東日本旅客鉄道新潟支社東日本旅客鉄道新潟支社(ひがしにほんりょかくてつどうにいがたししゃ)とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)の地域支社。旧日本国有鉄道の新潟鉄道管理局の旅客部門を継承している。 概要北陸新幹線上越妙高駅以西と大糸線以外の新潟県内JR線全路線と、磐越西線の福島県内区間のうち喜多方駅以西、羽越本線・米坂線の山形県内区間のうち、それぞれ酒田駅以南、今泉駅以西を管理している。 新潟駅を中心とする新潟市内(一部除く)の区間(信越本線・新潟駅 - 新津駅間、白新線・新潟駅 - 豊栄駅間、越後線・新潟駅 - 内野駅間)は、昼間20分間隔のパターンダイヤにより運行されている。また、新潟駅を中心とする新潟近郊区間ではSuicaが利用できる(詳細は後述)。これは、JR東日本管内の地域支社の中では、首都圏、仙台都市圏に次ぐ3例目となる。 2022年のJR東日本の組織再編では、新潟支社は組織再編の対象とはならなかった[注 1]。 支社所在地沿革
管轄路線前述のように新潟県内の大半と山形県・福島県内の一部のJR鉄道路線を管轄としている。2021年(令和3年)3月31日時点で、合計776.7 kmの在来線、168.0 km[* 1]の新幹線、193の駅(直江津駅を含む)を管轄している[5]。新幹線については2019年4月1日より発足した新幹線統括本部へ列車運行・線路設備管理業務を順次移管しているが[4]、現在も元々の管轄区間が営業エリアとして位置づけられている。
※支社境界はいずれも停車場の無い閉塞区間上にあるため、境界線の内側の停車場(駅・信号場など)を記載している。なお、◇が付いた路線は全線が管理区間内に入っている路線、●印が付いた路線は他線接続駅しか管理区間内に入っていない路線である。
上越妙高駅は接続する信越本線がえちごトキめき鉄道に移管された上に、両方向の隣の駅が新潟支社の管轄から外れているため、新潟支社の関与も駅運転・営業業務のみとなった(軽井沢駅や新青森駅のように、保線担当支社との管轄の統一等は行われなかった)が、新幹線統括本部の発足により、この管轄形態はJR東日本管内全体に拡大することになった。
なお、飯山線については、2010年3月まで越後川口駅付近を除いて全区間長野支社管轄であった。 統括センター
車両基地※配置車両・ジョイフルトレインについては各項目を参照。 乗務員区所運転士・車掌なお、運転士のうち、甲種蒸気機関車運転免許を所有し、蒸気機関車牽引列車の運転業務が可能な運転士は新津運輸区にて勤務となる[注 2]。 設備保全区所保線関係区所
電気関係区所
その他の区所
管内のSuicaサービスエリアJR線2004年秋より、新潟駅を中心とする30 km圏内(新潟都市圏)に自動改札機が設置された。続いて2005年10月以降、委託駅・無人駅など13駅に簡易Suica改札機を導入する作業が進められ、2006年1月21日からSuicaのサービスを開始した。JR東日本管内の在来線で自動改札およびSuicaが導入されたのは首都圏、仙台都市圏に次いで3エリア目である。 また2008年にサービスエリアが拡大され、3月15日から羽越本線・新津 - 新発田間、磐越西線・五泉 - 新津間、信越本線・長岡 - 東三条間、弥彦線全線の区間各駅で新たにSuicaのサービスが開始され、同時に磐越西線・五泉 - 新津間、信越本線・長岡 - 東三条間が新潟近郊区間に指定された。これにより、新潟近郊区間及び新潟市域のJR線内は全区間でSuicaが利用できるようになった。 さらに2009年3月14日からは上越新幹線・長岡 - 新潟間もサービスエリアに加わり、定期券に限り利用可能となっている(首都圏等と同様、Suicaフレックス定期券およびSuicaフレックスパル定期券と、新幹線の駅が2つ以上含まれるSuica定期券のみが対象)。 