日産・フェアレディZ Z33
フェアレディZ Z33(FAIRLADY Z Z33、海外販売名 350Z)は、日産自動車が2002年から2008年まで製造していたファストバッククーペ型およびオープンカー型のスポーツカーである。発売から2004年1月までは日産自動車追浜工場で生産されていたが、2004年1月からは生産効率改善のため同社栃木工場に移管され[1]、フルモデルチェンジ後もここで生産されている。 概要2000年11月に先代であるZ32型フェアレディZの生産が終了し[2]、その後約2年間のブランクを経て、2002年7月に通算5代目となるZ33型フェアレディZが発売された。発売から約1年後の2003年10月にはオープンモデルの「ロードスター」が追加された。先代Z32型まで設定されていた2by2(4人乗り仕様)は無くなり、CPV35型スカイラインクーペが後継の座を担う。 なお、「北米向け等の輸出仕様には簡易的な後席を2座設けた4人乗り仕様が存在する」というのは誤りであり、とあるショップが北米仕様車をベースに4人乗りの公認を取得した事から広まったデマである。 発表時には「Zは毎年進化する」と宣言され、その宣言通り、2008年にZ34型にフルモデルチェンジされるまでに計4回のエンジンスペックの向上が行われた[3]。 排気量が3.5Lであることから、日本国外においては「350Z」の名称で販売されていた。日本国内では2008年12月にクーペがZ34型にモデルチェンジするのと同時に、2009年10月のZ34型ロードスターの発売までロードスターの販売は一時中止されていたが、北米市場など一部市場においては、Z34型クーペ発売からZ34型ロードスター発売まで、Z34型クーペとZ33型ロードスターが併売されていた[※ 15][4]。 開発Z32型発売から数年後には次期型フェアレディZの開発が始まっていたが、バブル景気の崩壊により開発は一時中断された[5]。しかし、当時日産の開発部門でスカイラインGT-R(R34型)の開発を担当していた水野和敏が、部下の高橋孝治と2人で秘密裏に開発を継続[6]。カルロス・ゴーン就任後の2000年には正式に開発が再開され[3]、2000年のZ32型生産終了から2年間のブランクを経て、2002年に発売された。 なお、開発初期には4気筒エンジンを搭載する計画もあった[5]。1997年に水野らのチームが、240SXのシャシーをベースに4気筒のKA24DEを搭載した「ミドルスポーツ」と呼ばれる試作車を製作し、「Zの父」こと片山豊がテストコースで試乗し高評価を残したというエピソードもある[7]。しかし北米の販売代理店からは「Zにはやはり6気筒エンジンが必要」との要望が強く[8]、最終的にはZ32型から500cc排気量を増加したV6エンジンが搭載された。
1999年の北米国際オートショーには2.4L 4気筒 KA24DEエンジンを搭載する「240Zコンセプト」が出展された。プラットフォームは240SX(S14型系シルビア)のものを利用し、日産デザインアメリカのマニー・ベイカーによるデザインスケッチに基づいていたロングノーズ・ショートデッキのスタイリングが特徴である。また、2.4Lエンジンは、最高出力200 bhp (149 kW)、最大トルク180 lb⋅ft (244 N⋅m)を発生するものであり、5速MTが組み合わせられ、実走可能であった[9]。外装色は「ルマン サンセット」と名付けられた。なお、このコンセプトカーは、日産デザインアメリカが全米のZオーナーズクラブからの強力なバックアップのもとで独自に開発したものである[10]。
プラットフォーム、サスペンション、エンジンなどをスカイラインと共有しており、安価な価格設定を可能とした[11]。一方でシャシー剛性確保のためにコストを度外視した部分もあり、フロント部分の通称「Aバー」をスポット溶接ではなくアーク溶接で製作しているのはその一例である[12]。 2003年10月にオープンモデルの「ロードスター」が追加されたが、ロードスターには電動ソフトトップが採用され、開閉時間は約20秒となる。
