パルサー (Pulsar )は、日産自動車 が1978年 から2000年 まで日本で販売していた小型乗用車 である。2013年 から2018年 の間欧州 ・タイ王国 ・オセアニア 市場等で一時的に車名が復活した。
概要
4ドアセダン からスタートし、その後ハッチバック 、クーペ 、ライトバン が設定された。日産の世界戦略車 として欧州市場への投入を想定していたこともあり、一貫してユーロテイスト の香る小型車として開発された。
初代 N10型系(1978年 - 1982年)
1978年 5月 チェリーF-II (F10型、1974年 発売)の後継車種としてN10型 パルサー登場。サニー の弟分の位置づけであり、一部ヨーロッパ 市場では(ダットサン )チェリーの名を引き継いだが、その他のヨーロッパ・アジア 市場ではダットサン・100A/120A/130A/140A/150A、北米市場ではダットサン・310、オーストラリアではパルサーの名称で販売された。日本国内ではチェリー店で販売。発売当初はファストバック (2ボックス)スタイルながら、独立したトランクを持つ4ドアセダンのみ。エンジンは直列4気筒OHV 1.2L/1.4LのA12/A14 型。駆動系の配置は、エンジン、トランスアクスルを上下(2階建て)に配するイシゴニス 式。サスペンションは前ストラット、後フル・トレーリングアーム式独立懸架 の四輪独立で、スプリングは前後ともコイルスプリングを用いるなど機構的には先代のチェリーF-IIを踏襲している。また、1.4L車には独特のH形ゲートを持つ2ペダル[ 注釈 1] MT(あるいはセミAT )「スポーツマチック」車も引き続き設定された。デビュー時の広告 では、パルサーを中心に、背後に欧州を代表する小型FF車であるフォルクスワーゲン・ゴルフ 、アルファロメオ・アルファスッド 、ルノー・サンク 、ミニ を後向きに並べ、「パルサー・ヨーロッパ。」と謳われていた。
1978年9月 3ドアハッチバック、3ドアクーペ及びA14E 型電子制御燃料噴射 (ニッサンEGI)付きエンジン 搭載車を追加発売する。
1978年11月 VN10型 パルサーバン発売。コストと耐久性を重視してリアサスペンションをリーフ・リジッド式 とするのが常である国産バンモデル(前身のチェリー ・バンもリーフ・リジッド式であった)としては珍しく、横置きトーションバー・スプリング を用いたフル・トレーリングアーム式独立懸架 を採用しており、英国と欧州大陸 ではステーションワゴン として販売された(下の写真を参照)。スペース効率に優れたこのサスペンションにより超低床パッケージを実現し、小さな外寸にそぐわない天地に広い荷室空間を構築していた。また、その超低床パッケージを生かすべく、バックドアは開口見切りを大きく下げており、結果リアバンパーは極端に天地に薄いものとなっていた。後に初代プレーリー やエスカルゴ のベースに使用された。
1979年8月 パルサーバンが、昭和54年排出ガス規制適合によりVN11型 となる。
1979年 9月 5ドアハッチバックを追加。基本的に4ドアセダンと同じスタイルのボディに、3ドアハッチバックと同じバックドア(リアゲート)を組み合わせたもので、4ドアセダンに比べリアシートのバックレストが可倒式になり、実用性が増した。またトランクの開口部は格段に広がったが、開口部下端は4ドアセダンのバンパーレベルからリアコンビランプ 上端に上がった。
1980年 2月 サンルーフ 付車追加。
1980年5月 マイナーチェンジ 。角型ヘッドランプ を採用。5ドアハッチバックに吸収される形で4ドアセダンが廃止。
1981年 3月 2度目のマイナーチェンジを実施。エンジンが、バンを除き直列4気筒SOHC のE型 に変更される。排気量は1.3 L と1.5 L で、型式はそれぞれE13、E15型である。駆動系の配置は、エンジン、トランスアクスルを直線状に配するジアコーサ 式となる。同時にトルクコンバータ とプラネタリーギア を用いた一般的な構造の3速フルAT が開発され、「スポーツマチック」は廃止。また、バンの基本型式がN10型に戻った。モデル末期に大掛かりな機構の変更がなされたが、これは同年10月に発売の5代目(B11型)サニー(同車初の前輪駆動)のパイロットモデルとしての役割を果たすためであった。
1982年 4月 5ドアバンを除き2代目モデルのN12型へ移行。
