筑波大学附属小学校
筑波大学附属小学校(つくばだいがくふぞくしょうがっこう、英: Elementary School, University of Tsukuba)は、東京都文京区大塚三丁目にある国立小学校。 設置者は国立大学法人筑波大学で、筑波大学の附属校。通称は筑附小。 概要1872年(明治5年)の学制発布を受けて、1873年(明治6年)1月15日、昌平坂学問所(江戸幕府直轄)跡に、東京師範学校の附属小学校として設立された。日本国の制度に基づく、官立私立で初の小学校である[1]。 1学年128名の4クラス編成である。つまり、1クラス32名である。古くから教科担任制をとっており、各教科で教育研究が行われてきたことから、いわゆる「職員室」は存在せず、教科ごとの「○○科準備室」が独立して校内随所に散在する。担任持ち上がり制を採用しており、4人が担任団となり、子供達の成長・発達を長い目で見守る。 一般の学校では学年・クラスを通常「○年○組」と称するが、当校では○部○年と称する[注 1]。それは、学年の繋がりより、部間の繋がりの方が強いからである。1年から6年までの部ごとに縦割りの活動が存在する。部ごとにカラーがあり、1部~4部はそれぞれ黄、緑、紫、赤となっている。運動帽やリュックサックの紐、縄跳び、バンダナなどの色は、部のカラーとなっている。1部は黄色、2部は緑、3部は紫、4部は赤である。 昭和50年代までは6年間クラス替えが無かったが、それ以降、3年から4年に上がる時の1回のみクラス替えを行うようになり、現在に至る。また、クラス替え前後で同じ部になることはない。担任は担当クラスを持ち上がりになるため、クラス替え前後で担任も同じになることはない。 校内では、教育発表会やテレビや新聞、出版の取材の時は制服で授業を受けるが、普段は登校後、体操着に着替える。他校に比べ薄着で、真冬は長袖のセーターを着用してもよいが、大半は半袖短パン(女子はブルマー)で過ごす。 体育館と土のグラウンドが広大な敷地内にそれぞれ2つずつある。校内では、登校後に制服から体操着に着替え、授業前の「朝の活動」通称「朝活」と呼ばれる時間にクラス単位でドッジボールや縄跳びをしたり、併設されている「占春園」(水戸徳川家2代徳川光圀の弟松平頼元が1659年にこの地に構えた屋敷の名残である日本庭園)を走ったりする。また、占春園は自然観察など理科教育の場としても利用される。 また、3年生以上は週に1回「居残りキックベース」という時間があり、男女関係なくキックベースを楽しむ。 筑波大学附属中学校への進学は、内部連絡入試を経るが、実際は、学校生活に大きな問題がない限り希望者は進学できる状況である。 現在の募集人数は毎年128名(男64・女64)で、毎年の志願者数が募集人数の30倍程に上り、国内最多の志願者が集まる小学校である。このため入学試験では筆記・実技試験の前に、抽選器を用いた一次検定抽選が行われ、約4,500名の応募者のうち男女1,000名ずつ程度が2次検定試験を受けられる。筆記・実技試験の2次検定合格者男女各100名でさらに3次検定の第二次抽選を経て、最終的に男女各64名が最終検定合格者となる。 主な行事
特記事項現在多くの初・中等教育校で実施されている修学旅行は、東京高等師範学校尋常中等科(現:筑波大学附属中学校・高等学校)がその発祥とされている。 沿革→「東京高等師範学校 § 附属学校」も参照
校章・校歌校章1888年(明治21年)11月に五三の桐の校章が制定された。その桐章は、明治天皇の行幸の際、皇室の御紋章である五七の桐章を校章に用いるようご沙汰を頂いたことによる。しかし五七の桐では不敬にわたることがあってはとの理由で五三の桐となった。 校歌著名な出身者政官界政界
官界
法曹界経済界
学術界・教育界学術界
教育界
スポーツ界柔道サッカー
体操その他文化界
芸能界
古典芸能界マスコミ界
その他
アクセス関連校脚注注釈
出典関連項目
外部リンク
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