国鉄D51形蒸気機関車498号機D51 498は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が動態保存する蒸気機関車 (SL) で、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造したD51形蒸気機関車の1両である。 経歴現役時代から保存までD51 498は、1940年11月24日に鉄道省鷹取工場にて落成し[注 1]、鷹取から近い岡山機関区に新製配置された。のちに吹田(1951年8月 - )→平(1953年12月 - )→長岡第一(1963年10月 - )→直江津(1965年4月 - 、配置替えではなく貸し渡し)→新津(1966年3月 - )→坂町(1972年3月 - )と各機関区を転々としていた。先輪は刻印から1955年10月に郡山工場でC58 103の物に交換されたことが分かっている[1]。当のC58 103は1972年に廃車後、岩手県一関市の一関文化センターで保存されている。 なお、新津時代には、同じJR東日本で復元されたC57 180と同時に所属していた時期(本機が新津に配転された1966年からC57 180が廃車された1969年まで)があった。また、のちの1972年に梅小路蒸気機関車館に動態保存され、現在山口線で保存運転を行っているC57 1とも同時に所属していた。このため、1966年から1969年の3年間は奇しくも3台の復活蒸機が同じ所属で活躍していたこととなる[注 2]。さらにその前の平機関区所属時には、梅小路蒸気機関車館にて動態保存されている8630(1952年12月 - 1970年3月)と、銀河鉄道999のモデルともなったC62 48(1950年8月 - 1967年9月)の2台と同籍しており、当機は多くの名声ある機関車との関わりを持っている。 1972年10月に鉄道100周年記念で八高線にて運転されたイベント列車の牽引を最後に運用から外れた。なお、配置は坂町機関区のままで、高崎第一機関区には貸し渡しとされている。 その後、同年12月1日に車籍抹消となったが、同日に群馬県利根郡月夜野町(現・みなかみ町)に貸与されることが決定し、4日後の12月5日に上越線後閑駅前(構内脇)にて静態保存された。 保存機からの復元以後国鉄分割民営化後の1987年10月、JR東日本では「地域密着」をテーマに「蒸気機関車を復活して走らせよう」との動きが持ち上がった。折から横浜市の「みなとみらい21」地区で、1989年に開催される「横浜博覧会」の事務局から、品川 - 博覧会会場間をSL列車で運転したいと正式に申し入れがあり、これに間に合わせるためSLの復元計画がJR東日本内で正式に決まった。これにより、関東地方に保存されているさまざまな静態保存機をリストアップし、調査の結果、交通博物館に保存されていたC57 135が一番良く整備され保存状態の良い機関車であることが判明した。JR東日本はこのC57 135の復元を行おうとしたが、SLの代名詞的存在であり、最もポピュラーな「デゴイチ」を走らせることが、地域密着を図るうえで最も効果的であるという当時の社長住田正二の判断によって、C57 135の復元は見送られ、D51形を復元するという方針が決定した。改めて調査を行った結果、茨城県のD51 70とこのD51 498が同形式で最も状態の良かった機関車となった。そしてこの選択では、標準型である当機のスタイルが一番馴染み深く愛されるという理由で498号機が選ばれ、当機の動態復元が決定された。 1988年3月に後閑駅の静態保存場所から復線し、DD51形に牽引され高崎運転所へ、その後6月12日に同じくDD51形による牽引で大宮工場へと回送され、動態復元に向けた大掛かりな復元工事を11月25日までに完了した。その後、動態保存機として車籍が復活され、同日付で正式に高崎運転所に配属となっている。復元に際し、できるだけ原型に近付けるために前照灯(ヘッドライト)の変更(LP403→LP42)、デフレクターバイパス弁点検口の閉口、キャブ屋根延長部の切除、蒸気ドーム前方手摺りの小型化、テンダー重油タンクの小型化などの工事も行われている。また、ボイラー保護のため使用圧力を所定の15kg/cm2から14kg/cm2に下げて使用されている[注 3]。