エンジンについては当初V型6気筒 3.5LのVQ35DE型エンジンを搭載しており、初期モデルの最高出力は280PSであったが、2005年9月のマイナーチェンジ時にはMT車のみ最高出力が294PSまで向上され、一方で最大トルクは低下した。またMT車のエンジン改良ではエンジンの最高回転数がそれまでの6,600rpmから7,000rpmまで引き上げられた。 2007年1月の一部改良時には、モデルチェンジしてV36型となったスカイラインセダンより搭載されるVQ35HR型エンジンに変更され、最高出力が313PSまで向上、最大トルクもMT車比で増加、AT車比で減少して36.5kgf·mとなった。また、エンジン最高回転数は7,500pmとなった。 トランスミッションにはジヤトコ製[13]JR507E型マニュアルモード付きフルレンジ電子制御5速ATと、愛知機械工業製のFS6R31型[14] 6速MTが用意される。2004年9月の一部改良時にはATに日産として初めて、シンクロレブコントロール機構が追加されている。
V35型スカイラインセダンに採用されるFMプラットフォームをベースとしており、前後重量配分は53:47とした。 ボディ剛性確保のため、トランクルームにはフェアレディZのロゴマークのついたフレームが取り付けられたが、これによりトランクルームの使い勝手に問題を残すこととなった。 サスペンションについては前後ともにマルチリンク式サスペンションが採用されたが、2005年9月のマイナーチェンジ時にはショックアブソーバーに新たにフーガより採用されているデュアルフローパスショックアブソーバーが採用された。 タイヤについては当初標準車にはブリヂストン製のPOTENZA RE040タイヤが装着されていたが、2007年1月の一部改良時に同POTENZA RE050Aタイヤに銘柄が変更された。 従来のフェアレディZは、2シーターと、ロングホイルベースで4座の2by2のバリエーションがあったが、本型から2シーターに一本化された。元々、4座がラインナップに加えられたのは北米市場の要望であるが、新たに北米向けに輸出が始まったスカイライン2ドアクーペ(インフィニティ・G35クーペ)が4座を求めるユーザーに対応する事になった。また、ホイールベースが2650mmなのもコスト削減のためにV35型スカイラインの燃料タンクで出来る最短のホイールベースが2650mmだったため。 デザイン空力性能は発売当時クラストップを誇り、Cd値は0.30で、フロントゼロリフトを達成、前後スポイラー装着車はCd値が0.29で、フロント・リアゼロリフトを達成した[15]。またロードスターについても、フロントウインドウからトランクリッドまでの形状を最適化し、風の巻き込みを防いだ。 「FAIRLADY Z」の車名書体のうち、「FAIRLADY」の部分は日産自動車の統一車名書体のNE-01を斜体にして使用しており[16]、「Z」エンブレムは専用のデザインがとられている。そしてこの「Z」エンブレムは、ルノー・日産アライアンス後の車種としては後に発売されるGT-Rを除いて唯一、ハンドルに日産エンブレムの代わりに装着されている。理由として当車とR34型GTRのCPSを務めた湯川は後年このように明かしている。『Zはお客様その人一人のための車です。自分以外は誰にもハンドルを握らせたくない車です。セダンやRVなど、不特定多数の人が乗る車は、ステアリングセンターにニッサンマークが入っていて、乗る人たちに日産車であることを知ってもらうべきですが、Zは違う。Zだから購入されるのであり、その気持ちへの感謝のしるしに、ここはZバッヂが装着されるべきだと思うのです。ただし、Zは街で走ると多くの人が振り返るはずなので、エクステリアの前後には日産で一番大きいコーポレート・バッヂを付けて、見る人に日産車であることを大いにアピールする。これでいかがでしょうか?』とゴーンに提案をし、GTRのCPSを兼任していた事からGTRも同じように提案をし承認された[17][18]と明かしている。 エクステリアデザインについては、2005年9月のマイナーチェンジ時にフロントバンパーおよび前後ランプ、18インチアルミロードホイールのデザインが変更されており、テールランプについてはLED化された。さらに2007年1月の一部改良時には、エンジン変更によりエンジンブロック全高が高くなったため、ボンネットフードに初代S30型を彷彿とさせるバルジが設けられた。 ラインナップ
