玉澤徳一郎
玉澤 徳一郎(たまざわ とくいちろう、1937年〈昭和12年〉12月16日 - )は、日本の政治家。 農林水産大臣(第28・29代)、防衛庁長官(第56代)、衆議院議員(9期)などを歴任。 選挙などの際には旧字体の「澤」でなく、画数の少ない「沢」を用い「玉沢徳一郎」と表記されることが多い。 経歴生い立ち岩手県下閉伊郡田老町(現在の宮古市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を卒業後、早稲田大学第二政治経済学部政治学科に入学。大学では早稲田大学雄弁会に所属。雄弁会の一期上に森喜朗、一期下に小渕恵三がいた。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士。学生時代から左翼が大嫌い(当時は学生運動の嵐の真っ只中)であることを公言していた。 政界へ奥州大学講師、富士大学助教授、海部俊樹の秘書を経て、1976年の第34回衆議院議員総選挙で初当選。自民党の中でもタカ派である清和政策研究会に属し、族議員(防衛族・農林族)の重鎮と目されていた。1994年、村山内閣(自社さ連立政権)で防衛庁長官に就任し、初入閣。1999年に小渕再改造内閣で農林水産大臣に就任。首相・小渕恵三の危篤により、急遽自由民主党幹事長の森喜朗が後継総裁に就任し、事実上の居抜き内閣の形で組閣した第1次森内閣でも農相に留任した。2000年の農林水産大臣在任中に口蹄疫が発生し、対応にあたった。2000年の衆院選で現職農相ながら落選した。2003年の衆院選で返り咲き国政に復帰する。 政治資金規正法違反事件2007年夏、2004年分の政党支部虚偽記載問題が浮上。玉澤が代表を務める政党支部が領収書を偽造して重複計上したことが発覚する。同年9月3日、責任を取る形で同党を離党し無所属となった[2]。無所属となったため、2007年自由民主党総裁選挙には参加できなかった。政党支部領収書偽造問題では、政党支部会計責任者職務代行であった公設秘書が政治資金規正法違反や有印私文書偽造・同行使の罪で起訴され、懲役1年6月・執行猶予5年の有罪判決が言い渡された。 政界引退自民党離党後も自民党の派閥清和政策研究会で活動を続け、2008年9月25日、自民党に復党した。2009年7月21日の衆議院解散に伴い政界を引退。このほか、社団法人日米平和・文化交流協会の理事を務めている。長きにわたって、岩手県オリエンテーリング協会会長も務めた(2018年に退任、後任はアルベールビル五輪金メダリストの三ヶ田礼一[3][4])。 銃撃事件2019年12月10日昼、盛岡市の自宅で銃撃を受け、足に全治約20日間のけがを負った。その後被疑者が出頭し、「選挙の恨みで撃った。金銭トラブルがあった」と供述した[5]。 被疑者は約20年前から奥州市に居住する農業の男で、居住場所などをめぐって地元住民との間で過去に法的なトラブルを抱えており、現在は同市内のビニールハウスで生活をしていた[6]。男の自宅がある奥州市水沢羽田町の土地は、もともとは同町住民の共有林だったが、この土地で事業に失敗した業者の債権者側として男が移り住み、土地の賃料などを一切支払わなかったため、住民らが退去を求め提訴。最高裁まで争われ住民側が勝訴したが、男は確定後も10年以上居座り続けていたという[7]。 インターネット上では、玉澤の高校の同級生を名乗る被疑者と同姓同名の人物が、2015年に「『玉澤 徳一郎』に告ぐ」という告発サイトを開設しており、サイトでは1972年の衆院選の際に玉澤に1000万円を選挙資金として貸し付けたが返済されていないと主張。2014年1月に玉澤を提訴したが、翌年には時効のため請求は棄却されたと記されていた[8]。1972年当時の玉澤の秘書によれば、男は当時盛岡駅で不動産会社を経営していて、羽振りも良く、玉澤を支援していたが、玉澤が初当選した1976年の選挙以降は支援していなかった。また、経営していた不動産会社がバブル崩壊のあおりで倒産し、1996年頃から強硬に返済を求めてきたとされる[9]。男の知人によれば、男は近年資金繰りに困っており、「(玉澤は)政治資金と言っているけど、俺は金を貸していると思っている」「同級生で頭にきている」「早く回収しないといけない」などと話していた[10]。事件当日は返還を求めて玉澤宅を訪ねた際、共通の知人に関する発言に激高して犯行に及んだとされる。盛岡地方検察庁は銃砲刀剣類所持等取締法違反(加重所持)の罪と暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪で男を起訴。殺人未遂の罪については「証拠が集まらなかった」として適用を見送った[11]。 初公判で拳銃は20年から30年前に暴力団関係者から譲り受けたものであることなどが明らかとなり、盛岡地方裁判所は2020年4月7日、男に懲役5年の実刑判決を言い渡した。玉澤は判決後取材に応じ、「多くの方に不安や恐怖を与えた。また、社会の秩序を乱したことについては、大変申し訳ないことだと思っております」「(被告について)根は非常にいいやつなんだけど、残念ながら人が変わった。罪に服して、昔のA君(被告)に戻ってもらえればいいなと」とコメントした[12][13]。2020年12月23日付の最高裁判所第三小法廷で男への懲役5年の判決が確定した[14]。 略歴
人物
脚注
関連項目
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