ポル・エスパルガロ
ポル・エスパルガロ・イ・ビリャ (Pol Espargaró i Villà, 1991年6月10日 - ) は、スペイン・カタルーニャ州グラノリェース出身のオートバイレーサー。2006年よりロードレース世界選手権125ccクラスに参戦し、2011年からMoto2クラス、2014年からはMotoGPクラスに参戦する。2013年のMoto2クラスチャンピオンである。 兄のアレイシもグランプリライダーとして活動している。 経歴125cc2006年の第7戦カタルニアGPにおいて、ロードレース世界選手権125ccクラスにワイルドカード枠でデビューを果たした。そのレースでエスパルガロは13位に入賞し、史上最年少ポイント獲得記録を更新することとなった(15歳と8日)。シーズン終盤には、負傷したアンドレア・イアンノーネの代役としてカンペテーラ・レーシングから6戦に出場する機会を得て、最終戦バレンシアGPでは6位に入る活躍を見せた。またこの年には、スペイン国内のロードレース選手権125ccクラスでチャンピオンを獲得している。 2007年にはカンペテーラ・チームからフル参戦を開始し、第14戦ポルトガルGPで初表彰台(3位)に立つなどの活躍を見せ、シリーズランキング9位でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。 2008年はデルビのワークスマシンを駆ることになった。第7戦カタルニアGPでは自身初のポールポジションを獲得した。決勝レースではツナギの中に蜂が入るトラブルに遭い[1]、初優勝は逃したものの、この時点で自己最高となる2位表彰台に立った。次の第8戦イギリスGPではプラクティス中の転倒で鎖骨を骨折し、2戦を欠場することになった。第14戦インディアナポリスGPではポールからスタートしレースをリード、10周目にニコラス・テロルにトップを奪われるが17周目に奪還。しかしその直後に降雨により赤旗レース中断となり、1周前の順位が採用されエスパルガロはまたも2位に終わった[2]。結局この年のシリーズランキングは、前年と同じ9位に終わった。 2009年はデルビで2年目のシーズンを迎えた。第12戦インディアナポリスGPでブラッドリー・スミスとのトップ争いを制し、前年の雪辱を果たしてグランプリ初優勝を遂げた[3]。その後第14戦ポルトガルGPで2勝目を挙げ、年間シリーズランキングでは4位と大きく成績を伸ばした。 2010年、エスパルガロはデルビに残留し、125ccクラスフル参戦4年目のシーズンを戦った[4]。第2戦スペインGP、第3戦フランスGP、第13戦アラゴンGPと3勝を挙げ、シーズン終盤までマルク・マルケス、ニコラス・テロルの2人とチャンピオン争いを展開、年間ランキング3位を記録した。 Moto22011年シーズン、ポルはルカ・ボスコスクーロ率いるスピードアップ・チームからMoto2クラスにステップアップする。この年は兄のアレイシもMotoGPクラスからMoto2に移ったため、同クラスへの兄弟参戦が実現した[5]。2013年にはMoto2クラスで初の年間タイトルを獲得。 MotoGP2014年よりMotoGPクラスにステップアップしテック3所属となる。2015年と2016年はシーズン途中にヤマハ・ファクトリー・レーシングチームから鈴鹿8時間耐久ロードレースにも参戦し、2015年は中須賀克行とブラッドリー・スミス、2016年は中須賀とアレックス・ローズでトリオを組んで出場し2年連続で優勝している[6][7]。 2021年は、念願のレプソル・ホンダ所属となる。しかし目立った成績はなく、第16戦エミリア・ロマーニャGPで2位を獲得したのみである。 2022年も同チームから参戦。開幕戦カタールGPで3位表彰台に立ったが、ホンダ・RC213Vと相性が合わず予選を突破しても不満を漏らしていた。そのこともあり年間ランキングは17位へと下降するようになる。第13戦オーストリアGPには、2023年からガスガスのブランドで戦うテック3に復帰することが発表された[8]。 2023年は開幕戦ポルトガルGPのFP2レース中に激しい転倒を起こし、肺挫傷、顎や脊椎に骨折を負う[9]。このため、シーズン前半戦は欠場し、第9戦イギリスGPからの復帰となった。 2024年はレース活動を休止し、KTMのテストライダーに就任することとなった[10]。第7戦イタリア、第11戦オーストリア、第13戦サンマリノではレッドブル・KTM・ファクトリーレーシングからワイルドカード参戦した。 ロードレース世界選手権 戦績
脚注
外部リンク
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