1982年10月 初代モデルとして最後まで残されていた5ドアバンが販売終了。事実上の後継車種は5代目サニー派生のパルサーADバン (後にADバンに改称)となる。
モータースポーツ
パルサーはレース 活動が活発で、クーペによるワンメイクレース が開催された。1981年にはRACラリー に参戦。
2代目 N12型系(1982年 - 1986年)
1982年 4月 N12型にモデルチェンジ。ボディタイプは3ドアおよび5ドアハッチバック、2ドアノッチバック クーペのラインナップ。クーペはグレード名を「エクサ 」(EXA )シリーズとした。ヨーロッパ市場では引き続きチェリーの名を引き継いだ。北米市場にはB11サニーが日産・セントラ として投入されたため、クーペのエクサのみがパルサーNX として投入された。マレーシア と南アフリカ共和国 ではラングレー 、その他のアジア諸国・オーストラリアでは「日産パルサー」(中文:日産彗星)の名称で販売された。オーストラリアではバトン・プラン によって現地メーカーであるGMホールデン にホールデン・アストラ という名称でOEM供給もした。CM出演者は桑田佳祐 と森英恵 。
1982年6月 4ドアサルーン(セダン)を追加。エンジンはE13S /E15S (キャブレター仕様)/E15E (EGI仕様)を搭載。
1983年 5月 E15ET (ターボ仕様)とディーゼルのCD17 を追加及び一部改良。一部グレードに日本初のドアミラー を装備。
1983年7月 日産とイタリア アルファロメオ との技術提携により「アルファロメオ・アルナ 」(合弁会社名「A lfa R omeo e N issan A utomoveicoli S.p.A」に由来)が登場しヨーロッパで販売された。ボディ形状は3ドア/5ドアハッチバックのみで、フロントおよびリアの意匠 がパルサーと異なるほか、エンジンはアルファロメオ製で「スッド 」由来の水平対向4気筒 ・SOHCエンジンを搭載していた。
1984年 3月 マイナーチェンジ。3ドアハッチバックの1.5L車をアルファロメオと提携したモデル「ミラノX1」シリーズとする。CM出演者は中村雅俊 に変更。
1985年 2月 チェリー誕生15周年特別仕様車「1300 TCスペシャルXV」及び「1500 TS-GスーパーエクストラXV」発売。
1985年5月 「3ドアハッチバック1300ELLE-S」、および「3ドアハッチバック1500ミラノX1 ホワイト・ミラノ仕様」を設定。ターボチャージャーの冷却方式を水冷式に変更。
1985年9月 特別仕様車 1300 4ドアTCスペシャルXV発売。
1985年12月 アルファシリーズ追加。
1986年 アルファロメオ・アルナ生産終了。
1986年5月 N13型にモデルチェンジされる。
3代目 N13型系(1986年 - 1990年)
1986年 5月7日 N13型にモデルチェンジ。4ドアセダン、3ドア/5ドアハッチバックの3タイプのボディをラインナップ。クーペは新車種「エクサ 」として独立したため(型式上はKEN13となっており、後記の日本カー・オブ・ザ・イヤー 受賞にも含まれていた)パルサーのバリエーションとしては廃止。エンジンはE13S、E15S、E15E、CD17に加えてCA16DE を搭載。フルライン化されつつあったターボエンジンを廃止する。また、量産車世界初となるビスカスカップリング式4WD「フルオート・フルタイム4WD」搭載車をラインナップ。上級グレードのスピーカーには世界ブランドのJBL 製をオプション設定し、運転席ドア開口後部に専用の傘が収納できる“アンブレラポケット”を3ドアに設定。姉妹車 のラングレー 、リベルタビラ 、エクサと共に日産初の日本カー・オブ・ザ・イヤー を受賞。ギリシア を除く欧州市場ではこの代から「日産サニー」、マレーシアを除くアジア向けとオーストラリア市場では「日産パルサー」マレーシア、ニュージーランドでは「日産セントラ」として販売された。なおオーストラリア現地生産車は、フロントマスクが姉妹車であるラングレー のもので、GMファミリーIIエンジンが搭載され、日本国内仕様にはなかった1.8Lも存在した。また香港 向けについてはフロントグリルおよびメーターなども日本国内と同一であった。キャッチコピーは「ツインカム・ヨーロッパ」、「ビスカス・マジック」、「ヨーロッパの体温」。
1987年 1月 トリプルビスカス・フルオート・フルタイム4WD 搭載車を発売。後のアテーサ への橋渡し的モデル。
