ひのとり (人工衛星)
第7号科学衛星ひのとり (ASTRO-A) は東京大学宇宙航空研究所(後の宇宙科学研究所、現宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部)が打ち上げた日本初の太陽観測衛星である。開発・製造は日本電気が担当した。1981年2月21日、鹿児島宇宙空間観測所(現内之浦宇宙空間観測所)からM-3Sロケット2号機によって打ち上げられた。打ち上げ後、手塚治虫の代表作である『火の鳥』にちなみ命名された。 ミッションの概要ひのとりは第21太陽活動極大期の太陽、とくに太陽フレアを高精度で観測する目的で開発された。同時期に活動した太陽観測ミッションとしてはNASAのソーラーマックスがある。計画にあたっては、第20極大期に実施された宇宙からの太陽観測ミッションの成功が大きな動機付けの一つとなった。1975年までに搭載機器が決定され、1976年からプロトモデルが、1978年からフライトモデルが設計・製作された。当初の予定では打ち上げは1981年2月16日だったが、整備の都合と悪天のため延期された。2月21日に打ち上げ成功、近地点576km、遠地点644kmの略円軌道に乗った。 観測機器最初の5個が太陽観測装置、残り3個が地球周辺環境と太陽との相互作用を観測するための装置である。
なお、HXMとFLMが太陽フレアを検出すると、観測データ記録用の磁気テープが早回しになって記録精度が8倍になるよう設計されている。 主な成果
運用終了後も、ひのとりのデータを分析した結果、2008年に地震の前兆として電離層の電子温度が低下する現象が確認された。地震が電離圏に及ぼす影響を「ひのとり」のデータで研究 その他
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