また2014年4月1日から新潟エリアの上越線の小千谷駅、信越本線の宮内・柏崎・直江津各駅、羽越本線の中条・坂町・村上各駅の7駅がSuicaの一部サービスに対応した。新潟近郊区間も上越線小千谷駅~宮内駅間と信越本線直江津駅~長岡駅間、越後線柏崎駅~吉田駅間、羽越本線新発田~村上駅間が新たに拡大。 下記は2014年4月1日現在の新潟地区Suicaサービスエリア。SuicaのほかにKitaca、TOICA、ICOCA、SUGOCA、PASMO、manaca、PiTaPa、nimoca、はやかけんも利用できる(詳細な利用可能ICカードはSuicaの項目を参照)。
改札機運用開始日上記Suicaサービスエリア内の各駅で、自動改札機の運用を開始した日付は下記の通り。 Suicaエリア外の自動改札機設置駅支社管内ではこのほか、新潟近郊区間に含まれない主要駅にも自動改札機が導入されている。なお、下記の駅は現在Suicaのサービスエリア外であるため、Suica等は利用できない。 2005年12月期の自動改札機導入に関しては、新幹線の停車駅である越後湯沢駅、浦佐駅、長岡駅、燕三条駅の在来線改札では見送られたが、その後長岡駅には自動改札機が、燕三条駅には簡易改札機が導入されている。未設置の越後湯沢、浦佐両駅の設置予定は決まっていない。なお、新幹線改札では前述の通り2008年3月からモバイルSuica特急券のサービスが、さらに2009年3月からは長岡 - 新潟間で定期券のサービスが開始されている。 なお北陸新幹線開業前の旧信越本線高田駅でも自動改札が設置されていたが北陸新幹線開業後第三セクター移行に伴い自動改札が撤去された。 JR線以外の交通機関2009年11月1日午前0時から、新潟市内と長岡市内のタクシー2社でサービスを開始した。タクシーへのSuica導入は、首都圏エリア以外では初。また2011年10月25日から、南魚沼市内のタクシー1社でもサービスが開始された。 路線バスでは、新潟県下越地方を中心に路線バスを運行する新潟交通グループ(同社および新潟交通観光バスの両社)が、新潟市のオムニバスタウン計画の一環でSuicaと互換性のあるIC乗車カードによるストアードフェアシステム「りゅーと」のサービスを、2011年4月24日から新潟市中心部を発着する一部路線バスを皮切りに順次開始し、加えて2013年3月23日から、りゅーとのサービスエリアにおいてSuicaをはじめとする全国10種類の交通系ICカードのサービスが開始された。但し、りゅーとは他のICカードのサービスエリアでは使用できない。また、りゅーとのサービスエリアにおいては、他のICカードはチャージが利用できない(窓口、チャージ機、バス車内のいずれも)など、利用に一部制限がある。 これに先立って2010年11月1日から、新潟駅 - 新潟空港間を連絡する路線バスの専用乗車券券売機でSuicaのサービスが利用できる。これは新潟県と新潟交通、JR東日本新潟支社が新潟空港利用者の利便性向上を目的に共同で実施している実証実験の一環で行われているものである。 また新潟県では佐渡汽船の利便性向上を目的に、両津航路(新潟港 - 両津港間)でもSuica等が利用できるよう、県と佐渡汽船、新潟市、佐渡市の共同事業としてシステムの準備作業を進め、2013年3月23日から「Suica電子マネーサービス」のシステムによるサービスを開始した。
新潟近郊区間この自動改札導入に伴って2004年11月27日、新潟駅周辺30km圏内の区間が大都市近郊区間に設定された。これは東京、大阪、福岡に次ぐもの。その後2008年3月15日からSuicaのサービスエリア拡大に伴って、対象区間が延伸された。2014年4月1日にも新潟近郊区間が拡大され、その中の一部の駅でSuicaが使えるようになった。 下記の区間内各駅相互発着の運賃は最短経路で計算される。ただし区間内での途中下車はできない。また上越新幹線の区間は近郊区間に含まれない。 ※太字:2014年に延伸された対象区間