1987年2月 1300 3ドアハッチバックに「M1」仕様追加。
1988年 4月 マイナーチェンジで1.5LのエンジンがGA15S 、GA15E (4気筒SOHC12バルブ、通称「 スーパーインテークエンジン 」)へ変更された。同時に新グレード「M1'N」「R1ツインカム」、ミラノ系のフルカラースポーツ仕様にダークグリーン色を追加設定。トリプルビスカス・フルオート・フルタイム4WD搭載車がカタログモデルになる。
「R1ツインカム」とはラリー 競技参加を主眼としたグレードで、4点式ロールバーやクロスレシオミッションが搭載されている一方、パワーウインドーやカラードドアミラーなどの快適装備が省かれ、外装は最廉価グレード「V1」と同等である。富士スピードウェイ等でスポーツプロダクションクラスやフレッシュマンレース参戦車両としても使用された。
1988年9月 AT車にシフトロック追加及びパルサー10周年記念特別仕様車「1600 3ドアハッチバック ブラックミラノχ(カイ)」発売。
1989年1月 AT車のシフトロックをPレンジ保持機構付に変更し、特別仕様車「1500 3ドアハッチバック ミラノ X1χ」発売。
1990年1月 「トレンダ」シリーズ追加。
4代目 N14型系(1990年 - 1995年)
日産・パルサー(4代目)N14型系
3ドアハッチバック
4ドアセダン (後期型) 1992年8月-1995年1月
5ドアセダン
概要 別名
欧州:日産・サニー 製造国
日本 オーストラリア 台湾 ニュージーランド 販売期間
1990年 8月 - 1995年 1月 設計統括
千野甫 デザイン
前澤義雄 ボディ 乗車定員
5名 ボディタイプ
5ドアハッチバック 4ドアセダン 駆動方式
前輪駆動 / 四輪駆動 パワートレイン エンジン
SR18DE型 1,838cc 直列4気筒 DOHC GA16DE型 1,596cc 直列4気筒 DOHC GA15DS型 1,497cc 直列4気筒 DOHC GA13DS型 1,295cc 直列4気筒 DOHC CD17型 1,680cc 直列4気筒ディーゼル 変速機
4速AT / 5速MT サスペンション 前
マクファーソンストラットコイル 後
パラレルリンクストラットコイル 車両寸法 ホイールベース
2,430mm 全長
4,145mm 全幅
1,670mm 全高
1,385mm 車両重量
1,150kg その他 データモデル
5ドア 1800ツインカムGTI 5速MT(1990年) 2010年末までの新車登録台数の累計
30万3065台[ 4] 系譜 後継
日産・アルメーラ (欧州) テンプレートを表示
1990年 8月22日[ 5] N14型にモデルチェンジ。N13型まで存在していた姉妹車 のリベルタビラとラングレーがN14型へのモデルチェンジを機にパルサーに統合されたことに伴い、取扱系列が従来のチェリー系列販売会社に加えて、リベルタビラ取扱の日産店系列販売会社とラングレー取扱のプリンス店系列販売会社も加わった。
前期型のCMは、ロールプレイングゲーム のようなファンタジックな世界観をイメージし、荒野を走るパルサーを描いたが、3話でこのシリーズは打ち切られ、その後の展開は不明。キャッチコピーは「愛と勇気と友情」。
グレード/バリエーションが多い。グレード名は V1 、M1 、M1-D 、J1J 、K1 、K1-D 、X1 、X1R 、GT 、GTI 、GTI-R の11種類となる。エンジンは、ガソリンエンジンが、この代から全てDOHC 16バルブ化されて、1.3L/1.5L/1.6L/1.8L/2.0Lターボの5種類、これに 1.7L のディーゼルを加えて計6種類となる。ボディタイプは3ドアハッチバック、4ドアセダン、5ドアセダン[ 注釈 3] の3種類である。これらに MT/AT や 2WD/4WD の別も組み合わせると極めて多くのバリエーションとなった。中でも目玉は4連スロットルバルブ等を搭載し、レースエンジンと言えるほど別物にハイチューン化されたSR20DET 型 2.0L 230ps ターボ エンジン[ 注釈 4] と、U12型ブルーバード SSS-Rから熟成されたフルタイム4WDシステム「ATTESA 」を3ドアハッチバックに搭載したホットモデル「GTI-R 」である(後述)。
5ドアセダンのデザインは、前澤義雄 が語ったところによると、日本車をヨーロッパの奥座敷に上げようと言う意図で、3ドアハッチバックでなく4ドアセダンベースにしたという。