グレードはベースグレードのほか、ラグジュアリーグレードの「Version T」、スポーツグレードの「Version S」、最上級グレードの「Version ST」が用意される。「Version T」には本革シートなどが標準装備され、「Version S」にはブレンボ製のベンチレーテッドディスクブレーキおよび4輪アルミキャリパー対向ピストンブレーキやVDCなどが装備される。また、最上級グレードの「Version ST」は両グレードの装備が両立される。 発売当初、「Version S」および「Version ST」は6速MTのみ、「Version T」は5速ATのみの設定となっていたが、2003年10月の一部改良時に最上級グレードの「Version ST」にも5速AT車が追加された。また、前期型ではベースグレードと「Version T」には17インチホイールが、他のグレードには18インチホイールが装着されたが、2005年9月のマイナーチェンジ以降は全車18インチホイールが装着された。
Z32までのTバールーフ仕様を廃止し、その代替としてZ32で併売されていたコンバーチブルを仕様変更して登場させた。 2005年9月のマイナーチェンジまでは、ベースグレードと「Version T」のみが用意され、両グレードとも5速ATと6速MTの両方が用意される。2005年9月のマイナーチェンジ時には新たに最上級グレードの「Version ST」が追加され、ベースグレードは6速MTのみ、「Version T」は5速ATのみの採用となった。なお、発売当初は全車に17インチホイールが装着されていたが、2005年9月のMC後のモデルは全車18インチホイールが装着されている。 特別仕様車
2004年1月26日に発売。同年2月29日までの期間限定車。全日本GT選手権GT500クラスに出すための事実上のホモロゲーションモデルとして「Version S」をベースにロングノーズバンパー、ロングテールバンパー、サイドフィニッシャーを装着し、加えてオーディオレスとしている。
2005年1月13日に発売。同年5月末受注分までの期間限定車。初代フェアレディZの登場から35周年を記念したモデル。クーペ「Version ST」の6速MT車をベースに、後の9月8日に発売されるマイナーチェンジモデルに採用されることとなる新デザインの18インチアルミホイールが採用され、加えてエンジンに専用のチューニングが施され、エンジンの最高回転数が6,600rpmから7,000rpmまで400rpm増加された。なお、このエンジンは最大トルクが後のMCモデル車と同じ35.7kgf·mまで低下しており[19]、MCモデルのエンジンのベースとなっている。
2006年1月12日にオーテックジャパンより発売。同年5月31日受注分までの期間限定車。クーペ「Version ST」をベースにフロント18インチ、リア19インチのレイズ製鍛造アルミホイールおよびブリヂストン製POTENZA RE050タイヤを装着した。加えて前後フェンダーモールを装着したことにより全幅が25mm増加している。
2008年1月10日にオーテックジャパンより発売。ベース車はベースグレードの「フェアレディZ」。専用赤色の本革シートが採用され、「Type G」と同デザインのレイズ製フロント18インチ、リア19インチホイールが装着されたほか、VDCや前後フェンダーモールなども装備された。なお、モデル名の「F」は「魅了する」、「虜にする」を意味する「fascinate」の頭文字を取っている。 コンプリートカー
2004年1月26日に期間限定車「Type E」と同時にNISMOより発売。ベースグレードは「Type E」同様「Version S」。エンジンにはチューニングが施された「S1仕様」のVQ35DE型エンジンが搭載され、最高出力は221kW (300PS) まで向上し、600回転高回転化された。同時に発売された「Type E」同様、大型前後バンパーやスカートが装着されている。また、専用のS-tuneサスペンションやフロント大型ベンチレーテッドディスクブレーキ、専用19インチ鋳造アルミホイール、大型リアスポイラーなども装着され、シャシにもチューニングが施されている。なお、2004年中に納車された車両にはNISMOの20周年を記念した「20周年」ロゴエンブレムが装着された[20]。