乗車人員ベスト202022年度、新潟支社管内で一日平均の乗車人員が多かった20駅は下記の通り[6]。
関連事業総合車両製作所新津事業所→詳細は「総合車両製作所新津事業所」を参照
前身は1994年(平成6年)10月、JR東日本新潟支社が当時の新津市に所在した新津車両所を改組して発足させた新津車両製作所で、JR東日本は新津車両製作所の事業・資産等を2014年(平成26年)4月1日付でJR東日本傘下の総合車両製作所へ会社分割により譲渡し、現在の体制となった。 関連会社ジェイアール新潟ビジネス(JNB)
新潟鉄道管理局時代から1990年代前半まで、駅業務受託や支社管内の不動産管理を行っていた新鉄開発(しんてつかいはつ)を改組し商号を改称した。略称は『JNB』で社章に使用されている。JR東日本新潟シティクリエイトが全株式を保有する子会社で、新潟支社管内の業務委託駅の駅業務を受託している。 受託している駅の中には府屋駅や分水駅のように、出札窓口にみどりの窓口のマルス端末機が設置されている駅と、青山駅や北三条駅のように、端末機が設置されていない駅(この場合は、POS端末で発券を行う)がある。また2010年2月以降、これまでみどりの窓口で出札業務を行っていた一部の駅で指定席券売機の設置が進められており、新潟大学前駅のように出札業務を行わなくなった駅もある。 2021年2月現在、業務を受託している駅は下記の通り。また、新潟駅や長岡駅では駅案内所の業務が委託されているがここでは割愛する。
JR東日本新潟シティクリエイト→「JR東日本新潟シティクリエイト」も参照
管内の新潟駅・長岡駅・越後湯沢駅の3駅にある駅ビル「CoCoLo」のほか、スーパー、食料品店、酒店、駅構内駐車場の運営など、主に物販事業を展開。新潟支社管内に所在するJR東日本ホテルズ各店舗の運営を行っているほか、管内4駅の敷地内にあるコンビニエンスストア「デイリーヤマザキ」も同社のフランチャイジーとして運営を行っている。2020年9月までの社名は「トッキー」であった。 物販事業売店「ハロー」国鉄民営化直前の1985年頃から、新潟鉄道管理局が直営で新潟駅、越後石山駅、早通駅、新潟大学前駅など新潟市近郊の駅や上越新幹線停車駅で「ハロー」の名称で売店の運営を開始したのが、JR東日本新潟シティクリエイトの事業の前身である。前出の近郊各駅に設置された「ハローいしやま」「ハローはやどおり」「ハローしんだいまえ」の3店舗では、無人駅における特別改札の扱いで乗車券発売も行っていた(自動券売機設置もしくは売店で対応)。これは当時問題となっていた、余剰人員対策で行われたものである。なお「ハロー」の店舗名は、1985年3月のダイヤ改正時に、新潟都市圏でパターンダイヤを導入した際に採用した愛称「ハロー電車」に因んだものであった。また、新潟駅の「ハローにいがた」は、のちに店舗名を「海彦」に改称するなどした。 JR東日本新潟シティクリエイトはJR改組2年後の1989年にトッキーとして法人組織として発足。1988年に開業した青山駅も、開業当初はJR新潟支社が運営する売店が設けられていた(その後業務はトッキーに移管)。しかし、各駅の乗降客数が増加したため有人駅として運営しても採算が取れるようになった一方、売店業務そのものでは採算が取れず、新幹線駅においてはキヨスク等の既存店舗と競合するなどして業績は慢性的に伸び悩んだ。結局余剰人員対策が終了したこともあって、トッキーは駅売店事業からは撤退することになる。 「JC」のフランチャイジー1990年代に入るとJR東日本が当時展開していたコンビニエンスストア「JC」を新発田駅構内、白山駅前、長岡駅東口で運営していたが、これらも程なく撤退した。現在、管内主要駅には前述の通りデイリーヤマザキが出店している。店舗があるのは新発田駅構内、新津駅東口、亀田駅改札横、長岡駅東口の4駅で、いずれもSuicaショッピングサービスが利用可能。 物資部店舗国鉄時代には国鉄共済組合物資部の店舗が設けられており、新潟市の国鉄アパート敷地内、新津駅前(現東口)、長岡駅、直江津駅、酒田駅の5駅近隣で営業を行っていた。いずれも元々国鉄職員・家族向けの物販店舗であったが、トッキーはこれら旧物資部店舗の運営も引き継ぎ、一般向けの小型食品スーパーに転換した。