欧州における「サニー」名義での販売はこの代が最後となった。
1991年5月9日[ 6] – WRC参戦記念特別仕様車「Rコレクション」を発売。3ドアおよび4ドアの「1600X1R」、4ドア「M1」に設定される。あわせて、4ドア全車にブルーグレーグラファイトパールを設定した。
1991年10月30日[ 7] – 4ドアセダンに「1500 X1」を追加。あわせて、装備の充実化などを行った。
1992年 九州工場 での生産を開始。
1992年5月21日[ 8] – 日産自動車の乗用車生産累計4,000万台突破を記念して、4ドア「1500M1」をベースにエアコンやワンタッチパワーウインドウなどを装備した特別仕様車「M1-SELECT」を発売。同年7月末までの期間限定販売となる。
1992年8月24日[ 9] - マイナーチェンジ。内外装の変更。フロントエンブレムがパルサー独自のP マークから、日産のCI マークに置き換えられ、リアにもエンブレムがついた。また、新色を追加したほか、5ドア「1500X1」、4ドア「ディーゼル1700J1J」、「1500フルオート・フルタイム4WDJ1J」を追加。運転席SRSエアバッグを全車にオプション設定。後期のCM出演者は中山美穂 、葛山信吾 。キャッチコピーは「しっかりが素敵です。ステディ・パルサー」。
1993年 8月 - 一部変更。エアコンの冷媒を新冷媒に変更。
1994年 1月13日[ 10] – 3ドアおよび4ドア「1500M1」をベースに、オゾンセーフマニュアルエアコンや集中ドアロック、専用シート地などを装備した特別仕様車「1500M1-SV」を発売。
1994年 5月30日[ 11] - 「1500J1J-SV」追加。あわせて、新色のノルディックグリーンメタリックを一部グレードに追加設定した。
1994年 12月[ 12] - 生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
1995年 1月 - 5代目にバトンタッチして販売終了。
4ドアセダン(リア)
3ドア(リア)
5ドアセダン(リア)
GTI-R
「GTI-R 」はN14型パルサーのイメージリーダーとして開発初期の段階から企画され、WRC への参戦を前提に設計された。日本テレビ ・よみうりテレビ 系で放送された「EXテレビ 」でも、WRC出場前から多数の生CMを打つなど、派手な広告戦略を取った上で、日産の新しいラリーウェポンとしてかなりの自信と期待を持ってリリースされた。FF最上級の3ドアGTIと比べ、エアコンがオプション。パワーウィンドウと集中ドアロックは標準装備となっている。
代わって外観では、特徴的なボンネット上のエンジンバルジと巨大なリアテールスポイラーが付与される。ビスカスカップリング LSDなど仕様から読み取れる差異があった。また、標準仕様の他に、ラリー等への参戦を目的とした競技用ベースグレード(軽量化のためさらにレスオプションが増え、クロスレシオミッションやスポット増し・機械式LSD・ホイールもスチールとなったもの)がカタログモデルとして存在した。他には標準仕様にニスモ製ロールバーやショックアブソーバー等が装着されたGTI-R NISMOが限定販売された。
当初ハイパワーエンジンに対して小さな車体はラリーフィールドでの強力な武器となると考えられていたが、改造範囲の狭いグループA であることが災いし、タイヤサイズの拡大ができずにパワーをもてあまし、エンジンルームの狭さからラジエーター やインタークーラー の冷却が十分に行えないなど、競技車両として様々な問題が露呈した。1992年 のスウェディッシュラリー で総合3位を獲得、グループN クラスでは年間タイトルを獲得する一方、早々とWRCからの撤退を発表した。なお、英国ラリー選手権(BRC)では、SR20DE 型を搭載したFFのGTI (現地名・サニー・GTI )がNME からF2クラスに参戦し、1996年 と1997年 、チャンピオンを獲得している。このように競技車両としては短命であったが、市販車はN15型にモデルチェンジするまで廃止とならず、堅調な販売を続けていた。
