さくらコマース
株式会社さくらコマースは、東京都府中市に本社を置く企業。「さくらグループ」として、焼肉のたれなどを製造する食品メーカー「モランボン」などの関連企業がある。 会社名義で競馬の競走馬を保有し、「サクラ」の冠名をつけて走らせていることで知られている。 沿革会社の生みの親である、全演植(チョン・ヨンシク)・鎭植(ジンシク)兄弟は朝鮮全羅南道出身(演植は「慶尚南道生まれ」であるとする文献[4]も存在する)。 1941年[4]に内地に渡り、太平洋戦争後に闇市での麦芽飴の製造販売を皮切りに、北多摩郡府中町(現:府中市)を拠点に各種事業を展開した。 1951年[5]3月、弟・鎭植は父と兄・演植の3人で「さくら遊技場」というパチンコ店を開店した。 1958年3月、スーパーマーケット「さくらコマース」(開業当時の店名は「さくら食品デパート」)1号店がオープン[6][リンク切れ]。 1960年(昭和35年)7月13日に資本金400万円で株式会社さくら食品デパートを設立[1]。 1962年(昭和37年)5月に株式会社さくら食品デパートへ社名変更した[1]。 1993年12月、兄・演植が死去[7]。その息子の尚烈(サンヨル)が1994年から会社を引き継いでいる。 2005年、焼肉店などの外食産業部門をグループ会社のモランボンへ移管し、さくらコマースとしては飲食店経営から撤退した。 社名の由来全兄弟が朝鮮半島から日本に渡ったのが、桜が咲き始める3月であった。このことと日本の地域住民に永く愛され商売をする意味で、日本人が好む桜の花にちなみ、屋号に「さくら」を入れた。 また3月は兄弟が店を始め、演植が誕生および結婚した月でもあり[8]、3月にちなんで「第三さくら」「さくら三番館」など店名に「3」の数字を入れた店舗もある。 スーパーマーケット事業かつては東京多摩地域を中心に展開していたが、2020年11月30日をもって府中フォーリス店が閉店[9]したことにより、スーパーマーケット部門全ての店舗が営業を終了した。 過去の店舗スーパー府中市
府中市以外の東京都その他、国立市にも店舗を展開していたが、すでに撤退している。[要出典] 埼玉県パチンコ店
過去の店舗
シェアサイクル事業
過去の事業
その他、喫茶店、居酒屋なども経営していたが、いずれも撤退している。 焼肉店はモランボン株式会社へ移管し「モランボン本店」として府中駅前さくら食品館4階で営業中。 関連企業
競馬とのかかわり府中市に東京競馬場がある土地柄、1953年頃から[5]おもに会社名義で競走馬を所有するようになった。馬券をよく買っていた兄・演植は生前、馬主になるときに父親から反対され「馬は持っても、馬券は買うな」と言われて悩んだと語っている[22]。 中央競馬におけるさくらコマースの勝負服の色はピンクがベース(桃、白一本輪、桃袖)で、競走馬名に「サクラ」の冠名を用いている[8]ことから、のちに同社の所有馬の総称として「サクラ軍団」という名称が生まれた(このような例はメジロ・マチカネ・マイネルなど他にもある)。社名から冠名を取っている。 軍団最初の勝ち馬となったのはハヤサクラという名前のアングロアラブだった。その後次第に頭数も増え、重賞クラスで健闘する馬も登場し始め、1973年にサクライワイが初の重賞勝ち馬となった。以降GI優勝馬を含め、数多くの重賞優勝馬を所有している。 かつてのサクラ軍団の競走馬は美浦の境勝太郎厩舎に所属し、境勝太郎の娘婿でもあった小島太が騎乗することが非常に多かった。これは境と小島が全演植と親しかったことが影響している。しかしサクラのすべての馬が該当したわけではない。サクラショウリやサクラスターオーは境厩舎の馬ではなかったし、サクラスターオーには小島はほとんど騎乗していない(そのころの小島が、早坂太吉率いる「モガミ軍団」に気が移りかけていたという事情があり、それに対して全が不快感を示した結果)。また境の息子の境征勝の厩舎に所属する競走馬もいた。騎手については小島のほか、東信二や境勝太郎厩舎所属の木藤隆行や高橋明らも多く起用されていた。 境勝太郎が調教師を引退し、小島が調教師に転向した1996年頃からは「サクラ=境・小島」という大方の構図は必ずしも当てはまらなくなった。その要因のひとつとして、小島がさくらコマース以外の馬主(西川清など)の所有馬を多く管理するようになったことが挙げられる。現在、さくらコマースの所有馬は栗東、美浦を問わずさまざまな厩舎で管理されている。 またサクラ軍団は地元の東京競馬場での勝利が目立ったが、境勝太郎の調教師引退以降は東京競馬場での重賞競走に縁がなく、サクラキャンドルが府中牝馬ステークスを勝利した後は、サクラセンチュリーがアルゼンチン共和国杯を勝利するまで9年の空白期間があった。 さくらコマース所有の競走馬一覧(重賞優勝馬)サクラといえば牡馬。そして「サクラ○○○オー」という名の馬が多い。サクラ軍団の活躍馬には伝統的に豊かなスピードをもつ競走馬が多く、サクラユタカオーやサクラバクシンオーなど距離ごとのレコードホルダーとなった馬もいる。伝統的にステイヤー育成に力を入れていたメジロ牧場が存在していた頃、同牧場との対比として「スピードのサクラ、スタミナのメジロ」との対比がなされたこともある。 2009年7月26日終了時点で中央競馬重賞74勝であったが、2010年代以降は目立った活躍がなくなったのみならず、所有している競走馬自体が少なくなっている。
脚注
参考文献関連項目外部リンク |