廃帝 (西魏)
廃帝(はいてい)は、北朝西魏の第2代皇帝。姓は元、諱は欽(きん)。文帝の長男。母は孝文帝の外孫でもある皇后乙弗氏。 生涯大統元年(535年)1月に父が西魏の皇帝に擁立されると、皇太子に立てられた。大統17年(551年)3月、文帝の崩御により皇帝に即位した。 553年11月、尚書の元烈が宇文泰の殺害を謀ったが露見して殺された。元欽はこのことで宇文泰を恨み、その殺害を画策した。臨淮王元育や広平王元賛によって諫められたが、元欽は諫言を聞き入れなかった。554年1月、宇文泰により廃位され、弟の斉王元廓(恭帝)が立てられた。元欽の身柄は雍州に置かれ、同年4月に毒殺された。 元欽の在位中には元号が建てられなかったため、後世の史書では552年・553年を「西魏廃帝元年・2年」と呼んでいる。
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