大きなレースからは撤退したものの、小さなボディーにハイパワーエンジンというコンセプトは、走り屋 からの人気を獲得することとなる。また、GTI-Rのエンジンは当時の多くの日産車に採用されているSR20DE系エンジンではあるが、日産のエンジニアでさえ、パルサーGTI-Rのエンジンは他のSRエンジンと比較した結果、レースエンジンだと言わせるほど[ 13] 通常とは異なる特殊パーツを備えていたため、オイルポンプや4連スロットルなど、多くのパーツは加工したうえで[ 注釈 5] 、シルビア 、180SX のような他のSR20DETエンジンに性能向上及び、強化・対策パーツとして流用したり、P10型プリメーラ 等SR20DE系エンジン搭載FF/FFベースの4WD車[ 注釈 5] へのエンジンスワップ も多く見られた。
5代目 N15型系(1995年 - 2000年)
1995年 1月24日[ 15] N15型発売。この代から欧州市場では車名がアルメーラ に改められた。ボディタイプは当初、3ドアハッチバック(パルサーセリエ )と4ドアセダン。スポーティ系のX1/X1R/GTI(GT)と、ラグジュアリー/ベーシック系のCJ-II/CJ-I(セリエはREZZO等)の2系統のラインナップ。エンジンはガソリン車が1.5LのGA15DE型(X-1/CJ-II/CJ-I)、1.6LのGA16DE型(X1R)、プレミアムガソリン仕様の1.8LのSR18DE型(GT)、ディーゼル車(4ドアセダンCJ-II/CJ-Iのみ)が2.0LのCD20型をそれぞれ搭載していた。4WDは2仕様があり、フルオートフルタイム式(GA15DE型搭載)とアテーサ(CD20型搭載)がラインナップされた。前輪駆動車のリアサスペンション は固定車軸 のトーションビーム式 (マルチリンクビーム)となった。(前期のみ)CM出演者は野村宏伸 、鶴田真由 。前期型のCM曲にはザ・スパイダース のなんとなくなんとなく が起用された。キャッチコピーは「Mr.しっかり」。
1996年 1月9日[ 16] - セリエおよび4ドアセダンのX1をベースに、パルサースーパーサウンドシステムCDセレクションや14インチタイヤ[ 注釈 6] を標準装備した特別仕様車「サウンドセレクション」を発売。さらに、4ドアセダンに「CJ-Ⅰ・G」を設定。同日、オーテックジャパンより「パルサーセリエ オーテックバージョン」を発売。
1996年5月22日[ 17] - 4ドアセダンCJ-Ⅰ・Gをベースに、デュアルエアバッグやABSを装備した特別仕様車「CJ-Ⅰ・G セーフティセレクション」を発売。
1996年5月27日[ 18] RV5ドアワゴンのパルサーセリエS-RV を発売。姉妹車はルキノS-RV 。CM出演者は安室奈美恵 。
1996年9月 マイナーチェンジ(中期型)。全車運転席及び助手席のSRSエアバッグ を標準化した。また、ABS を標準装備化した。車名ロゴ変更、日産CIマークのサイズと取り付け位置変更が行なわれた。また、中期型からは搭載されるエアコンが変更され、エアコンフィルターの装着が可能になった。
1997年 1月23日[ 19] - セリエS-RVに専用車体色の設定や専用サイドストライプ、リアスポイラーなどを標準装備とした特別仕様車「ホワイトセレクション」を発売。同日、オーテックジャパンより「セリエS-RV エアロスポーツ」を発売。
1997年9月8日[ 20] マイナーチェンジ(後期型)。主に外観がリニューアルされた。マルチリフレクタータイプのヘッドランプを採用し、フロントグリル、リアコンビネーションランプ、前後バンパー形状が変更されたほか、全シリーズハンドル形状の変更が行われた。また、オドメーター とトリップメーター を液晶化した。SR18DEエンジン搭載車がAT車のみに廃止。1.6L 175psプレミアムガソリン仕様のNEO VVL (可変バルブタイミング&リフト機構 )を採用したSR16VE (通称青ヘッド)を搭載したVZ-Rを追加発売。型式はセダン、セリエともにJN15。組み合わされるトランスミッションは5速MTのみ。VZ-RにはRNN14パルサーGTI-Rと共通のフロント・リアブレーキが採用された。「S-RV」のRV風装飾を排除した5ドアモデル「F」追加。CM曲に山崎まさよし の『ガムシャラ バタフライ 』を起用。
1997年11月[ 21] - パルサーの国内生産累計が400万台を突破。
1998年 ニュージーランドでの現地生産終了に伴い車名を「セントラ」から「パルサー」(日本からの輸入)に変更。
1998年1月26日[ 22] - セリエS-RV1.5L2WDモデルをベースとした特別仕様車「カラーマジック」[ 注釈 7] およびセリエS-RV1.5L 2/4WDモデルをベースとした特別仕様車「サウンドセレクション」を発売。