運転速度も、メインロッドへの負荷を軽減するため、高崎地区での運用時は50km/hまでを最高運転速度としている。 当初予定されていた「横浜博覧会」での運転は、諸事情により中止となったが、その代わりに当時来日していた「オリエント急行'88」の国内ラストランに合わせ、上野 - 大宮間で当該列車を牽引し、復活記念の運転を行うことが決定された。1988年12月23日、EF58 61を補機として後ろに従え、前部本務機として先頭に立ち復活をアピールした。この運用に限り、テンダー側面には来日した「ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行」(NIOE) に使用されているワゴン・リ客車の側面エンブレムを模した特別塗装が施されていた。この際、後ろのEF58 61は赤羽駅での遅延回復による後押しを行った程度で、それ以外の区間はすべて当機の単独牽引によるものと語られている[3]。 その後は車籍の再登録が行われ、「JR東日本の顔」として、主に上越線の「SL奥利根号」(後・「SLみなかみ」、現・「SLぐんま みなかみ」)を中心に、様々なイベント臨時列車に起用され、東日本全域で運転されている。特に注目されるものとしては、現役時代の縁の地である新潟地区にもC57 180の代行運転などとしても使用されることがあるなどが挙げられる。また、イベント列車以外でも高崎運転所(現・ぐんま車両センター)構内のほか、「SLぐんま みなかみ」使用区間の上越線高崎 - 水上間や「SL碓氷」(現・「SLぐんま よこかわ」)の信越本線高崎 - 横川間でSL運転士育成のための乗務員訓練運転に使用される機会も多い。 1989年6月には、同年8月31日にATS-P形が全線に導入されていた京葉線の蘇我 - 新木場間で、同機を使用した「SLコニカ号」[4] の運転のために保安装置(ATS-P形)の設置工事が大宮工場で行われ、テンダー後部に同装置の電源が追設され、本務機関士席の加減弁の上にATS-P形表示器が設置された。また、ATS-P形の専用車上子は先台車上部に設置された。なお、ATS-P形の車上子は1998年ごろに同装置の改良工事が行われ、カモフラージュ及び車上子保護を兼ねてスノープラウ(排雪器)の常備化を行っている。さらに、2000年代に入ってから仙台地区と新潟地区に普及している保安装置に対応するため、2006年12月にこれまで使用していたATS-SN形からATS-Ps形に改造・変更された。2010年春の中間検査B施工時では、防護無線装置の更新が図られ、首都圏地域で普及しているデジタル無線への置き換えが行われている。2013年4月の全般検査出場では、テンダーに変化が見られ、テンダー内部のタンク水容量の残存状況をデータ化するための装置が重油タンクとATS-P形電源箱の間に追設、ATS-P電源箱自体もそれに合わせて更新された。同時に冬季の旧型客車の牽引に備えて蒸気暖房設備の再整備を実施し、暖房ジャンパ管の取り付けが復活した。運転室内部では速度計の更新を実施、C61 20やC57 180同様、ATS-Ps形の速度検知に対応した電気式速度計となった。 また、LP402A形ヘッドライト(C57 180、C58 363などのLP-403とは違う。またC6120はヘッドライト、テンダー共にLP-402E)への交換(2002年)が行われている。この時、ヘッドライト上部に庇状の氷柱きりを装備した特殊なスタイルとされたが、2008年5月から7月にかけての中間検査A実行時で外され、より往年の状態に近いスタイルになった。なお、2015年5月には同15日に初めての夜間営業となった「SL YOGISHA碓氷」の運行のために、新たにLP405形ヘッドライト(シールドビームタイプ)を追加装備したが、副灯取り付け台座自体は動態復元以前から設置されている[注 4]。2020年3月の全般検査出場時からは、暗所での照明範囲改良のため、双方のライトの設置角度が下に向くように変更されている。 正面のナンバープレートは復活時には赤地に金抜き文字で形式入りの大型のものであったが、1995年12月ごろに形式のない往年の状態のナンバープレートに取り替えられた。