下野紘
下野 紘(しもの ひろ、1980年4月21日[2] - )は、日本の男性声優、歌手、ナレーター、タレント。東京都出身[2]。アイムエンタープライズ所属[6]。 略歴生い立ち2011年時点で20年以上前、東京都練馬区付近に住んでいたという[13]。 母によると1歳頃から人に注目されることが好きであり、ストーリーを作って友人に聞かせたり、本の読み聞かせをしていたという[14]。外で友人と遊ぶのも好きであったという[14]。 5歳頃、『ウルトラマン』の再放送を見てウルトラマンになりたいと思っていた[15]。その後、パトカーに憧れ警察官になりたいと思っていた[15][11]。 6歳の頃に父にファミリーコンピュータを買ってもらい、物凄く熱中していた[14]。 小学1年生の頃、ビデオに録画したアニメの面白いシーンを妹達と演じたり、マイクを使ってカセットテープに声を吹き込んだり、テレビの出演者のモノマネをしたりしていた[14][16]。2014年に実家で荷物整理をした際、当時のテープが出てきたが再生したところ「う○こ」の連続でひどいものであった[16]。当時から録った声と自分で聞いている声は違うんだなと実感していた[16]。 小学5年生の頃、バラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)に影響を受け、コメディアンになりたいと思っていた[11][15]。 小学校時代から通っていた塾は少し変わっており、本を読みましょう、色々なことを体験しましょう、というスタイルだった[14]。中学2年生の時に「3年生を送る会」のようなイベントでミニ演劇を行い、自分たちで台本を書き、キャストとしても出演した[17]。 中学時代はゲームが好きで、少しでも早く家に帰り「ゲームをやりたい」と思っていた[17]。しかし、部活入部は必須であったため、活動があまり盛んではなく幽霊部員でも怒られなさそうな美術部に入部[17]。放課後は早々に帰宅してゲームをしたり、ゲーム好きな友人の家に遊びに行ったりしていた[17]。当時はRPGが好きだった[17]。 声優になるきっかけ中学1年生の頃から熱心にアニメを見るようになる[11]。中学2年生の頃から出版され始めた声優雑誌を読んだところ「格好いい人、可愛い人がいっぱいいるんだ」「こんな仕事があるのか」と分かり、声優に憧れを抱いた[11][15][18]。 声優になるきっかけとなった作品は、『無責任艦長タイラー』[8][11][19]。中学1年生の頃、風邪を引いて寝込んでいた時、チャンネルを替えたらたまたま放送していた[15]。中学3年生の頃、受験の悩みや初めて出来た彼女[注 1]に振られた傷心を癒やすために改めて観たところ、主人公タイラーに対し「こんな大人になりたい」、「おおらかでいつもニコニコしている大人になりたい」と憧れを抱くようになった。また、声優ラジオ、ドラマCDを聴いて「こんな楽しい世界があるんだ」、「なんて楽しそうな仕事なんだろう」と感じ、声優を志すようになった[8][10][11][15][注 2]。ドラマCDを聴きながら「ここ、明らかに台本通りじゃないよね?アドリブでこんなに世界が広がるんだ」とワクワクしていた[8]。 声優になるまで当時日本ナレーション演技研究所が中学卒業以上なら通えることも知っていたため、母親に「俺、高校行かないで声優になる!」と宣言したが、母親に「大学行けとは言わないけど、高校だけは出てくれ。それでも声優になりたかったら、好きにしていい」と言われ、理科・化学が好きであったため理数系コースのある高校に進学[11][15][20]。理科以外で好きだった教科は音楽で、歌を歌うのが好きだった[17]。高校の選択授業では「声優になるために一番役に立つのは何か?」を考え、台本を読む時に役立つと思い、漢字を選択[21]。高校3年間は「声優になる」という思いをベースに動いていた[21]。 高校時代は演劇部に在籍[注 3]。2011年時点で、部活動のほかに高校時代の思い出にアルバイトと恋愛を挙げている[22]。当時のお小遣いが月に3000円だったが、引っ越しのアルバイトは1日8時間で8000円もらえて、月々32000円にもなった[22]。