トッキーはこの他、新潟市の酒店とフランチャイズ契約し、坂町駅東側にあるショッピングセンター「アコス」内に「スーパーヴイ坂町店」を出店していたが、この店舗も閉店した。 駅ビル事業→詳細は「CoCoLo」を参照
トッキーはその後新潟駅で駅ビル事業に着手し、万代口と南口の計3フロア(万代、東、西)から成る「パティオ」をオープン。2004年10月1日、新潟支社管内で駅ビル「セゾン」(新潟駅、長岡駅)と「プラトーゆざわ」(越後湯沢駅)を運営していた「越後ステーション開発」(国鉄→JR東日本と所在3市町の出資による第三セクター)を吸収合併し、この際に3駅の駅ビルの愛称を「CoCoLo(ココロ)」に統一した。この愛称は合併に際し一般公募によって決定されたもので、「2つの会社(Company)が一つになり、心をひとつにして、顧客に心をこめたサービスを提供する。顧客との心のふれあいを大切にし、郷土(Local)の愛情(Love)あふれる良い商品を、良いサービスで提供する」という理念が込められている。また2003年3 - 9月に放映された、新潟県中越地方を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説「こころ」も、命名の背景にあるといわれている。 トッキーはこのCoCoLoのうち新潟、湯沢でテナントを出店しており、同社直営の売店・土産品店の他、大手企業等とのフランチャイズ契約により飲食店等を展開している。また立ち食いそば・うどん店「やなぎ庵」を新潟駅(万代口・CoCoLo万代1階)と長岡駅(大手口・CoCoLo長岡1階食品館)の2か所で出店している。なお酒田駅前に出店していた「酒田そば店」は2011年3月末で閉店した。 ホテル事業トッキーでは、新潟支社管内に所在するJR東日本ホテルズ各店舗の運営も行っている。 1999年、佐渡郡相川町(現:佐渡市 相川)に自然志向の滞在型ホテル「ファミリーオ佐渡相川」を6月9日に、長岡駅東口・東西連絡通路沿いにビジネスホテル「ホテルメッツ長岡」を7月21日にそれぞれオープンした。 ファミリーオ佐渡相川は開業以来、冬季間に該当する12月1日から3月31日までを全面休業としている。また2012年シーズンから、佐渡市が所有する地域交流センター「相川健康増進センターワイドブルーあいかわ」で使用している温泉(源泉名:相川温泉)を分湯して大浴場に採用するなど、サービス向上が図られている。 2013年4月8日には、新潟駅南口・西側連絡通路沿いに「ホテルメッツ新潟」を開業した。総客室数197室のうち、4階から7階をスタンダードタイプ、8・9階の2フロア50室を完全禁煙のハイグレードタイプ「スーペリアフロア」とする客室構成として、ホテルメッツとメトロポリタンホテルズの中間業態を目指す。2階にミーティングルーム設ける他、商業スペースとしてレストラン、コンビニエンスストアなどが出店する駅ビル「CoCoLo西館」が同日に開業した。 食品トッキー発足後、JR新潟支社は経営の多角化に注力する。その一つが食品事業だった。 新潟新幹線第一車両所(現在の新潟新幹線車両センター)の構内に排熱を再利用した養殖池を設けてスッポンを養殖し、これを生食用として県内の食品業者に卸すというもので、JR発足後に東日本管内で初めて着手された多角化経営策だった。スッポンの養殖には約3年を要するが、排熱で温水を使用することにより養殖期間を短縮できるメリットがあった。ところが、いざ成長してみるとスッポンが共食いを始めてしまい、結局僅か数か月で事実上頓挫した。