その後、赤や緑のものや青地に白抜き文字のものなど何種類かのナンバープレートを取り付けた状態も過去に見受けられた。赤は「奥利根」10周年の1999年と15周年の2004年に実施。緑も同じく2004年に高崎駅開業120周年記念事業として登場している。水色プレートは、2003年の「EL&SLみなかみ物語号」で実現した[5]。また、2007年12月の「SLみなかみ物語号」からは、同機の復活20周年を記念して赤ナンバープレートで運転していたが、2008年5月の「EL&SL奥利根号」で一旦通常の黒ナンバープレートに戻されている。その後、7月19日から9月17日まで連続して運行された「EL&SL奥利根号」および「SLみなかみ」(EL&SL奥利根号のSL区間のみに短縮した列車)では、期間限定で赤→青→黒(通常)→緑の4パターンでナンバープレートの色を塗り替えて運行されている。これは当時、水上地区とタイアップしたミニデスティネーションキャンペーンのイベント企画の一つでもあり、鉄道ファンの注目を浴びせるための配慮でもあった。なお、お盆期間に掲出された青色は、前述の「ELSL水上物語」のものとは若干異なり、濃い青地であった。 当機の汽笛の音色は、復活以来5回以上に渡ってチューニングの変更がされており、復活蒸機の中では汽笛の音色のバリエーションが一番豊富となっている。というのも、当機の汽笛吹鳴は膨大な圧力がかかっており汽笛本体の消耗が一番激しいためで、特に検査入りの直前ではクラックが発生して汽笛吹鳴時にうまく鳴らなくなるなど、安全上の支障を来たす懸念も多い。そのため、変更時に本体そのものの交換が行われている場合もある。 その他の外観上の変化としては、2006年10月の全般検査出場の際、スノープラウの右下側に「D51498」と記されたペイントが施され、2007年2月の内房線、木更津 - 館山間の快速「SL南房総号」や千葉 - 木更津間の快速「SLちばDC号」の運行などで見られた。しかしながら、これは1年間限定であり、2007年10月の「EL&SL奥利根号」「SLみなかみ物語号」からはペイントが塗り潰され、通常仕様に戻されている。なお、復活初期にも一時期、大文字でスノープラウにペイントが記されていたこともある。 2010年4月28日には、鷹取工場式をイメージした長野工場式集煙装置の取り付け、および後藤工場式に準じた切取大型デフ後藤工式変形デフ(門鉄デフの一種)へ変更した形態で報道陣に公開され、いわゆる「重装備仕様」となった[6]。この集煙装置および切取デフ(後藤工式変形デフ)は、同年5月29日から6月6日まで運転された「SLやまなし号」が甲府 - 小淵沢間で運転されるのに際し、連続25パーミルの急勾配かつ約1kmのトンネルが存在する新府 - 穴山間を通過するため、その対策を兼ねて新造・取り付けが行われたもの。これにより、D51 499に類似した形態となった。同時にキャブのナンバープレート下に取り付けられている製造銘板も新たに製作・交換されている。この形態で、同年4月29日の「SL碓氷」より営業運転を再開。また、2010年5月1日からの「SLみなかみ」からは、D51 499のデフに取り付けられていた後藤工場標準仕様車を示すプレートを摸した、JR東日本のマークを添えた動輪柄のシールがデフに追加された[注 5]。「SLやまなし号」運転当日は、ファンサービスとして2008年夏で使用された4種類のナンバープレートが1日ごとにリレーし、29日に黒色、30日は青色、翌週5日に緑色、6日は赤色を掲出した。 この重装備スタイルはその後もしばらく維持されて、同年12月の「SL湯けむり号」、2011年春の「D51ばんえつ物語」、同年6月の「SL津軽路号」などの出張運転でも同スタイルでの運転となったが、同年7月から開幕する「群馬デスティネーションキャンペーン」に合わせて元のスタイルに戻された[7]。ただし、再度重装備仕様で運行できるよう、集煙装置の取り付け用台座、および非公式側から操作できる集煙装置開閉ハンドルテコはそのまま残された(取り付け用台座は、ボイラーケーシングに溶接したため、綺麗に復元することが困難であるのも理由)。2013年4月の全般検査出場後も取り付け用台座と運転台ハンドルテコ挿入口はそのまま残存し、集煙装置取り付けの準備は確保されている。しばらく重装備仕様での運行はなかったが、2021年7月10日運転の「SL横川ナイトパーク」から翌週7月18日の「SLぐんま よこかわ」まで短期間ではあるが、10年ぶりに重装備仕様が復活した[8]。 2022年3月12日のダイヤ改正による高崎車両センターの再編に伴い、高崎車両センター高崎支所がぐんま車両センターに改称されたため、区名札が「高」から「群」に差し替えられた。 ちなみに2010年以降、節目の年を迎えるにあたっての特別な装備などは以下のとおり実施されている。