引っ越し作業では、猫を15匹も飼っている家があり、家具の搬入・搬出時に猫が足元に絡んできて、荷物を落としそうになるのをこらえたり、猫の毛が舞い上がるなどして非常に大変であった[24]。その頃は筋力トレーニングにも熱中しており、「声優になるためには腹筋が必要!」と考え[21]、引っ越しのアルバイトは良いトレーニングとなった[22]。コンビニのアルバイトも週2〜3回していた[24]。アルバイト代は貯金せず人にごちそうして、喜んでいる姿を見るのが嬉しかったと語っている[22]。当時付き合っていたディズニーランド好きな彼女を喜ばせたいがために高校3年生から卒業後の1年くらいは、何度もディズニーランドに行っていた[22]。自分のために使うお金はゲームソフトの購入費用くらいであり、他人のために費やし喜ばせるのが嬉しくて仕方がなかった[22]。 職業として声優に憧れていたが、あがり症で、子供の頃から人と会話、人前で表現、芝居をするのが苦手であった[8][21][24]。演劇部でも人前で発表する機会はあり、皆で作品を作り舞台に立つことは平気だったが、一人で考えて発表しなくてはいけない場は苦手だった[25]。「声優になりたい」というのは「面白い仕事がしたい」という一心であり、「注目されたい」ということでは決してなかった[25]。 養成所探しは、声優の本などから情報を得ていた[22]。高校の教師に進路を聞かれた際「声優になろうと思う」と答えたところ「なるのはいいけど……どう指導したらいいんだろうな」と言われ、「大丈夫です、ちゃんと考えてあるんで」と返せるくらいしっかりしたモノは持っていた[21][22]。 興味があることには徹底的にアグレッシブで、とことん考えて、調べて、動いていた[21]。ただし、興味のないことには無関心で「自分でもよくないなー」と反省している[21]。知識が偏ってしまいすぎることから「もっと色々な情報に触れていれば、フリートークを膨らませたりできるんだろうなぁ」と語るもその分コアな情報には強い[21]。 高校卒業後、「安くて芝居の勉強をしながら働ける」「週1回のレッスンなら自分の時間を持てるだろう」と思い、日本ナレーション演技研究所に入所[11][23]。下野は人より少しゆっくりなところがあり、1回考えるとじっくり突き詰めてからでないと前に進めないタイプであった[11]。1回教わり、それを1週間の間に自分の中で考えて納得して、次のレッスンに進むというスタイルも合っており、毎日レッスンを受けていたらそれを吸収できず、パニックになっていたかもしれないという[11]。両親は「子どもにはとにかく好きなことをやらせてあげたい」と思っていたようで、養成所のお金は快く出してくれていた[22]。その時は感謝してもしたりないくらいだった[22]。 養成所の基礎科と本科で指導してくれた講師は舞台を中心に活動していた人物だったため、感情開放が印象的であった[11][26]。まずシチュエーションで花を摘み、「その花がきれいだな」という芝居をした後、レッスン場の明かりを消し、皆横になった[11]。次に講師から「深呼吸して気持ちをリラックスするように」、「桜の樹を思い浮かべて、自分の頭の上に桜の樹が立っているのを見ている気持ちになり、風に吹かれて桜の花びらが散った様子を見てどんな気持ちになったか想像してみなさい」と指南され、再び芝居をしたところ当初は棒読みだったセリフも色々な感情が詰まったセリフとなり、「感情ってこんなに大切なものなんだ」と再認識させてくれた[11]。 養成所基礎科1年の頃が一番苦しかったと語っており、当時警備員のアルバイトをしていたが、毎回メンバーが入れ替わるため友人ができず、高校時代の仲間も大学や会社といった新しい環境の中忙しくしており遊ぶ機会もなかなかない状態で、アルバイトもレッスンもない日は「世界に自分一人しかいないんじゃないか」というくらい寂しさを感じ、実家に住んでいながらホームシックのような状態であった[25]。課題がある時は、家で時間を見つけては練習をしており、作業自体は辛くなかった[25]。しかし人前に出る事と失敗がなにより怖く、当日皆の前で発表するのが嫌で嫌でしょうがなかった[25]。 