2007年1月11日の一部改良と同時にNISMOおよびオーテックジャパンより発売。NISMOとオーテックの共同開発車で、ヤマハ発動機製パフォーマンス・ダンパーを採用することで、車体剛性の最適化のみならず適切な減衰要素を部分的に付加することにより車体性能を大幅に向上させた。ホイールには先に発売された期間限定車「Version ST Type G」と類似デザイン(スポークに伸びるラインが、Type Gではラインではなくスリードットとなっている)のレイズ製フロント18インチ、リア19インチホイールを装着し、タイヤにはブリヂストン製POTENZA RE-01Rタイヤが装着された。
2007年1月11日に「Version NISMO」と同時に発売。略称は「380RS-C」。レースエントラント向けの車両として開発されており、実質的にはスーパー耐久・ST1クラス参戦のためのホモロゲーションモデルである。車両価格は2,625万円となる。エンジンや空力性能の向上、軽量化が図られた。なお、このモデルに搭載されるエンジンは、ストロークが7mm延長され、排気量が3.8Lまで引き上げられており、6速クロスレシオトランスミッションが組み合わせられる。また、専用サスペンションやブレンボ製ブレーキキャリパー・ローターなども装備される。2008年3月27日にはリアウイング、ロールケージの形状が変更され、加えて車体剛性・空力性能の向上も図られ、2008年モデルへの移行が行われた。
2007年6月21日にNISMOより発売。レース向けモデルの「Version NISMO Type 380RS-Competition」の公道仕様で、300台限定となり、2008年6月30日に受注が終了された[22]。エンジンには380RS-Cに搭載された3.8L改仕様のVQ35HR型エンジンを公道向けにデチューンし、最高出力を350PSとしたものが搭載される。なお、エクステリア、インテリアのデザインは先に発売された「Version NISMO」と共通となるが、リアには専用の「RS」エンブレムが装着される[23]。 年表
モータースポーツ全日本GT選手権・SUPER GT
発売から1年後の2003年には、シルビアに代わり、全日本GT選手権 GT300クラスに出場し、初優勝を果たした。翌、2004年にはスカイラインGT-Rに代わり、新たにV6 3.0L ツインターボのVQ30DETT型エンジンを搭載した車両がGT500クラスにも参戦。再びシーズン優勝を果たした[26]。 2005年以降、JGTCはSUPER GTに名称が変更され[27]、2006年にシリーズ4位の戦績を残した[28]。2007年からは2006年の最終戦に試験投入されたV8 4.5L VK45DE型エンジンを搭載して参戦[29]。2005年にチームタイトルを獲得した。 なおGT500クラスについては、2008年からGT-Rが参戦しているため、Z33は2007年を最後に撤退した。GT300クラスについては2010年までZ33での参戦が行われ、2007年にType E化された後、2008年にはモーラがドライバーズ・チームタイトルの二冠を達成。またラストイヤーの2010年にもハセミモータースポーツが同じく両タイトルを獲得した。 スーパー耐久2003年からスーパー耐久のST3クラスに参戦し、2004年・2005年・2007年にST3クラスのシリーズチャンピオンを獲得。 2005年からは特認車両を用いてST1クラスにも参戦し、前述の通りエンジン排気量を拡大したホモロゲーションモデルを投入するなどの動きが功を奏し、2007年にはST1クラスのシリーズチャンピオンを獲得した。 その他2003年-2005年、全日本ラリー選手権2輪駆動部門に参戦。ドライバーは三好秀昌。コ・ドライバーは市野諮(テイン代表)。 2003年6月、第81回パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム オープンクラスにチームコムセントより参戦。エンジンをRB26DETTに換装しアテーサE-TSも搭載したマシンを小林且雄が操りクラス4台中3位/総合57台中32位。ハイパフォーマンス・ショールームストッククラス仕様を長島正興が操りクラス4位/総合37位。 2004年からD1グランプリの参戦車両として使用されている。2007年シリーズでは今村陽一がポイントランキングで6位となった。 受賞
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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