しかし、このスッポン養殖は巷間で「JRグループの多角化経営の旗手」などと喧伝されたことから引っ込みがつかず、養殖は対外的なPRのためだけに暫くの間続けられていた。 養殖は失敗したが、代替策として他社製造のスッポン抽出エキスを取り寄せ、缶入りの「すっぽんスープ」やスッポン抽出エキスを添加した清涼飲料水「スポルチェゴールド」と、女性向けのスッポンエキス入り飲料水「シルティH&S」を三国コカ・コーラボトリングと共同で開発し、同社に販売を委託して売り出した。しかし売上げは伸びず、1994年を最後に、静かに販売を終了した。 このスッポンに関する事業は現:日本レストランエンタプライズ会長の荻野洋が、JR新潟支社で総務部長を務めていた際に立ち上げたもので、荻野はよく取材や講演などで「失敗談」としてこの事業のこぼれ話を語っている。 新潟交通機械1968年4月に設立され、2012年3月31日まで、新津車両製作所の製造工程の一部請負、上越新幹線や新潟支社管内で使用する車両の改造・修繕、車両部品の製作のほか、駅設備の設計・施工などを行っていた企業。 2012年4月1日付で、機械設備部門に係わる事業をJR東日本メカトロニクス(JREM)に、車両部門に係わる事業を東日本トランスポーテックにそれぞれ移管・統合し、解散している[3]。 新潟交通機械は、新潟市秋葉区川口の新津工業団地内に本社・新潟営業所とさつき野工場、同市江南区両川工業団地二丁目に江南工場を置いていたが、合併後は東日本トランスポーテックの新津事業所と江南工場に改組され、引き続き新津車両製作所内の各種業務を手掛けている。この他、長岡市、上越市、南魚沼市と山形県酒田市に車両の保守業務のための事業所を有する。また機械部門は新潟・新津・長岡・六日町・直江津・酒田に拠点を置いていたが、全てJR東日本メカトロニクスに引き継がれた上で引き続き機械設備関係の業務を行っている。 新潟交通機械はJR東日本の他、その子会社であるジェイアール東日本コンサルタンツや国内の主な車両・電機メーカー等が株主となっていた。社名の由来は「国鉄新潟鉄道管理局(現在のJR新潟支社)エリア内で、交通・鉄道関連の機械を取り扱う企業」。同様の目的で国鉄時代からJR初期に設立された企業に日本交通機械・東北交通機械・関西交通機械などがあり、JR旅客6社のそれぞれ傘下にあった他、交通機械グループとして横の繋がりもあった。新潟県下越・佐渡地方でバス事業を行っている新潟交通グループと社名が酷似しているものの、社名の由来においても資本面・人事面においても一切無関係である。 ガーラ湯沢→詳細は「ガーラ湯沢スキー場」を参照
上越新幹線の支線にあるガーラ湯沢スキー場を運営している。 ガーラ湯沢駅駅舎内の「スキーセンター カワバンガ」と、ゲレンデ中央エリアの「レストハウス チアーズ」(いずれもスキーシーズン中のみ営業)にある一部店舗ではSuicaショッピングサービスが利用できる。 新潟鉄道荷物国鉄時代に鉄道荷物会社として設立。民営化後にジェイアール東日本物流の子会社となり、現在はトラック輸送を主体に行っている。 JR東日本新潟鉄道健診センター国鉄時代、国鉄職員を対象とした鉄道病院として「新潟鉄道病院」が新潟市八千代1の国鉄アパート東側の敷地に設けられていた。なお、青島健太(元プロ野球選手、スポーツライター)が同病院で生まれている。民営化の際、合理化の一環で診察科目を大幅に削減し「新潟鉄道健診センター」に改称。さらに老朽化に伴って建物を撤去し、幸西のJRアパート敷地内に移転した(鉄道病院跡地は現在、新潟市総合福祉会館とNTTドコモ新潟支社が立地)。現在の診察科目は内科のみとなっている。 JR新潟鉄道サービス→詳細は「JR新潟鉄道サービス」を参照
