久保 亘(くぼ わたる、1929年(昭和4年)1月15日 - 2003年(平成15年)6月24日)は、日本の政治家。参議院議員(4期)、副総理(第1次橋本内閣)、大蔵大臣(第101代)、鹿児島県議会議員(3期)、日本社会党書記長、社会民主党副党首、民主改革連合最高顧問、民主党参議院議員会長を歴任。正三位勲一等旭日大綬章。
略歴
経歴
鹿児島県姶良郡姶良町(現:姶良市)出身[1]。(旧制)長崎県立佐世保中学校1年修了を経て熊本陸軍幼年学校に進学[2]。陸軍予科士官学校在籍中に敗戦により学校解散・復員し、鹿児島師範学校(現:鹿児島大学)に編入学[2]。予科士官学校では鹿児島市長赤崎義則と同期[2]。師範学校卒業後に広島文理科大学(現:広島大学)史学科へ入学し西洋史を専攻[2]、1952年に卒業して鹿児島県の高校教諭となる[3]。鹿児島県立吹上高等学校や鹿児島県立志布志高等学校で教えた後、1958年鹿児島県高等学校教職員組合書記長就任、1961年鹿児島県高等学校教職員組合執行委員長就任[1]。1963年鹿児島県議会議員となり[1][3](鹿児島市区選出[4])、3期務める[1][3]。
政歴
政策・主張
選挙歴
当落 |
選挙 |
施行日 |
選挙区 |
政党 |
得票数 |
得票率 |
得票順位 /候補者数 |
比例区 |
比例順位 /候補者数
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当 |
第10回参議院議員通常選挙 |
1974年7月7日 |
鹿児島県地方区 |
日本社会党 |
252,428 |
27.9 |
2/6 |
- |
-
|
落 |
第12回参議院議員通常選挙 |
1980年6月22日 |
鹿児島県地方区 |
日本社会党 |
287,975 |
30.5 |
3/5 |
- |
-
|
落 |
第10回鹿児島県知事選挙 |
1981年2月8日 |
鹿児島県 |
無所属 |
219,324 |
34.0 |
2/3 |
- |
-
|
当 |
第13回参議院議員通常選挙 |
1983年6月26日 |
鹿児島県選挙区 |
日本社会党 |
314,724 |
35.0 |
2/4 |
- |
-
|
当 |
第15回参議院議員通常選挙 |
1989年7月23日 |
鹿児島県選挙区 |
日本社会党 |
412,127 |
45.8 |
2/4 |
- |
-
|
当 |
第17回参議院議員通常選挙 |
1995年7月26日 |
鹿児島県選挙区 |
日本社会党 |
238,594 |
34.6 |
2/4 |
- |
-
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当選回数4回 (参議院議員4)
|
文献
著書
- 『くぼタンの消費税廃止奮戦記』日本社会党中央本部機関紙局、1990年1月
- 『社会党の選択 : 新しい政権戦略を考える』晩稲社、1992年4月
- 『連立政権の真実』読売新聞社、1998年5月、ISBN 4643980400
共著
脚注
- ^ a b c d 「鹿児島県人国記」『鹿児島県風土記』芳即正;塚田公彦 監修、旺文社、1995年、491頁。ISBN 978-4010710876。
- ^ a b c d 『久保亘さんが語る:政治家が議会を去るとき 久保亘さんを語る:お別れのことば』三州倶楽部、2003年、9-13,36頁。
- ^ a b c 「著者略歴」『いま日本の政治を考える 参議院議員久保亘講演集』久保亘、久保亘を励ます会事務局、2001年5月。
- ^ 『鹿児島県議会史 別巻』鹿児島県議会、1971年、46頁。
- ^ 「2001年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2001年11月3日朝刊
- ^ “久保亘元副総理死去 旧社会党書記長” (2003年6月26日). 2009年7月21日閲覧。
関連項目
参議院社会労働委員長 (1979年-1980年) |
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第1回 (定数4) |
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定数1 (第19回以降) |
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↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。 |