東京會舘
株式会社東京會舘(とうきょうかいかん、英: Tokyo Kaikan Co., Ltd.)は、宴会場、結婚式場、レストラン事業を展開する日本の企業。贈答用の洋菓子や料理缶詰の販売も手がけ、婚礼事業ではテイクアンドギヴ・ニーズ (T&G) と提携している[2]。 概要1922年(大正11年)、「民間初の社交場」として皇居前に建てられた田辺淳吉設計によるルネサンス様式の初代本館で開業し[4]、当初から本格的なフランス料理を提供[5]。戦後、数年間は連合国総司令部 (GHQ) に接収され、将校クラブとして営業する[5]。1971年(昭和46年)12月に谷口吉郎の設計で建て替えられた二代目本館が竣工し[4]、世界的芸術家や政財界の大物が訪れ、エリザベス女王夫妻(1975年)も迎えた[5]。また文化人にも愛され、井上靖や三島由紀夫らの著作にも登場してきた[5]。 芥川賞及び直木賞の記者会見や受賞式、多くの出版系授賞式などで使用される[6]。 丸の内二重橋ビル内にリニューアルオープン東京會舘に隣接して同様に老朽化した富士ビルヂング、東京商工会議所ビルの3棟を一体で建て替え、2019年(平成31年)1月8日に完成した丸の内二重橋ビルで、三代目の新本館を開業した[2]。 新本館の丸の内4th通り外壁には長さ72mにわたる20枚のレリーフを設け、正面玄関の庇には初代本館からヒントを得たという重厚なアーチ状の装飾梁を設置[4]。従来はなかった長大な専用車寄せもが備えられ、来訪者をスムーズに受け入れる[4]。 1階エントランスロビーは2層吹抜けとし、二代目本館ロビーで設けられた猪熊弦一郎作モザイクタイル壁画「都市・窓」を保存展示[4]。初代本館から三代引き継がれたシャンデリアは、従来の部品を解体清掃して階段室最上部に移設した[4]。 メインバンケットルーム「ローズ」(2000名規模まで収容可能)は、建物がGHQに接収された際、天井を見上げた将校がほのかなピンク色の装飾がバラのように美しいと称賛したことから、「ローズ」と名付けられた逸話があり、新会館でもその名前がそのまま継承された[7]。丸の内エリアでは最大のバンケットで、国際規模の催しにも対応する[8]。初代本館の貴賓室を再現した「バイオレット」は、シャンデリア、ミラー、マントルピースは大正時代のものを使用[7]。カーペットやカーテンの柄も、初代本館の写真を見ながら二代目本館のときよりも忠実に再現した[7]。7階の皇居を望むチャペルの壁面は、皇居との連続性を意識し石垣とし、ひとつだけ、ハートの形の石が隠れている[7]。 レストラン・バー・会員制クラブ・ショップが営業し、朝から密かに酒が飲めるように牛乳を使ったカクテルはマッカーサー元帥も愛飲したといわれ、メインバーで楽しむことができる[5]。会員制のユニオンクラブには、各界著名人が多数在籍。クッキングスクールも併設し現役のシェフが講師を務める。
沿革1922年(大正11年)11月1日 - 田辺淳吉の設計によるルネサンス様式の初代本舘が竣工。 1923年(大正12年)- 1927年 - 関東大震災の影響で休業する。 1940年(昭和15年)12月 - 大政翼賛会が発足すると、突如接収され、ここに中央本部が置かれた。1942年から1945年まで「大東亜会館」と改称された。 太平洋戦争後、数年間はGHQに接収され、将校クラブとして営業する。 1949年(昭和24年)5月 - 東京証券取引所(現:東京証券取引所第二部)に上場。主幹事証券は日興證券(現:SMBC日興証券)。 1949年(昭和24年)5月20日 - 政府の要請で経営難となったホテルテートを運営する新会社「ホテルテート」を東京會舘を中心として設立[9]。 1959年(昭和34年)10月14日 - 国有財産ホテルテートの土地・建物が東京會舘に払い下げられる[10]。 1960年(昭和35年)2月1日 - ホテルテート跡地に開業する「パレスホテル」が分離発足[11]。 1971年(昭和46年)12月 - 谷口吉郎の設計による二代目本館が竣工。 2015年(平成27年)1月31日 - 二代目本館の営業を終了し、建て替えを実施。 2019年(平成31年)1月8日 - 丸の内二重橋ビルの一部となる形で新本館(三代目)の営業を開始[12]。 東京會舘が運営する他の会館・施設
関連項目
脚注注釈・出典
参考文献外部リンク
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