養成所在学中に講師が申し込んでくれた事務所(アイムエンタープライズ)のオーディションを受け、1次審査通過後、2次審査用のデモテープを作ることになり、マイクを買いに行き、自宅のコンポに繋いで吹き込みデモテープを作った[11][26][27]。録音レベルが低く、声が小さいままでデモテープの提出締切日となり、デモテープに「家の機材の関係で声は小さいですがよろしくお願いします」と一筆添えて提出した[11]。その時は「これはダメだろうな」と断念していたが、2次審査に合格し、事務所で3次審査の面接を受けた[11]。緊張と人前で何かするのが苦手なことが起因し、セリフは棒読みで、面接でもうまく話せず、事務所の人物からも何の反応もなく「今度こそダメだろう」とガッカリしていたが結果は合格で、20歳頃に事務所所属となった[11][26]。当時のことを話していたところ、あるマネージャーが「事務所に入ってきた時は、どう扱っていいかわからなかったよ〜」と笑いながら思い出すくらいであった[26]。所属後、オーディションに落ちまくっており、所属は嬉しかったが「何で僕みたいなのが入れたのかな?」と思っていた[26]。 キャリア2001年、ゲーム『リリーのアトリエ〜ザールブルグの錬金術士3〜』のテオ・モーンマイヤー役で声優デビュー[10][11][12]。2002年、『ラーゼフォン』の主人公、神名綾人役でテレビアニメデビュー[10][11][12][19][28]。神名役に抜擢された当時は養成所の研修生でアニメ収録の経験もなく、現場で演じる一週間前に授業で初めてマイクレッスンを受けた[26]。また、この頃オーディションに落ち続けており、「この(ラーゼ)オーディションがダメだったら、声優を辞めよう。自分には才能ない!」、「こんなにも苦しむくらいならすっぱり諦めて別の職業に就いた方がいいのかな」と考えていた[8][10][26][24]。当時、両親が保育士の仕事をしていたため、一時期は保育士の資格を取るため、本格的に学ぼうか悩んだ時期もあったという[24]。 『ラーゼフォン』の時は、事務所のオーディションに受かった時もそうであったが、「まだ早すぎる」というのが正直な感想であった[19]。自分の人生プランの中では、22歳で事務所に所属し、23か24歳くらいでアニメデビューをして、その後は徐々に役をもらって、その後はアニメで主役と計画していたため、主役を務める嬉しさ以上に緊張とプレッシャーでいっぱいいっぱいであった[10][19]。養成所では舞台の芝居ばかり習っていたため、ほとんど右も左もわからない状態であった[19]。収録現場には有名な声優たちばかりで、「取って食われたらどうしよう」と被害妄想まで出てきていた[12][19]。下野以外は仲良く話しているため、挨拶をするタイミングすらわからず、マネージャーが小学校に子供を送り出す親のように合図をしてくれて挨拶へ行っていた[12]。実際は皆ものすごく優しく「それまでの自分の恐怖心はなんだったんだろう」と逆に気恥ずかしくなってしまった[19]。物事を真っ直ぐに受け止めすぎる傾向があり「失敗したら終わりだ!」と考え込み、ついマイナス思考になり、輪をかけて「失敗してはいけない」という思いを生み、どんどん悪循環になった[19]。一方、オンエアされるのを見て、嬉しいが恥ずかしい変な気分で「自分ではこういうつもりでやっていても実際にはこんな風になるんだ」と勉強にもなった[27]。当時、励みになっていたものはファンレターで、2014年時点でも「多くの方が自分の演技に対して色々なことを感じてくださるんだ」と励みになっていて、「こんなところでまごまごしてる場合じゃない」と思えるとも語っている[19][27]。 『ラーゼフォン』の収録から半年ほど経った頃、授業で講師の沢木郁也から「お前は芝居以前に生きることに必死過ぎる」と言われ、その言葉をきっかけに力の抜き方を少しずつ覚えていった[29]。それまでは、レッスンが怖くて行きたくない思いでいっぱいいっぱいになり、ずる休みをすることもあった[25]。沢木の言葉のおかげで色々なことに挑戦するのが楽しくなった[25]。