24時間テレビ 愛は地球を救う1
『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(24じかんテレビ「あいはちきゅうをすくう」)の第1回放送は、日本テレビにて1978年8月26日 20:00 - 8月27日 20:00(JST)に生放送された。 概要日本テレビ放送網の開局25年記念事業の目玉として、「テレビの持つメディアとしての特性を最大限に生かし、高齢者や障碍者、また途上国の福祉の実情を視聴者に紹介するとともに、広く浄財(募金)を募集し、思いやりのあふれた世の中をつくるために活用する」[1]ことを目指して、当時の日本テレビのプロデューサー・都築忠彦が、アメリカ合衆国で行われた、ジェリー・ルイス主催のレイバー・デイ・テレソン[2]を翻案して企画されたといわれている。また、都筑が手掛けていた『11PM』においても1975年から年3回程度の割合で世界の福祉事情を取材した特集が放送されていたが、それのスピンオフ(延長線上)として開催することも企画されたといわれる[3]。なお、タイトルの通りの24時間丁度での放送は2023年現在、この第1回のみであり、第2回以後は24時間を超えた時間枠で放送されている。 サブタイトルは「日本テレビ開局25年記念特別番組 テレビ誕生25年スーパー・スペシャル」、テーマは「寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!」[4] オープニングは当時の芝公園・郵便貯金ホール(後のメルパルク東京)からの中継で、テーマソングとしてピンク・レディーが歌う『2001年愛の詩』(作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一)が用意された。また中継がつながらない場合のバックアップも兼ね、当時の日本テレビ本社Gスタジオにセットが組まれ、そちらからも随時募金の案内がなされた。 当初は日本テレビ開局25周年記念事業としてこの1回だけで終わらせる予定[3]であったが、全国の日本テレビ系列局を中心とした29局の累計募金額は1,190,118,399円[4][注釈 1]を数え、日本テレビ麹町本社Gスタジオ(当時の登記上の本社があったところ。現在の番町スタジオ)に設けられた募金受付用の電話には189万本の電話がかかり、そのうちつながったのは約3.7%にも満たない7万本程度だったといわれるほどの盛況を見せた[3]。中には番組中に受付電話番号が発表されたにもかかわらず局番の間違いが相次ぎ、「間違い電話は迷惑になります」と注意喚起したものの、27日18時から18時20分に生放送された『NNN日曜夕刊』で大橋巨泉から20件ほどの間違い電話があり「善意の間違い電話だった」ことを謝罪したほどであった。この累計募金額の最高記録は2011年の24時間テレビで1,986,414,252円の累計募金額を達成するまで、33年に渡り更新されることはなかった。 番組を終えるにあたっての閉会セレモニー(代々木公園)において、会場内のインタビューアーを務めた徳光和夫(当時日本テレビアナウンサー)が、会場にいたある高校生にインタビューを向けたところ「欽ちゃんさ、あの聖火みたいに、今日1日で消さないでずっと続けてよ。これ消えちゃたらつまらないじゃない?タモリも頑張ってよ。どんどん笑いで訴えて」と提言。これに萩本欽一とタモリは冷静に対応し、今後も継続を要望する市民の圧倒的な声が殺到した。そして、日本テレビ代表取締役社長・小林與三次が急遽ステージに登壇し萩本から「また来年もやってくれと言ってますよ」との問いに「ご支持いただくのであれば何度でもやります。そういう必要がある限り」[5]と高らかに宣言し、事実上24時間テレビを継続開催することが決定したのである。 主な出演者
スタッフ
ネット局
関連番組
脚注注釈
出典
外部リンク
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