1998年5月13日[ 23] - パルサーの販売20周年を記念して、4ドアセダンの特別仕様車「CJ-Ⅰ 20th Anniversary」を発売。
1998年10月8日[ 24] - セリエ「VZ-R・N1 VersionⅡ」を発売。
1999年 1月12日[ 25] - 4ドアセダンの特別仕様車「CJ-Ⅰリミテッド」を発売。
1999年4月 パルサー4ドアセダンのCD20型ディーゼル車廃止。
1999年6月[ 26] セリエS-RV生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
2000年 6月[ 27] セリエ生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
2000年 8月[ 28] [ 29] セリエとS-RVの販売終了。残ったセダンも生産を終了[ 30] し、在庫販売体制に入る。
2000年 9月[ 31] 最後まで残ったセダンも販売終了。セダンに関してはG10型ブルーバードシルフィ が事実上の後継車種となる。国内向けパルサーは5代22年[ 注釈 8] の歴史に幕を下ろした。
カスタマイズモデル
1996年1月9日[ 32] SR18DE 搭載のパルサーセリエGTIの5速MT車をベースに、オーテックジャパン が開発を行った「オーテック・バージョン」(AUTECH VERSION )を発売。型式はHN15改。先行して発売していたHP10改プリメーラ に準ずるチューン(但しエキゾーストマニホールドのみFF車用SR20DE標準車のもの)を施したプレミアムガソリン仕様175psのSR20DE改良型(2.0L)を搭載し、一部クロス化した専用ビスカス LSD 付き5速MTとの組み合わせでスポーティな走りを可能とした。外観上の特徴は大型フォグランプ内蔵のフロントエアロバンパーと、専用大型ルーフスポイラー、専用サイドステップ、RNN14パルサーGTI-Rと共通の専用フロント・リアブレーキ、藤壷技研製マフラー、専用センターマフラー、スポーツサスペンション、205/50R15 85Vのブリヂストン Gグリッドタイヤを装備していた。内装はブラックを基調にオーテックジャパンのロゴが入ったホワイトメーターを装着。専用のシート地とドアトリムクロスを採用していた。ボディカラーはブラック(#KH3)とブルーイッシュシルバー(#KG1)の2色。
1996年9月 オーテック・バージョンをマイナーチェンジ(後期型)。ベース車両のマイナーチェンジに準じ、前席デュアルSRSエアバッグとABS搭載。
1997年 SR16VE搭載のVZ-Rベース(FF・5速MTのみ)のエアロセレクションとSR20DE搭載のエアロスポーツ(4WD・5速MTとOD付き4速AT)を追加。ともにオーテックジャパン が開発を担当した。
エアロセレクション
大型フォグランプ内蔵のフロントエアロバンパーと、専用大型ルーフスポイラー、藤壺技研 製専用マフラー、205/50VR15のブリヂストンポテンザRE710Kaiタイヤを組み合わせたゴールドの専用アルミホイールが外観上の特徴。赤ステッチの入った専用モモ 製本革巻シフトノブ&専用パーキングブレーキレバー、ホワイトメーター、専用のシート地とドアトリムクロスを内装に採用していた。
エアロスポーツ
IPF 製の大型フォグランプと大型フェンダーが外観上の特徴で、大型フェンダー採用によりシリーズ唯一の3ナンバー車となっている。背面スペアタイヤキャリア付車と無車が選べた。内装には専用のシート地とドアトリムクロス、ホワイトメーター、本革巻ステアリングを採用していた。
4ドアCJ-II (前期型)
4ドアCJ-II (前期型・リア)
3ドア セリエ (前期型)
3ドア セリエ (前期型・リア)
VZ-R・N1
日産・パルサーセリエ VZ-R・N1JN15型
1997年式 フロント
1997年式 リア
ロゴ
概要 販売期間
1997年 - 1998年 ボディ 乗車定員
5名 ボディタイプ
3ドアハッチバック 駆動方式
前輪駆動 パワートレイン エンジン
SR16VE型 1,596cc 直列4気筒 DOHC NEO VVL 最高出力
200ps/7,800rpm 最大トルク
18.5kgf·m/7,600rpm 変速機
5速MT サスペンション 前
マクファーソンストラットコイル 後
