辰馬本家酒造
辰馬本家酒造株式会社(たつうまほんけしゅぞう、Tatsuuma-Honke Brewing Co., Ltd.)は、兵庫県西宮市の清酒メーカーである。灘五郷では西宮郷に所在する。 概要1662年(寛文2年)創業。主な銘柄として「黒松白鹿」「白鹿」の2つをもつ。これら2つの銘柄は大まかに「特定名称酒か否か」で使い分けられている。(特定名称酒には「黒松白鹿」を使用) 代々社長・会長は辰馬家から輩出され、辰馬家により同族経営が行われている。辰馬家は灘の嘉納家(嘉納財閥)や山邑家(山邑財閥)などとともに、酒蔵でも指折りの名門である[4][5]。戦前は土地開発や金融業、海運業などさまざまな事業を手がけ辰馬財閥を形成していた。また本町辰馬家出身の山県勝見(元国務大臣・興亜火災海上保険元会長)が、辰馬財閥の大番頭として活躍したことでも知られている。他の阪神財閥とともに、阪神間文化(阪神間モダニズム)にも少なからず影響を与えた。戦後は財閥解体(第5次指定)の対象となり、現在の酒造業を中心とする体制へと移行したが、解体に伴って財閥を離れた事業の中には現在も残る企業の礎となったものもある。(→#関係企業) 現在は白鹿グループに属し、酒造業を営んでいる。この白鹿グループの中には関西の有名進学校である、甲陽学院中学校・高等学校もあり、灘の嘉納治郎右衛門(菊正宗酒造)、嘉納治兵衛(白鶴酒造)、山邑太左衛門(櫻正宗)によって設立された灘中学校・高等学校と並び、酒造メーカーが設立した学校としても著名である。 2016年4月には、江戸・明治期に築造された白壁造りの土蔵を活用した蔵元直営の「ショップ&レストラン 白鹿クラシックス」を建て替え、“木漏れ日のある酒蔵の店”をコンセプトに全面リニューアルオープンした。 銘酒「白鹿」の由来『白鹿』の名前は、長生を祈る中国の神仙思想に由来する。唐の時代、玄宗皇帝の宮中に一頭の鹿が迷いこみ、仙人の王旻(おうびん)がこれを千年生きた白鹿と看破した。鹿の角の生え際には「宜春苑中之白鹿」と刻んだ銅牌があり、唐の時代から千年遡った漢の武帝の時代のものとわかった。皇帝はこれを瑞祥と歓んで慶宴を開き、白鹿を愛養したと伝わる。その後にこの話を詠った瞿存斎(くぞんさい)の詩には「長生自得千年寿」の一節がある。「白鹿」の名は、縁起のよいこの故事にならい名付けられた[7]。 なお、茨城県石岡市にある石岡酒造でも『白鹿』の銘柄で日本酒を製造・販売しているが、石岡酒造との資本・業務提携関係は無い。辰馬本家酒造の白鹿は縦書き、石岡酒造の白鹿は横書きで区別されている。 歴史
辰馬家の歩み当主は代々「辰屋吉左衛門(のち辰馬吉左衛門)」を名乗る。7代辰馬吉左衛門の時代(18世紀末)に酒業栄え、その後西宮有数の酒造家に発展。安政2年(1855年)に10代辰馬吉左衛門が急逝し、11代辰馬吉左衛門が家督を継ぐも若年のため、10代吉左衛門未亡人の辰馬きよ(1809 - 1901)が、番頭の辰栄之介とともに切り盛りする[12][15] 。この時期に酒業ますます栄え、明治初頭に4000石だった生産高を20年ほどで約4倍に伸ばし、江戸積樽廻船の運航、宮水の販売など、経営も多角化する[12]。 この時期分家も進み、北辰馬家、南辰馬家、松辰馬家、柳辰馬家などが生まれた。北辰馬家は、10代辰馬吉左衛門の三女の婿である辰馬悦蔵が興し、白鷹 (企業)として存続する[12]。南辰馬家は10代吉左衛門の四男である辰馬喜十郎(日本摂酒株式会社社長)が興し(1943年に本家と合併)、洋館「旧辰馬喜十郎住宅」で知られる[12][16]。11代吉左衛門の娘が興した松辰馬家、南辰馬家初代の養女・潤(子爵大久保教尚の叔母)の婿・辰馬勇次郎が興した柳辰馬家はのちに本家と合併した[17]。勇次郎は辰馬汽船合資会社社長などを務めた[9]。10代吉左衛門の三男の辰屋鹿蔵は、中島家(尾張藩の飛び地門戸村の代官)に養子に入って中島成教となり、明治維新後に実家の辰馬本家と共同で神戸でマッチ工場を経営した[12]。 11代辰馬吉左衛門には子がなく、妻の辰馬たきが12代当主を務めた[9]。13代辰馬吉左衛門(1868 - 1943)は分家の北辰馬家の辰馬悦蔵の長男で、明治16年(1883年)16歳で辰馬本家の養子となり、1897年に家督を相続、酒造経営の近代化と合理化に努めた[14]。汽船部を設立し、第1次世界大戦により好景気となり、教育事業も始めた[18]。妻は松平直致の四女。13代の姪の婿である山県勝見は、辰馬海上火災保険社長、辰馬汽船社長を経て参議院議員となり、吉田内閣で国務大臣、厚生大臣を歴任した。 戦後の社長を務めた辰馬力(1896 - 1981)は南辰馬家初代の養子・辰馬利一(恵美酒銀行頭取、日本摂酒社長)と妻のあい(児島惟謙の娘)の長男で、戦前より社長を務めていた実家の日本摂酒が辰馬本家と合併したことにより社長となった[19][20]。妻は若尾璋八、毛利忠三(毛利元亮の子)の娘、弟・俊夫の岳父に平賀譲がいる。 その後継社長で14代当主の辰馬吉男(1906 - ?)は13代辰馬吉左衛門の長男。山口吉郎兵衛の長女を妻とし、15代当主となる長男・辰馬章夫(1941 -)をもうける。章夫は慶応義塾大学法学部法律学科卒業後、朝日麦酒を経て昭和43年(1968年)に辰馬本家酒造に入社し、昭和56年(1981年)代表取締役社長に就任、全国各地に「白鹿会」結成し、白鹿記念酒造博物館を開館するなどし、平成18年(2006年)から代表取締役会長、平成25年(2013年)からは取締役相談役を務める[18][21]。妻は野田醤油(現・キッコーマン)の高梨兵左衛門(小一郎)の娘、辰馬本家酒造現会長の辰馬健仁は章夫夫妻の次男。四男の辰馬伸介は、ホテルヒューイット甲子園を経営するロテルド甲子園株式会社代表取締役[22][23]。14代目吉男の次女は星島二郎の甥・星島和一郎に嫁いだ。平成18年(2006年)、辰馬章夫社長が代表取締役会長に就任し、新代表取締役社長に辰馬健仁が就任。令和2年(2020年)、会長兼社長の辰馬健仁が代表権のない会長になり、辰馬清が社長に昇格した。 過去の提供番組CM出演者白鹿グループ→詳細は「白鹿グループ」を参照
関係企業
脚注出典
参考文献主な執筆者もしくは書名の順。
関連項目
外部リンク
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