沢木の授業で「性格の合わない男女が言い合いをしているうちにお互いのことを好きになってしまう」という設定の2人芝居を演じていたところ、相手女性に好意を抱きリアルに恋をしてしまいそうになった[25]。そこで初めて気持ちが動いたことに気付き、少しずつ自分を開放していけるようになった[25]。 2003年10月8日から2007年10月8日まで、声優ヴォーカルユニット「Root」リーダーとして活動[注 4]。 デビューして主役の座を獲得することができ、「これなら声優業だけで食べていける!」と思っていたが、そこまでの道のりは長かった[24]。オーディションは落ち続けた20代前半は苦労の毎日で、20代後半になるまではアルバイトをしないと生活できる状態ではなかった[24]。生活費のほとんどはバイト代で賄っていたことからアルバイトが本業というくらいだった[24]。自分にとって「バイト=生活」と割り切っていたため、手っ取り早く稼げる仕事しか興味がなかった[24]。アルバイトの業務にあたりながら「今はバイトとオーディションを受ける毎日だけど、どうしたら本業だけで食べていけるんだろう」、「今も十分努力してるつもりだけど、今の自分に足りないものがあるんじゃないか」と自問自答していた[24]。あえて人と接することの少ないアルバイトを選んでおり、苦痛以外の何物でもなかったが、無意識のうちに「自分に向いている(単独作業でひとつの作業に没頭できる)職業を選択していたなぁ」と感じていた[24]。黙々と作業をしていると、時にはネガティブな気持ちになり「声優の仕事、諦めようかな……」と思うことも何度もあったが[24]、それでも「あとちょっと頑張ろう」「もう少し続ければいつかは芽が出るはず」と気持ちを切り替えていた[24]。声優業だけでは食べていけない当時は、ささやかな幸福にすがりながら、夢に向かって突き進んでいたのかもしれないと語っている[24]。 体力仕事の単発アルバイトを高校2年生から約9年間続けていた[23][24]。高校時代は引っ越し屋、養成所時代は警備員、登録制の派遣アルバイトでイベントの誘導員、工事現場のゴミ出しの手伝い、印刷所の製本、駐車場の誘導警備員、食品会社の製造ライン、清掃業など[23] [24]。この手のアルバイトは日当制でシフトが組みやすく、給料も良いため、オーディションを受けることの多い生活に適していた[24]。ただし、どの仕事も大変で、食品会社では、冷え切った場所での作業のため、体力だけでなく気力まで削がれた[24]。イベントの誘導員は終日立ちっぱなしで、暑さ寒さの気候に耐えなければならず、終業後は疲弊しきっていた[24]。中でも一番辛かったのは清掃業で、ゴミ収集所の清掃の臭いが苦しかったと語っている[24]。一番長かったのはスーパーの駐車場内の誘導警備員であったが、その仕事も楽ではなく、大型店舗のスーパーの新規オープン時は、1週間ほど朝から夜まですごい数の車をさばいていた[23]。スーパーの特売日に派遣されると駐車場に普段の倍以上の車が入りトラブルも多く、客に注意されることもしばしばで、時には理不尽なことで責められることもあった[24]。それを穏便に済ませることができた時「自分、成長したぞ!」と密かにほくそ笑んでガッツポーズをしていた[24]。少し飽きっぽい性格であったため、同じ場所で働き続けることはあまり得意ではなかった[24]。派遣業はその日毎に作業場所が異なるため新鮮な気持ちで現場に赴くことができた[24]。 その後も仕事が順調とは言えず、中々大きな仕事にも至らず、後輩も出てきて、どうしていいかよく分からない状態で迷走していた時期もあった[29]。そのような下向きの状況が変わったのは、2005年から2006年の『CLUSTER EDGE』の主人公、アゲート・フローライト役で、この頃からレギュラーが増えていった[29]。アルバイト生活から脱出した時は「やっと一人前の声優になれたんだな」と実感した[24]。 2012年、第6回声優アワードにて、テレビアニメ『うたの☆プリンスさまっ♪』のユニット「ST☆RISH」として歌唱賞を受賞[30]。 2016年3月16日、シングル「リアル-REAL-」で歌手としてソロデビュー[31]。声優デビュー15周年という記念も込めて「下野紘ソロプロジェクト」として始まる。