当機は2018年11月に復活30年周年を迎え、それを記念して全般検査入場となる2019年5月までの半年間、復活当時に牽引した「オリエント急行'88」の装飾をリスペクトした30周年記念装飾をヘッドマーク・テンダーに施した。
復活後に起きた重大故障や修繕当機は各地での出張運転の頻度からたびたび故障を来たし、稀に運行中止の事態に至る重傷を負うことも珍しくなかった。1997年2月の「SL磐梯・会津路号」の運転時、動輪周りに深いダメージを負い数か月間運転不能に陥ったことがある。この際、予定されていた同3月の「SLえちご阿賀野号」(磐越西線:新津 - 津川間)や同5月の「SLあきた号」(奥羽本線:秋田 - 横手間)の牽引ができなくなり、「SLえちご阿賀野号」は秩父鉄道のC58 363による代走牽引に、「SLあきた号」は運転日を2か月ほど延長する事態となった。また、2008年12月には、当機は陸羽東線で運行を予定していた「SL湯けむり号」の試運転に向けて小牛田運輸区にて火入れを行った際に、指導にあたっていた機関士の確認ミスによるボイラーの空焚きを起こし火室を破損、当時修理には最大1年半かかる見込みと報道された[9]。このため真岡鐵道のC11 325を緊急手配して同機を本務機に、後補機にはDE10形ディーゼル機関車を連結して代走した。また2009年1月のEF55ファン感謝祭で使用されるSLは「SLえちご阿賀野号」で代走していたC58 363に、同年2月13 - 15日に京葉線・内房線千葉みなと - 木更津間で運転の「SL春さきどり号」牽引機はC57 180に変更された[10][11]。その後、報道時の半分の9か月で修理が完了した当機は、2009年10月1日 - 11月30日の土休日にかけて高崎 - 水上間で運行される「SLみなかみ」で復活することが発表されていたが、実際には少々前倒しされ、9月19 - 23日のシルバーウィークに復帰した(21日は運転なし)[12]。 いずれも「SL奥利根号(SLみなかみ)」などにも影響し、電気機関車やディーゼル機関車による代行運転が生じている。こうした出来事が契機となって、JR東日本では予備機確保のもと、動態復元候補となる全国各地に存在する静態保存SLの調査に乗り出すこととなり、2009年6月11日、伊勢崎市の華蔵寺公園で静態保存されていたC61 20を3億円をかけ、2011年を目標に動態復元すると発表した[13]。なお、同機は2011年3月に復元が完了して3月31日付で車籍が復活、同年4月から本線での試運転を開始して6月4日から営業運転を開始している。 2013年4月に5回目の全般検査を出場したが、上越線で仕上げとなる本線試運転にて先輪から異音を発するのが確認された。調査の結果、先輪に傷が入っているのが判明し、7月7日の「SL七夕みなかみ号」で一旦営業運転から離脱し、のちに何度か調整のための試運転を重ね、8月13日の「SLみなかみ」より運転再開。しかしその後も不調が続き、同10月20日の「SLググっとぐんま碓氷」牽引中、シリンダーに不具合が発生している。その不具合も解消し、11月2日に運転に復帰した。 運転記録参考として、これまでの出張運転履歴を掲載する。なお上越線高崎 - 水上間を走行する臨時列車については、「SLぐんま みなかみ」を参照のこと。D51 498は、多くが節目の年に当たることを理由とする記念運転に用いられることが多い。また、デスティネーションキャンペーンのトップイベントとしても使用される。客車は特記を除いてほとんどが12系客車を使用している。
展示など
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク |