宮澤内閣
宮澤内閣(みやざわないかく)は、元副総理で衆議院議員及び自由民主党総裁の宮澤喜一が第78代内閣総理大臣に任命され、1991年(平成3年)11月5日から1992年(平成4年)12月12日まで続いた日本の内閣。 概要1992年(平成4年)8月30日、宮澤首相は軽井沢における講演で、初めて「金融機関への公的資金の導入」に言及したが、大蔵省をはじめ金融機関、経団連などの財界、マスコミの猛反対に遭い断念した。森喜朗によると加藤紘一と宮澤派幹部の斎藤邦吉が竹下派会長代行の小沢一郎に話をして「宮澤政権では官房長官だけは宮澤派にください。その代わり、それ以外の人事は全部おまかせしますというような」話をした[1]。内閣官房長官は加藤が就任し、竹下派から法務大臣は田原隆、大蔵大臣は羽田孜、文部大臣は戦後生まれ初の国務大臣となる鳩山邦夫、通商産業大臣は渡部恒三、運輸大臣は奥田敬和が5人が入閣した。幹事長は綿貫民輔が就任したが、これは誰も予想してなく、森は小沢の傀儡になるような人を幹事長にしたわけですと述べ、政調会長は森、総務会長は佐藤孝行が就任した[2]。 国務大臣
内閣官房副長官・内閣法制局長官政務次官1991年(平成3年)11月6日任命。ただし、科学技術政務次官・二木秀夫は前内閣からの留任。
脚注参考文献関連項目外部リンク |