これまで即興でその場だけのインスピレーションで歌ったりしていたが、自分の歌をと考えた時に作詞作曲の難しさを改めて知ることとなった[32]。声優活動15年の間に何度か歌手活動の話があったが、キャラクターソングではない自分名義での活動に自信が無いとしてソロ歌手の話は断っていた[32]。しかし、声優活動15周年を迎えるにあたり自身をもう1歩大きくする、新しい目標に、と考えていた頃、再度ソロ歌手活動を打診され、了承[32]。 歌手ソロデビューにあたり、初めてボイストレーニングを受け、声優としての発声方法と歌うための発声方法が全然違うことを知り、アーティストとしては「レベル1なんだ」と感じた[32]。ボイストレーニングを受け、「誰かみたいにやろう」という考えはなくなり、歌い方だったり声質だったり色々な面で「自分は自分なんだ」「アーティストとしての自分をもっと見つけていかなきゃ」と実感[32]。2011年のテレビアニメ『うたの☆プリンスさまっ♪』との出会いも大きく、役としてアイドルを経験したため、それまでになかった感じ方、考え方を吸収でき、ターニングポイントになった[8]。 自身の2ndシングル「ONE CHANCE」発売イベントは、ポニーキャニオン50周年記念の年であるとしてパシフィコ横浜 国立大ホールという大きな会場で開催することとなった。開催時に一部のネットニュースに取り上げられ、その後、ポニーキャニオン公式サイトにイベントレポート記事[33]が掲載、それをアニメイトタイムズ[34]も記事にしている。 2017年1月10日、栃木県下野市の輝け下野エール大使に就任。 現在まで2020年8月3日、下野紘 1stアルバム「WE GO!」発売記念生放送で、個人使用のTwitter開設を発表[35]。また、同番組内で「WE GO!」以降歌手活動を休止する事、新型コロナウイルス感染症(COVID‑19)感染拡大の状況を踏まえ予定していたライブを延期する事を発表。歌手活動休止については、声優活動に軸足を置く為に決断。休止時期などは公式にて発表を行うが、すぐに活動を休止するわけではないとした[36]。 2020年10月11日、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』公開記念の東京スカイツリー点灯式に花江夏樹、松岡禎丞らと共に出席[37]。 2021年、第15回声優アワードMVSを受賞[38]、第8回Yahoo!検索大賞声優部門で6位を獲得[39]。 2021年9月28日、自身のブログにおいて、十数年前に結婚しており、現在は二児の父であることを公表[40]。 2022年10月4日、声優アーティスト「下野 紘」スペシャル生放送「WE GO!」Youtube生配信[42]にて、2020年に延期を発表したライブを2023年1月14日、2月11日に行う事を告知[43]。 2023年1月14日に大阪、2月11日に東京にて、ライブ『Hiro Shimono Special LIVE 2020→2023 Everything “WE GO!”』を開催[44]。 2023年2月3日、『ワールドツアー上映「鬼滅の刃」上弦集結、そして刀鍛冶の里へ』公開記念で浅草寺の節分会にサプライズ登場し豆まきを行った[45]。 2023年3月18日、「Shimono Special Reading LIVE 2023 _邂逅地点_開催記念生放送」(YouTube配信)にて、同年5月27日に開催されるリーディングライブを最後に歌手活動を休止する事を告知[46]。 人物趣味はゲーム、料理、サイクリング[47]。特技はにわとりの声マネ[47]。 姉、妹、その下にもう1人妹がいる[22]。 後輩の面倒見がよく、特に事務所への愛が強いと後輩の松岡禎丞、内田真礼から語られており[48][49]、松岡から「下野さんが現場にいるから弾けられる」と言われるなど後輩から全幅の信頼を置かれている。逆に松岡禎丞のラジオにゲスト出演した際には「松岡はほっとけない」「松岡は特別」と語っている[50]。 特色アニメ、ラジオ、ドラマCDなど様々なシーンで活躍[52]。 役柄としては、元気な声の特徴を活かした少年役から個性的なキャラクターまで幅広く演じている[52]。 