ポイントは導入されず、純粋にポイントの総合計でランキングが争われることとなった。
シュワンツは前半で4勝を挙げシーズンを有利に進めていたが、第8戦ヨーロッパGP以降シュワンツがもたつく間にレイニーが巻き返し、またシュワンツがイギリスGPで手首を負傷したことなどもあり、第11戦チェコGPが終わった時点ではレイニーがポイントを逆転していた。そして迎えた第12戦イタリアGPで、レイニーはトップ独走中に転倒を喫する。この転倒で彼は脊椎に重大な損傷を受け、レーシングライダーとしての競技生命を絶たれてしまう。 これにより再び逆転したシュワンツは悲願のタイトルを獲得することとなったが、幾多の名勝負を重ねてきた最大のライバルであるレイニーを残酷な形で失ったシュワンツは「彼の怪我が治るならチャンピオンなんかいらない。」と発言し、初のタイトルを獲得した喜びよりもライバルを失った落胆の気持ちを表した。レイニーのクラッシュは、アメリカン・ライダーがグランプリを席巻する時代の終わりをも意味していた。 一方、ミック・ドゥーハンは前年の脚の負傷による深刻な状態から徐々に回復し、第9戦サンマリノGPで復活勝利を挙げた。また、ダリル・ビーティとアレックス・バロスはグランプリ初勝利を飾った(バロスはトップ走行中のクラッシュを2度体験した末の勝利だった)。フレディ・スペンサーは2度目のカムバックに挑んだが、最初の3レースで2度のクラッシュという結果に終わった。 ホンダのワークスチームは3台目のマシンとしてメーカーのテストライダーである伊藤真一をエントリーさせたが、彼のマシンはストレートでずば抜けて速かったことから新開発の電子制御式フュエール・インジェクション・システムが搭載されているのではないかと噂された。伊藤がホッケンハイムで200mph(約320km/h)の壁を破ったことが、この噂に信憑性を与えた。[1]
125ccクラスではホンダに乗るドイツ人プライベーター、ダーク・ラウディスが9勝を挙げてタイトルを獲得。坂田和人と辻村猛がランキング2位、3位で続き、上位6人中4人を日本人ライダーが占めた。 GP
最終成績500ccクラス順位
250ccクラス順位
125ccクラス順位
エントリーリスト500ccクラス250ccクラス[2]
125ccクラス[4]
脚注
外部リンク |