Macintosh 128K
Macintosh 128K(マッキントッシュ 128K)は、1984年にApple Computerから発売されたパーソナルコンピュータ。同社のMacintoshシリーズの最初のモデルである。発売時の名称は「Apple Macintosh」であったが、後に拡張版のMacintosh 512Kが発売された段階で「Macintosh 128K」と再命名された。 $2,495という個人でも手が届く価格でありながら、マウスによる直感的な操作インタフェース、マルチウィンドウ、メニュー方式の操作、アイコンによるファイル操作、それまでになかった美しい文字フォント(フォントの線の太さの変化や細やかな飾りの部分の表現)などを実現した。 キーボードおよびワンボタン式のマウス[8]が付属。3.5インチフロッピーディスクドライブ(容量400KB)搭載。一体型の白黒9インチCRTの解像度は512×342ピクセル。[9] ベージュ色の本体ケースは、上部に手を入れて持ち運べる構造になっている。
ペイントソフトの MacPaint およびワープロソフトの MacWrite がバンドルされていた。また本機の発売と同時にマイクロソフト社初のGUI式表計算ソフトとなるMacintosh版 Microsoft Multiplan が発売された。
Macintosh 128Kは、徹底した低価格化、および描画性能に重点が置かれて設計された。それを実現するために白黒CRTが選択され、拡張性もあえて削られた。発売時の価格を$2,495に抑えることに成功。この価格にもかかわらず、その性能は当時の$10,000以上の中型機に匹敵するものとなった。[要出典]こうして低価格と高性能を両立したことによりまさに「飛ぶように売れ」、その販売台数は1984年5月3日までに72,000台に達した。 主構成CPUとメモリCPUはMotorola 68000(7.8336MHz)。 RAMはDRAMが128KB 。この128KBのRAMをCPUとディスプレイコントローラが共有している。データバスは16ビット。RAMは拡張できない仕様[10]。 ROMは64KB。そのROMにはブートプログラムおよびOSの一部のルーチンが書き込まれている。ROMは192KBに拡張されたが、DMAビデオコントローラと共有されるディスプレイの22KBフレームバッファに相殺された。[要出典] フロッピーディスクドライブ開発時、1983年の夏の時点では Lisaと同じ5.25インチ"Twiggy"フロッピーディスクドライブが採用される予定だったが、このドライブは信頼性が低かったため、ソニー製の3.5インチ、容量400KBの、フロッピーディスクドライブに変更された。[要出典] 拡張ポートと周辺機器
ハンドシェイクはサポートされなかった。
Apple社純正プリンタとしては、ドットマトリクス式で144dpiの ImageWriter が販売された。 コマーシャル発売年にちなみ、リドリー・スコット制作のテレビコマーシャル、『1984』が1984年の1月22日のスーパーボウルXVIIIで放映され、米国では大きな話題を呼んだ[1]。アドバタイジング・エイジの「いままでで最もすばらしいコマーシャル」を含め9つの賞を獲得した[11]。 アップグレードサービスの用意Apple社は「公式」の、ただしかなり高額の、アップグレードサービスを用意していた。Macintosh 128Kには、以下のいずれのキットも、単独でも組合せでも、追加することができた。全てのアップグレード作業はApple社のプロの技術者が担当した。
ロジックボードを128Kタイプから512Kタイプへ交換する、というもの。 他にも、Apple社は「800KBフロッピーディスク用のキット」を用意しており、そこには512Kロジックボードへの更新と、128KROMへのアップグレードも含まれていて、つまりそちらでもMacintosh 512Keへとアップグレードできた。
ロジックボードを「128K」から「512Ke」へアップグレードして、同様に筐体も入れ替えて、結局Macintosh Plusへとアップグレードすることもできた(ただしこの場合、純正のMacintosh Plusとは出力端子の配置が異なるものとなる)。Macintosh Plusの拡張キーボードも選択できた。 開発者らの署名1982年初頭に作られたMacintoshの筺体の金型には、筐体の内側、つまりユーザからは見えない面に、開発関係者のビル・アトキンソン、アンディ・ハーツフェルド、スティーブ・ジョブズ、バド・トリブル、ジェフ・ラスキン、スティーブ・ウォズニアック、ジョアンナ・ホフマン、ジェリー・マノックら47名の署名が彫られていた[12]。 過熱と対処法当機は放熱が十分でなく、過熱問題がつきまとった。 スティーブ・ジョブズは静穏なコンピュータを好んでおり[13]、本機の開発時、ジョブズの判断で、騒音の元になる冷却ファンを取り付けることが見送られたという経緯がある。たしかにそのおかげで静かな製品とはなったが、そのかわりに熱問題が伴ってしまったのである。 たとえば夏季などに筺体内部のFDDドライブ等がひどく発熱してしまい、一部では挿入したフロッピーディスクのラベルが茶色く焦げ気味になる事態まで起き、当機は「The beige toaster(ベージュ色のトースター)」というあだ名までつけられてしまった。 Larry Pinaが当機の問題点を解消するためのDIY方式の安価な改修法の、総計数百ページにもおよぶ以下のマニュアルを公表・出版した。 ギャラリー脚注
参考文献
外部リンク
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