『CLUSTER EDGE』に出演するまでは、一生懸命な役、優しい役、内向的な役はできたが、底抜けに明るいキャラクターが中々できなかったという[29]。自身の気持ちに「迷いがあったからだ」と思っており、それ以降、明るいキャラクターを演じられるようになったという[29]。 他の思い出の作品に2010年時点で叫ぶ役、ちょっとバカなキャラクター、騒がしい役を演じるきっかけになった作品だったことから『おおきく振りかぶって』、『スケッチブック 〜full color's〜』、『ながされて藍蘭島』あたりを挙げている[29]。芝居を考えさせられていた作品は『東京魔人學園剣風帖 龍龍』であるが、印象的な作品はいっぱいあり過ぎて困るという[29]。前述のアドリブを入れる時は楽しみ、中学生の頃に憧れていた「楽しそう!」の気持ちのまま、突き進んできた感じだという[8]。ナレーターとしても数多く活躍してるが、子供の頃は緊張しがちなタイプで、国語の時にあてられて教科書を朗読するのも好きではなかったくらいだった[8]。 好物唐揚げが好物。唐揚げ好きになった原点は、遠足、運動会、事あるごとに母が作ってくれた実家の唐揚げ[9]。正月には、おせちだけではなく、唐揚げも食べており、2023年時点でも実家に帰ると「唐揚げ用意しておいたわ」と言ってくれるという[9]。デビュー数年後にパーソナリティを務めたラジオ番組『VOICE CREW』(NACK5)では、唐揚げに特化したコーナーを立ち上げ、美味しい食べ方を募集したり、自身が考えた上手な調理法を紹介するなど唐揚げ愛に終始した。後に、安久鉄兵協会長協力のもと友人前山田健一(ヒャダイン)と唐揚げの名店を巡るDVDを発売[53]、またローソン「からあげクン音頭2012リミックスバージョン」に歌とPV出演で参加[54][注 5]、さらにからあげクン限定味のキャンペーンキャラクターを務める[55]など[56][57]の展開を見せている。2016年には、からあげクン30周年お祝いコメントがローソン店内で放送された。またアドリブで「唐揚げ」と言ってしまい、急遽、演じていたキャラも唐揚げ好き設定になったこともあった[8]。 子供の頃から両親が共働きだったため、料理をしていた[9]。当時は完全週休2日制ではなかったため、土曜日のお昼ごはん問題というのがあり、小学校の高学年になり、妹2人のために作っていた[9]。最初はホットプレートで焼きそばを作るくらいだっが「料理ができると自分が食べたいものを食べられるんだ!」と目覚めた[9]。どんどん料理が好きになり、料理本を見て作るようにもなり、高校生になるとカレー、肉だんごスープなど家族の夕飯を作ったりもしていた[9]。 『水曜どうでしょう』(北海道テレビ)の熱烈なファンであり[58]、公式ブログ名もこれに由来する。 小学校高学年くらいからロックを聴き始めており、最初に買ったのはTHE BLUE HEARTSの『TRAIN-TRAIN』[32]。ポップなのも聴くようになり、槇原敬之、L'Arc〜en〜Cielなどどんどん広がっていった感じだという[32]。 眼鏡をかけた女性に弱く、「眼鏡フェチ」を自称している[59]。 出演太字はメインキャラクター。 テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
Webアニメ
ゲーム
ドラマCD
BLCD
朗読・シチュエーションCD
ラジオ・トークCD
特典・付録・全サCD/DVDドラマCD (特典・付録・全サ)
トーク・朗読CD(特典・付録・全サ)
音楽CD(特典・付録・全サ)
DVD(特典・付録・全サ)
ラジオドラマ
デジタルコミック
吹き替え映画
ドラマ
アニメ
ラジオ※はインターネット配信。
ナレーション
テレビ番組※はインターネット配信。※レギュラー番組のみ。
映像商品
舞台
実写映画
ドラマ
CM
PV
携帯コンテンツ
パチンコ・スロット機
その他コンテンツ
ディスコグラフィシングル
アルバム
タイアップ曲
映像作品
歌手参加作品
キャラクターソング
その他参加作品
イベント・ライブ
書籍
受賞
脚注注釈
シリーズ一覧
ユニットメンバー
出典
外部リンク
|