ZYYG
ZYYG(ジーグ)は、日本のロックバンド。所属事務所はZAIN ARTISTS。レーベルはB-Gram RECORDS。公式ファンクラブは「TROUBLE BEATS」[注釈 1]。 1993年結成。メンバーチェンジと解散を経て、2019年に再結成[2]。 概要1993年にボーカル・高山征輝と、出口雅之のソロユニットとなって活動する事になったREVに加入するのを辞退した初代ベース・栗林誠一郎により結成。1994年にギター・後藤康二、ドラム・藤本健一が加入し、栗林が脱退すると2代目ベース・加藤直樹が加入する。栗林脱退を契機として、サウンド面を含めて大きく変貌を遂げたことから、栗林在籍時を「第1期」、加藤加入以後を「第2期」と呼び表す習慣があり、B ZONEも公式に認めている[3][4]。 なお、このバンド名もプロデューサー・長戸大幸のアイデアによるものである[3][4]。 メンバー
サポートメンバー
来歴1993年5月、シングル『君が欲しくてたまらない』でデビュー。この頃はまだメンバーが正式に決まっておらず、サポートメンバーと共にレコーディングを行なっていた。 1994年4月、4thシングル『NO RETURN LOVE』リリース。このシングルで後藤康二、藤本健一が正式に加入した。 同年7月、1stアルバム『GO-WILD』リリース。この後栗林誠一郎が脱退し、シークレットライブをきっかけに、加藤直樹がベーシストとして新たに加入した。このメンバーチェンジにより、バンドは一つの転機を迎え、バンドの立て直しを図り始める。 1995年6月、5thシングル『ぜったいに 誰も』リリース。前回のリリースから1年、模索していくうちに、サウンドもビジュアルも含めて行き着いたのが1980年代のビートロックの流れを汲むバンド感あるものであった。これは約1年振りのリリースとなる「ぜったいに 誰も」含め、1995年~1996年のリリース作品を見ると明確である。 同年11月、6thシングル『JULIA』リリース。派手めなメイクにソリッドなビートロックというわかりやすいコンセプトのもとに作られた。 1996年2月、2ndアルバム『Noizy Beat』リリース。「ぜったいに 誰も」から2ndアルバム『Noizy Beat』の間までで、ある種のビジュアルスタイルが確立された。この期間はメンバーそれぞれがアマチュア時代に影響を受けていたルーツをそのまま作品として表現していた様な、ビートロックという一種のアマチュアイズムがある。この頃の楽曲はZYYGの曲の中でも人気が高く、個性を打ち出すことができた作品となった。 同年3月〜4月、アルバムリリース後、初のライブツアー「LIVE ROCKIN' HIGH Vol.01"Noizy Beat"」を開催し、これまで漠然としていたバンドとしての存在感が明らかになりつつあった。ライブではアルバム『Noizy Beat』の収録曲を中心に、高山が影響を受けたというバンド・ARBのカバー曲などが演奏された。またオフィシャルファンクラブ「TROUBLE BEATS」が発足した時期でもある。 同年7月、7thシングル『GYPSY DOLL/BLOOD ON BLOOD/微笑みだけをくれないか』リリース。今までにはないシンセ音も導入した、企画もののMAXI SINGLEならではの実験的なサウンドになった。 同年8月、「LIVE ROCKIN' HIGH Vol.02"Trouble Beats"」を開催。TROUBLE BEATS発足後、初のライブツアーということもあり、メンバーがツアータイトルにファンクラブの名前を付けた。 同年11月、8thシングル『Something』リリース。ジャケットの印象もサウンドの方も前回のMAXI SINGLEとはうって変わってシンプルなものになっている。サウンドはシンセを省き、骨太な感じがする楽曲となった。 1997年3月、9thシングル『LULLABY』リリース。この作品はARBやモッズといったバンドが連想される様な、どこか懐かしく、暖かみのある楽曲となった。 同年5月、10thシングル『この情熱のそばで』リリース。シングルとしては初のミディアムバラードとなった。 同年6月、ライブツアー「LIVE ROCKIN' HIGH Vol.03"Crash Beat"」開催。初の東京を含む全国主要都市を回るツアーとなった。 同年8月、3rdアルバム『SWEET PUNKS』リリース。今までのどのアルバムよりも高山の音楽的なルーツや詞の世界観、バンド感が浮き彫りになった。飾らずストレートなロックアルバムで、バラエティに富んだ内容になっている。 同年9月~10月、ライブツアー「LIVE BURST CITY Vol.01"SWEET PUNKS"」開催。