マルチリンクビーム 車両寸法 ホイールベース
2,535mm 全長
4,140mm 全幅
1,690mm 全高
1,380mm (VersionⅡ) 1,385mm (レースベース車) 車両重量
1,100kg (VersionⅡ) 1,090kg (レースベース車) その他 最小回転半径
5.2m データベース
主要諸元・装備一覧 テンプレートを表示
1997年 パルサーセリエ3ドアに当時参戦していたスーパー耐久 (S耐)レース向けとしてVZ-R・N1 および同レース仕様車を追加発売。ルキノハッチの同グレードと合わせ200台の限定生産。専用のSR16VEエンジン(通称赤ヘッド)は専用シリンダーヘッドや吸排気を採用し、クランクシャフトとフライホイールのバランス取り、ポートと燃焼室、吸排気マニフォールドの研磨などのチューンを施し、当時1.6Lクラス最強の200psを発生した。1.6L NAエンジンには珍しく、追加インジェクター(インマニ裏側)や吸入口の可変フラップなどを装備。またSR16VEエンジン自体がSR20エンジンのショートストローク版であることから、ピストンやスロットルボディなどがSR20系の有用なカスタムパーツとして知られている。組み合わされるトランスミッションはベース車のVZ-Rと同仕様の5速MTのみ。サスペンションはVZ-R標準車と同様のものが使われていた。
1998年 10月 パルサーセリエ3ドアにVZ-R・N1 VersionⅡ および同レース仕様車を追加発売。ルキノハッチの同グレードと合わせ1999年3月末までの限定受注、300台の限定生産。バージョン2は前年型から細かな改良が行なわれており、サスペンションはスタビライザー径を太くするなどバージョン2専用のものに変更され、それに合わせてタイヤサイズを変更(195/55VR15から205/50VR15へ、銘柄はダンロップ 製FORMULA W-10を採用)している。藤壷技研製専用メインマフラーを標準装備。内装が大幅にグレードアップされ、モモ 製本革巻スポーツステアリング、R32スカイラインGT-R タイプ(フレームが共通)の専用モノフォルムバケットシート、専用シート地(座面のみオレンジ)とドアトリムクロス(オレンジ)を採用していた。このほか、オーテックジャパン扱いのオプションとして、エンケイ 製の専用15インチアルミホイールと専用大型ルーフスポイラーが用意されていた。
モータースポーツ
1999年 VZ-R・N1バージョン2に、スポーツオプションとして東名スポーツ 製エキゾーストマニフォールドや大型ブレーキキャリパーを設定し、スーパー耐久 (S耐)に参戦。シリーズランキング2位、3位を飾る。このクラスでは最もポピュラーなシビックタイプR と同じ排気量ながらエンジン出力が大きく、またボディ剛性も高いことがチューニング業界では知られている。
6代目 N16型系(2000年 - 2006年)
日産・パルサー(6代目)N16型系
4ドアセダン フロント
4ドアセダン リア
概要 別名
日本名:日産・ブルーバードシルフィ (初代) タイ : 日産・サニーネオ マレーシア・台湾 : 日産・セントラ (5代目) ヨーロッパ : 日産・アルメーラ (2代目) 韓国 : ルノーサムスン・SM3 (初代) 販売期間
2000年 8月 - 2006年 初頭 ボディ 乗車定員
5名 ボディタイプ
3 / 5ドアハッチバック 4ドアセダン 駆動方式
前輪駆動 パワートレイン エンジン
QG18DE型 1,769cc 直列4気筒 DOHC QG15DE型 1,497cc 直列4気筒 DOHC YD22DTi型 2,184cc 直列4気筒ディーゼル K9K型 1,461cc 直列4気筒SOHC 変速機
4速AT / 5速MT 車両寸法 ホイールベース
2,535mm 全長
4,197-4,436mm 全幅
1,695-1,706mm 全高
1,445-1,448mm 系譜 後継
C11型日産・ティーダ テンプレートを表示
2000年8月に登場したG10型ブルーバードシルフィ は、オーストラリア およびニュージーランド 市場では引き続き「パルサー」の車名と「N16」の型式名が使用された。ボディタイプは4ドアセダンと5ドアハッチバックで、前者はG10型ブルーバードシルフィを、後者はN16型アルメーラ をそれぞれベースにしていた。
2006年 初頭、C11型ティーダ が後継車種として登場し、パルサーの車名は世界的にここで一旦消滅した。
