目達原駐屯地 |
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駐屯地正門 |
位置 |
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所在地 |
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町大字立野7番地 |
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概要 |
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駐屯地司令 |
陸上自衛隊九州補給処長 |
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開設年 |
1954年 |
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目達原駐屯地(めたばるちゅうとんち、JGSDF Camp Metabaru)は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町に所在し、陸上自衛隊九州補給処等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地である。
概要
駐屯地司令は、陸上自衛隊九州補給処長が兼務。同駐屯地には他に目達原飛行場がある。駐屯地業務隊はなく、駐屯地業務を九州補給処総務部が担当する[2]。鳥栖分屯地が隷属する。
また、かつては佐賀県警察のヘリコプター基地としても利用されていたが、現在は佐賀市の佐賀空港に移転している。
沿革
日本陸軍
保安隊
- 1953年(昭和28年)
- 7月:大刀洗陸軍飛行学校目達原分校敷地に起工。[3]
- 11月:先遣部隊が移動。
- 1954年(昭和29年)3月10日:保安隊九州地区補給廠、武器大隊本部および第905輸送車両中隊が福岡駐屯地から移駐[4]。
保安隊目達原駐屯地
- 1954年(昭和29年)
- 3月15日:目達原駐屯地が開設[4]。
- 6月30日:第905輸送車両中隊が第307輸送中隊に改編。
陸上自衛隊目達原駐屯地
- 第4飛行隊が第4師団隷下の部隊となる。
- 第104不発弾処理隊が西部方面武器隊隷下に新編。
- 1997年(平成09年)3月:映像伝送班目達原派遣隊を暫定配置。
- 1998年(平成10年)3月26日:陸上自衛隊九州補給処に改称。
- 2002年(平成14年)3月:映像伝送班目達原派遣隊を映像写真小隊空中伝送班に改称。
- 2003年(平成15年)3月27日:
- 西部方面武器隊及び西部方面輸送隊を統合し、西部方面後方支援隊が新編[6]。
- 陸上自衛隊九州補給処の内部組織の改編。
- 第4飛行隊の改編。
- 2008年(平成20年)3月24日:城野分屯地(九州補給処城野支処)の閉鎖により、陸上自衛隊九州補給処の改編(九州補給処の倉庫が駐屯地内に移転)。
- 2010年(平成22年)3月12日:第3対戦車ヘリコプター隊に戦闘ヘリコプターAH-64Dを1機配備(JG-4509)。
- 2011年(平成23年)3月:第3対戦車ヘリコプター隊に戦闘ヘリコプターAH-64Dを2機目を配備(JG-4510)。
- 2012年(平成24年)1月24日:駐屯地にある整備工場2棟が全焼する火事が発生。負傷者はなかった[7]。
- 2018年(平成30年)2月5日:第3対戦車ヘリコプター隊所属のAH-64Dが点検飛行開始直後に市内の民家に墜落、機長と副操縦士の2名が死亡。
- 2019年(平成31年)3月26日:西部方面後方支援隊隷下のコア部隊の新編。
- 第105補給大隊を新編[8][9]。
- 第103弾薬大隊を新編[8][9]。
駐屯部隊・機関
西部方面隊隷下部隊・機関
防衛大臣直轄部隊
航空管制
TWR
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123.1MHz,126.2MHz,138.05MHz,139.8MHz,140.5MHz
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TWR以外の管制業務については、国土交通省福岡空港事務所が担当する。(福岡進入管制区)
創立記念行事
毎年10月に開催。アトラクションの一つとしてAH-1Sのフライトシミュレータ体験搭乗があり人気を博している。またダンボール着ぐるみガンダムが出現する。
最寄の幹線交通
重要施設
脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
目達原駐屯地に関連するカテゴリがあります。
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