アルバム『SWEET PUNKS』を引っ提げ、地方都市を中心とした全国ライブハウスツアーに出る。ツアータイトルも"BURST CITY"(爆裂都市)と、彼等の意気込みが伝わる。「全国各地の今まで行ったことのない土地を回り、ファンに触れ、バンドとしての結束を更に固めたい」というメンバーの意向もあり、リリース、ライブとも活発な活動を行った。 同年12月、ライブツアー「LIVE BURST CITY Vol.01"SWEET PUNKS~extension"」開催。このツアーは夏に行ったライブハウスツアーの延長で主要都市を中心にしたものである。東京は初のON AIR WESTで行い、今までのツアーの集大成的な内容となった。 1998年、制作活動に入ったため、表立った活動がなくなるが、精力的にデモテープ作り、リハーサルなどを繰り返していた。なお、B-Gram RECORDSの電話24時間テープ案内で、テレビ東京系アニメ『発明BOYカニパン』の後期エンディングテーマに決定したとアナウンスされるも発売中止となった。 1999年、9月~10月にバンド内で音楽性のずれが生じ始め、話し合いを重ねた結果、個々の感性を無理に1つのバンドに収めないほうがよい、という結論に達した。12月に最後のファンクラブ会報(今号)発行し、これをもってZYYGは活動を終了する。なお、ベスト・アルバム等のリリースやライブの開催はされなかった。 2005年12月、解散時に行われなかったラストライブを開催することが発表される。 2006年2月、大阪hills パン工場にて、「LIVE ROCKIN' HIGH Final“ONE AND ONLY MEMORIES” 」開催。 2019年4月、後藤の呼びかけにより、20年振りに第2期メンバーで再始動。 同年7月、再始動後初のライブ「LIVE ROCKIN' HIGH 2019 ~Dreamers〜」開催。 同年12月、25th Anniversary Yearの締めくくりとして、初のファンミーティング「Trouble Beats Meeting Party vol.01」開催。 同年12月、2020年2月に東京・下北沢レッグ、3月に大阪・Hillsパン工場にて、再始動後2度目のライブ「ZYYG LIVE ROCKIN’ HIGH 2020 ~ALIVE~」の開催を発表。東京公演は予定通り開催されたが、大阪公演は新型コロナウイルス感染拡大のため、無期延期となった後、中止となった。 2020年3月7日、当初の大阪公演予定日に、未発表曲「ALIVE」のリリックトレーラーをYouTube上で発表。 2021年4月、初の配信ライブ「ZYYG~Trouble Beats Meeting Party Online vol.01~」開催。 同年、初となるドキュメント映像『PAST,NOW…and FUTURE』を5月22日に前編を、7月29日の高山の誕生日に後編をYouTube上で発表。 2022年10月10日、TBS系『CDTVライブ!ライブ!』に出演。初の生放送での演奏で、デビュー曲「君が欲しくてたまらない」を披露した。 2023年5月〜6月、30周年記念ライブ「ZYYG 〜30th Anniversary〜 LIVE ROCKIN’ HIGH 2023 『RE:』」を開催。 同年11月、2度目となるファンミーティング「Trouble Beats Meeting Party vol.02」を開催。 2024年5月18日に30周年の締め括りとなるスペシャルイベント「Trouble Beats Meeting Party2024 Special〜『Re』Extension〜」を開催。イベント開催に先駆けて、4月30日〜5月11日に30周年特別企画として「ZYYG新曲の生みの親!募集します。」と題し、新曲のタイトルを募集した[6]。その後当イベントにて、新曲タイトル選考結果は、「STILL」であることが発表された[7]。 同月19日より既リリース全曲のサブスクが解禁された。 ディスコグラフィシングル
コラボレーション・シングル
アルバムオリジナル・アルバム
ベスト・アルバム
映像作品
PAST,NOW・・・ and FUTURE2021年5月22日に前編[動画 1]、同年7月29日に後編[動画 2]がYouTubeチャンネル・B ZONE GROUP OFFICIAL YOUTUBE CHANNELで公表された映像。再始動以後を振り返るメンバーのインタビューとスタジオセッションを収めたドキュメント。 参加作品※◆は「ZYYG」名義のCDには未収録の楽曲。
未リリース曲
タイアップ一覧
ライブ
脚注注釈
出典
動画
関連項目外部リンク
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