スポーツJR新潟硬式野球部国鉄時代、新潟鉄道管理局には硬式野球部と軟式野球部があり、このうち硬式野球部はかつて土佐内吉治(元国鉄スワローズ)、今井雄太郎(元:福岡ダイエーホークスほか)など、後にプロ野球でも活躍する好選手を輩出したことでも知られた。しかし国鉄分割民営化に際し1986年限りで廃部となり、民営化後は軟式野球部のみが活動を続けていた。また両野球部は新潟市八千代二丁目(現中央区)に専用グラウンドを所有していたが、国鉄清算事業団によって新潟交通に売却され、万代シテイの駐車場に転用された。さらに2000年代に入ると新潟交通は跡地の一部を新潟総合テレビと不動産デベロッパーなどに譲渡し、その後同局の本社屋、マンションが建設された。 新潟支社は2005年、JRグループ発足20周年を機に硬式野球部を“復活”させることを決定し、2006年シーズンからの新規加盟を目指していたが、2006年12月にJR羽越本線脱線事故が発生したため計画は先送りとなり、2007年に新規加盟を申請した。社会人野球に企業チームとして登録するのは2005年のセガサミー硬式野球部以来。またJR東日本管内ではJR東日本硬式野球部、JR東日本東北硬式野球部の2チームだけが国鉄時代から活動を続けているが、JR発足後に活動を開始もしくは再開した支社の硬式野球部がこれまでに4つあり、新潟は秋田、水戸、盛岡、千葉に次いで5チーム目となる。なお、専用の練習グラウンドは新潟車両センターの敷地内に設けられている。 オリジナル駅名標V字型駅名標2005年頃、只見線を中心にV字型の支柱を用いた駅名標が設置されている(上越線の駅にもわずかに設置された)。2段で表記され、上側には名産や名所のイラストと当駅名、所在地が、下側には隣駅名が表記されている。2008年頃から撤去がはじまり、現在は小出駅の1番線-3番線に残るのみとなっている。 Y字型駅名標2005年頃、一部の駅にY字型の支柱を用いた駅名標が設置されている。現在でも、駅リニューアル時に撤去された柏崎駅を除けば全て現役である。基本的には上から「題名」→「名勝地のイラスト」→「駅名」の順に並んでいるが、上の写真のようにどれかが欠けているものも多い。以下は設置された駅とその駅名標の題名の一覧である。
「ばんえつ物語」駅名標SLばんえつ物語の運行開始に伴い、新津駅-会津若松駅間の同列車停車駅に、レトロ調の駅名標が設置された。全てホームに建つ自立式で、東北本部管轄となる喜多方駅以南の区間にも同じ仕様の駅名標が設置されている。 「越乃Shu*Kura」駅名標越乃Shu*Kuraの運行開始に伴い、上越妙高駅-十日町駅間の同列車停車駅にオリジナル仕様の駅名標が設置されている。酒樽をイメージしたもので、水(波)・大地(稲穂)・ジャズの3つのテーマがあしらわれているほか、各駅ごとの観光名所や特産品など3点が描かれている[8]。また、駅名標は基本的に木製で、屋外に設置されているものを除きLEDの装飾がされている。なお、JR脇野田駅(現:ETR上越妙高駅)やETRの管理駅である上越妙高駅・高田駅・直江津駅にも設置されているが、素材が木製ではなく電飾が省略されるなど仕様が大幅に簡略化されている。
不祥事・トラブルJR羽越本線脱線事故→詳細は「JR羽越本線脱線事故」を参照
2005年(平成17年)12月25日に羽越本線の北余目駅-砂越駅間(山形県だが新潟支社管内)で突風による脱線事故が発生し、5人の死者を出した。突風は予測できなかったものとされた。 長時間に及ぶ輸送障害管轄区域の過酷な気象条件もあいまって、駅間での長時間停車を含む運転見合わせが頻繁に発生しているが、そうしたトラブルの際の対応遅れによる長時間化や運転再開見込みの甘さ、情報発信不足がしばしば報道で問題視されている[9][10][11]。特に、2018年1月11日の豪雪による信越本線普通列車の立ち往生の際は、三条市によるマイクロバス輸送や救助の手助けを断り、立客が発生している混雑した車内で乗客15時間半に渡って閉じ込め続けたことが大きな論争となった[12]。 脚注注釈出典
関連項目
外部リンク
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