5ドアハッチバック フロント
5ドアハッチバック リヤ
7代目 セダン B17型(2012年 - 2018年)
2012年 10月16日 、日産オーストラリアは「パルサー」の車名を復活させると発表し、オーストラリア国際モーターショーにセダンとハッチバックを出展した[ 33] 。セダンはB17型シルフィ/セントラ と基本的に同一車種で、オーストラリアでは2013年 1月29日 に登場[ 34] 。タイ日産 からの輸入で、エンジンはMRA8DE 。グレード展開はSTとST-LにCVTまたは6MTが、TiにはCVTのみが設定されている。途中の年次改良で「Ti」は廃止され、代わってMR16DDT 搭載の「SSS」が投入された。ニュージーランドではSTとTiの2種でこちらではCVTのみの設定。オセアニア市場では2015年まで販売された。
7代目 ハッチバック C12型(2013年 - 2019年)
ハッチバックはC12型ティーダと基本的に同一車種で、セダンに約半年遅れて2013年6月11日 に発売された[ 35] 。こちらもタイ日産からの輸入で、グレード展開は4種で、STとST-LはMRA8DEエンジンにCVTまたは6MTが、ST-SとSSSにはMR16DDTエンジンにCVTまたは6MTが設定されている。ニュージーランドではST、ST-S、SSSの3種でCVTのみの設定。プラットフォームはCプラットフォーム 。
また、タイ王国 でも2013年3月7日 にパルサーが発売された[ 36] 。こちらではセダンはシルフィとして発表済みのため、ハッチバックのみがパルサーを名乗る。いずれの市場も、2019年 の時点で販売を終了。
2012年 10月16日
シドニー で開催のオーストラリア 国際モーターショーにパルサーハッチバックとして出展。「パルサー」の車名のみならずスポーツグレードの「SSS」の復活も発表されている。
2013年 3月7日
タイ王国 でパルサーとして発売開始。エンジンはMRA8DE型1.8LとMR16DDT型1.6Lターボの2種類。
2013年6月11日
オーストラリアでパルサーハッチバックとして発売開始。STとST-LにはMRA8DE型1.8Lエンジンが、ST-SとSSSにはMR16DDT型1.6Lターボが搭載される。
2015年12月
オーストラリア市場でパルサーハッチバック販売を終了。
8代目 C13型(2014年 - 2018年)
2014年5月16日、日産は欧州市場の激戦区であるCセグメント に新型車を投入し、車名は「パルサー」とすることを発表した。これは前年に登場していたC12型を置き換えるものではなく、欧州専用に用意されたもので、2006年をもって消滅したアルメーラ 以来の復活となる。エンジンは2種のディーゼルと2種のガソリンをラインナップ。プラットフォームはJ11型キャシュカイ と同じCMF で、生産はスペイン ・バルセロナ 工場。
2016年 4月25日、北京モーターショー にてC13型パルサーをベースとしたものを3代目「ティーダ」の名で発表。フロントマスクの一部がパルサーと異なる以外は基本的にほぼ同一仕様である。シルフィ で先行採用されたエマージェンシーブレーキ やBSW などの安全装備を標準採用している[ 37] 。
2018年 をもって日産・ノート と共に、日産・マイクラ に統合される形で販売を終了した。
車名の由来
脚注
注釈
^ クラッチペダル はないが、動力の断続に電磁クラッチ を用いており、シフトレバーに触れるとクラッチが切れる。変速(ギア選択)は手動で行う。また、トルクコンバータ も併用していた。
^ 日本仕様はナンバープレートがバンパーに設置されている。
^ 一般的には「5ドアハッチバック」であるが、このモデルでは4ドアセダンをベースにリアハッチを付けたタイプとしたため「5ドアセダン」として設定していた
^ スカイラインGT-R が復活していなければ250psだったともいわれる。
^ a b 縦置きのFR車に対しては同じSRエンジンでも横置きとは形状が異なり互換性が低い。
^ セリエ4WD車を除く
^ 1000台の限定販売
^ 源流となったチェリーを含むと7代30年
出典
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
日産・パルサー に関連するメディアがあります。
ウィキメディア・コモンズには、
日産・サニー に関連するメディアがあります。
外部リンク